新着情報のページです。統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます

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2011年8月19日

拉致監禁によってつくられた「青春を返せ」裁判
魚谷氏の論文がCESNUR公式サイトに掲載


 統一教会を相手取って元信者が起こした、いわゆる「青春を返せ」裁判が、拉致監禁・強制改宗によって“つくられた”裁判であったことを明らかにする論文がこのほど、イタリア・トリノに本部を置く「新宗教研究センター(CESNUR)」の公式サイトに掲載されました。

 論文は、魚谷俊輔UPF(天宙平和連合)事務次長が執筆したものです。

 魚谷氏は論文の中で、札幌における「青春を返せ」裁判で統一教会を訴えた元信者の大多数が、「物理的な拘束下で信仰を棄てた、作られた被害者」であることを証明。

 そのうえで、一連の「青春を返せ」裁判は、「統一教会の社会的評判を落とし、窮地に追い込もうとする統一教会反対派の戦略」に基づいて提起されたものであることを暴露しています。
 
 この事実は、反対派弁護士らの「統一教会信者の脱会は、拉致監禁による強制棄教の結果ではない」という主張を完全に覆すものです。
以下に、論文の全文を掲載します。


 なお、CESNUR公式サイトに掲載された論文は、次のURLでご覧になれます(英語)。

http://www.cesnur.org/2011/dan_uotani.pdf


CESNUR2011
 
「青春を返せ」裁判と日本における強制改宗の関係について
 
魚谷俊輔
Universal Peace Federation-Japan
 
 これまで、統一教会信者に対する親族による拉致監禁、ならびに「脱会カウンセラー」と呼ばれる専門家らによる信仰破壊活動に関する事件は、監禁から脱出した信者らの証言によって明らかにされてきた。その一部は拉致監禁を実行した親族や「反対牧師」を相手取った民事訴訟によって法廷で事実として認定された。例を挙げれば、富澤裕子さんは2000年に勝訴し、寺田こずえさんは2004年に勝訴している。[1]
 
 しかし、統一教会に反対する一部のキリスト教牧師、職業的脱会屋、反統一教会の弁護士たちは、統一教会の主張する「拉致監禁」は、あくまでも「保護説得」あるいは「救出」であり、反社会的団体である統一教会に入ってしまった子供を両親が心配するあまり、やむにやまれず取った行動であると主張する。
 
 彼らは、統一教会を脱会した多くの元信者が、統一教会を相手取った損害賠償請求訴訟、いわゆる「青春を返せ」訴訟を起こしていること、そしてそれらの民事訴訟の一部で原告が勝訴していることを、統一教会が反社会的団体である根拠に挙げている。しかし、こうした訴訟は、強制改宗によって教会を去った元信者を原告に立て、統一教会を相手取った訴訟を起こすことを通して、統一教会の社会的評判を落とし、窮地に追い込もうとする統一教会反対派の戦略に基づくものである。
 
 そこで私は、こうした訴訟の原告たちは、真正な自発的な被害者ではなく、強制改宗あるいはディプログラミングによって生み出された「作られた被害者たち」であると主張する。こうした事実は、「青春を返せ」裁判において原告らが法廷でなした証言や陳述書から立証される。本論では、「青春を返せ」裁判の原告たちの裁判調書や陳述書をもとに、以下のことを立証する:

①   教会を訴えた元信者たちの大部分が、教会を脱会する際に家族から物理的な拘束を受けていた。
②   脱会を決意するにあたっては、「脱会カウンセラー」と呼ばれる第三者の介入があった。
③   「脱会カウンセラー」の話の内容は神学的・教義的な事柄であり、彼らの目的は信者たちの統一教会に対する信仰を棄てさせることにあった。

 
 私は、札幌における「青春を返せ」裁判を例に挙げて論ずることにする。いわゆる「青春を返せ」裁判は札幌において始まり、原告たちは、統一教会の信徒らが行っていた伝道活動を違法行為であると主張し、統一教会で失われた青春の数年間に対する損害賠償を請求した。札幌地裁における審理は1987年3月から2001年6月まで14年3カ月という長期間にわたるものであった。原告は最終的には21名となり、全員が女性である。
 
