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拉致監禁 侵された信教の自由

3.3度拉致された小林宗一郎さん

「家族の問題」と警察動かず 5重の鍵、板張りの窓

2009.6.25 世界日報紙掲載

5重のカギがかけられていたなど監禁された「異常な部屋」の図面を書く小林宗一郎さん

大学生だった平成4年に統一教会に入信した小林宗一郎さん(37)は、3回も拉致され、信仰を棄てるよう強要された経験を持つ。いまでも「壮絶な出来事だった」当時をたびたび思い出すという。

最初の拉致は同年11月末。家族と一緒に寝ていた小林さんは、強引に車に押し込められ、東京・上野にあるウィークリーマンションに連れて行かれた。何とか助けを求めようと、大声で叫び続けた。

しばらくすると、近所の人が通報したらしく、警察官や機動隊など約200人がマンションに詰め掛けた。それを見た小林さんは「助かった」と思った。しかし、両親の「家族の問題」という説明に、警察官らはあっさりと帰っていった。

「なぜ監禁されているのに、市民を守るべき警察が助けてくれないのか」。部屋から出て行く彼らを目にし、小林さんは大きなショックを受けた。それでも諦められずに抵抗していると、管理人に「迷惑だから出て行ってくれ」と言われ、難を逃れた。

それから3年後、小林さんは再び拉致の被害に遭った。両親と一緒に乗っていた車が、家とは逆の方向に走っていることに気づいた時は、既に遅かった。また拉致されるのか、と体が震えた。必死に抵抗するが、車は高速道路に乗ったまま走り続けた。だが監禁場所に予定されたマンションの近くでスキを突いて逃げ出すことに成功した。

親を信じたいとの思いから、「さすがに2度も失敗しているし、3度目はないだろう」と自分に言い聞かせた。しかし小林さんの思いとは裏腹に、2年後の4月、3たび拉致された。今度は会社に向かう途中の路上で、問答無用で強引に車に引き込まれたのである。

「拉致です。助けて!」。小林さんは声の限りに叫んだ。通勤時間で多くの人が見ていたこともあり、すぐにパトカーが駆けつけ最寄りの警察署まで連れていかれたが、またもや「家族の問題」ということで片付けられてしまった。

小林さんが行き着いたのは、群馬県太田市のマンションだった。部屋の中は一見しただけで変だと分かった。南京錠やダイヤル式などのカギが5重に掛けられた扉。小林さんのいた部屋から玄関まで行けないよう改造されたドア、板を張って外が見えない窓。

約2カ月後、日本基督教団太田八幡教会(当時)の「清水与志雄」と名乗る牧師が部屋に訪れ、棄教を迫ってきた。長い監禁から心身ともに限界状況となり、血尿が出るまでになったが、清水牧師や親戚らは病院に行くことも、なかなか承知しなかった。母親は「牧師の許可がないと行かせられない」と力なく語った。

半年が過ぎると、厳重にロックしてあった5重のカギが取り外されていた。11月下旬の夜中、誰にも見られていないと確信し脱出を考え、マンションから抜け出した。何カ月も家の中にいたため、体力が落ちていてうまく動けなかったが、我ならぬ強い力を背に感じ、東京まで逃げ帰れた。その道すがら「拉致という非人道的なやり方は、あってはならない」と繰り返していた。

3度も拉致された小林さんは、その後の親の様子を知りたくて7年後、親に連絡した。しかし向こうからは「謝りたいが、謝れない…」と、苦渋に滲む声を聞かされるばかり。親とて周囲に誘導されて事に及んだという悔しさがあると思うと、小林さん自身も悲しい。今、小林さんの願うことは一つ。「どんな宗教だとしても、互いに認めあえる世の中を作りたい」と。

(「宗教の自由」取材班)

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世界学生新聞 号外 1993.5.15
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