 結果は、2001年に一審判決で原告の元信者らが勝訴し、2003年3月に控訴審(札幌高裁)で統一教会の控訴が棄却され、同年10月に最高裁が統一教会の上告を棄却したことにより、元信者らの勝訴が確定している。裁判所が認めた損害賠償の額は、請求額のおよそ三分の一であった。ちなみに、「青春を返せ」裁判は必ずしも原告側が勝訴しているわけではない。原告側は、1998年の名古屋地裁判決、1999年の岡山地裁判決、2001年の神戸地裁判決において敗訴している。
 
 それでは、これらの元統一教会信者たちが教会を離れた時の状況について分析してみよう。札幌「青春を返せ」裁判の原告が教会を離れるようになった状況は、統一教会の代理人である弁護士が、原告らに対して行った反対尋問によって明らかになった。21名の原告の証言は、以下の4つのカテゴリーに分類することができ、その人数と比率は以下のとおりである。

 

 
 この円グラフにおいて、青は、証言において「監禁」されたことを認めている者を示している。21人中8名が文字通り監禁されたことを認めた。赤は、「監禁」という表現は認めていないが、部屋には内側から鍵がかけられており、部屋から自由に出入りできなかったことを認めた者を示している。8名がこのように証言している。黄緑色は、軟禁状態にあったと証言している者を示している。この表でいう軟禁とは、鍵は掛けられていなかったものの、常に誰かが見張っていて逃げ出せる状態ではなかったことを指している。2人がそのように証言している。最後に、紫色は監禁という言葉を否定し、出入りの制限はなかったと証言している者たちである。3人がこのように証言した。物理的な拘束が事実上あったことを認める証言が全体の75%を超えていることは特筆に値する。また、全体の86%の原告が、何らかの意味で拘束された状態で脱会を決意したことになる。
 
 自分が監禁されていたことを証言した代表的なケースを紹介しよう。以下に引用するO.R.さんの本人調書は、非常に正直である。これは平成11年12月14日に札幌地裁で行われた尋問において、統一教会の代理人である本田弁護士の質問に答えたものである。
 

本田:あなたは統一協会を脱会しましたね。
O.R.:はい。
本田:脱会されるときにはどこかのマンションに監禁されましたでしょう。
O.R.:連れていかれました。
本田:だれが中心になってあなたを監禁したの。
O.R.:父と母です。
本田:どうしてあなたを監禁したんですか、目的は何ですか。
O.R.:統一協会を脱会させるために。
本田:なぜ脱会させようとしたの。
O.R.:それはお父さんとお母さんが多分よくないことをやっていると思ったからだと思います。
(中略)
本田:お父さんお母さんは、宗教に年がら年中、四六時中献身してて、宗教活動を行っているということは問題があると考えたんじゃないですか。
O.R.:はい。
(中略)
本田:あなたは何日間くらい監禁されてましたか。
O.R.:何日間というのは覚えてません。七日目くらいでちょっと考えだしたと思います。
本田:中心になったのはあなたの両親ですね。
O.R.:はい。
本田:脱会させるのに、それ以外にどういう人たちが関与してましたか。
O.R.:うちの親戚とかパスカルさんが話ししてくれました。
本田:パスカルからあなたは話を聞いたんですか。
O.R.:はい。
本田:監禁されたマンションの中で聞いたんですね。
O.R.:はい。
本田:何を聞かされましたか。
O.R.:主には原理講論と聖書が言っているところの違いというのを。
本田:パスカルというのはクリスチャンですか、それとも新教の信者ですか。
O.R.:新教です。
(中略)
本田:あなたに対して、原理講論の間違いをいろいろと正したわけだね。
O.R.:はい。
(中略)
本田:あなたを監禁状態にしておいて、部屋からどこにも出られない、自由が束縛されていることははっきり分かりますね。
O.R.:はい。
本田:精神的にも束縛されているでしょう。
O.R.:はい。
本田:物理的にも束縛されていますね。
O.R.:正確に言うと七日目まで。
(中略)
本田:だれからあなたの両親は統一協会の教理について教わっていたの。
O.R.:多分パスカルさんだと思います。
(以上、調書47~66ページ)


 次に、監禁という表現を否定し、「救出」であったと主張しながらも、部屋に鍵がかかっていたこと、外に自由に出入りすることができなかったことなど、何らかの物理的な拘束があったことを認めている証言の一つを紹介しよう。以下に引用するY.N.さんの本人調書が典型的な例である。これは平成11年12月14日に札幌地裁で行われた尋問において、統一教会の代理人である鐘築弁護士の質問に答えたものである。
 

鐘築:それから、あなたはお父さんというか、家族に監禁されましたよね。監禁。
Y.N.:救出ですね。
鐘築:一ヵ月ぐらいマンションにいたんですか。
Y.N.:はい。
鐘築:自分の部屋から出入りは自由でしたか。
Y.N.:いいえ。
鐘築:鍵かかっていましたね、部屋に。
Y.N.:はい、窓から私が飛び降り自殺をしないように鍵をかけててくれました。
鐘築:それもあるし、自由に出入りできなかったでしょう、部屋から他の部屋には。自由に出入りできましたか。
Y.N.:他の部屋にというか、外には出れない状態でしたけれども。
鐘築:マンションの何階にいましたか。
Y.N.:七階だったと思います。
鐘築:どんな人が出入りしていましたか。そのマンションに。
Y.N.:クリスチャンというか、ボランティアでお話をしてくれる人ですね。
鐘築:田口民也と言う人が来ましたか。
Y.N.:はい、来ました。
鐘築:これはどんな人ですか。
Y.N.:昔統一協会にいた人で、講師までしていた人だけど、間違いに気づいて辞めた人で、そして私の救出を手伝ってくれた人です。
(中略)
鐘築:牧師さんも来ましたね。
Y.N.:はい。
鐘築:何という人。
Y.N.:パスカルさんです。
(以上、調書104~106ページ)
 


 次に、陳述書に簡単に触れておく。通常、脱会の際に物理的な拘束があったことや、第三者の介入があったことは、反対尋問によって初めて正直に証言することが多い。しかし、中には陳述書で脱会の経緯を詳細に説明し、本人の意思に反して拘束されたことや、「監禁」であると感じていたことを記載しているケースもある。その代表的な例が、平成11年5月6日作成の、K.Mさんの陳述書である。
陳述書の本文は非常に長いので、ここでは彼女の陳述書から重要な事実のみを列挙することにする。
 

①  1992年4月6日、彼女は両親と親族に騙されて、札幌市内の見知らぬアパートに車で連れてこられた。
② 彼女はその時、これは「監禁」だと悟ったので恐怖を感じ、パニック状態になった。
③  彼女は車のシートにしがみついていたが、降ろされてマンションの入口まで連れていかれた。
④  彼女は抵抗し、逃げようとしたが、皆に押さえ付けられた。
⑤  彼女は助けを求めたが、誰も反応しなかった。
⑥  彼女は恐ろしい圧迫感と、「監禁」されたことに対する怒りで気が狂いそうだった。
⑦  彼女は、とにかく今日は帰らなければいけないと言ったが、駄目だと言われた。
⑧  やりかけの仕事も気になったので電話連絡だけでもさせてほしいと言っても駄目だった。
⑨  家族の態度は強硬で、家族といえどもこうまで自由を奪う権利があるのかと、怒りが込み上げた。
⑩  彼女は、人間扱いされていないと思い、怒りを感じた。
⑪  次の日の午後、反対派牧師がやって来て、はこぶね教会の大久保ですと自己紹介した
(以上、陳述書p.231-236から要点を抜粋)

 
 物理的拘束の存在は、法廷でも認定されている。平成15年3月14日の札幌高裁判決は、「被控訴人らはいずれも控訴人を脱会(棄教)した者であり、脱会に至るまでの過程において親族らによる身体の自由の拘束等を受けた者も多く、このような拘束等は、当該被控訴人らとの関係においてそれ自体が違法となる(正当行為として許容されない。)可能性がある」[2]と述べている。しかしながら判決文は、これらは被控訴人とその親族との間で解決されるべき問題であり、こうした事実は「青春を返せ」裁判の判決には影響を与えないと述べている。
 
 原告らの証言において、パスカル・ズィヴィ氏や大久保牧師は第三者であり、原告の親族ではない。このような第三者の介入と、原告らと彼らの「話し合い」について論じてみよう。

 物理的な拘束があったか否かに関わらず、すべての原告は脱会に当たって家族以外の第三者の介入があったことを認めている。原告の一部はこうした第三者が統一教会を批判したり、棄教を迫ったりしたことはないと主張しているが、多くの原告が拘束されている現場にこうした第三者が現れて話をし、その後に棄教を決意していることから、客観的に見て第三者による説得が棄教にいたる上で重要な役割を果たしたことは明らかである。

 
原告21人の証言に登場する第三者の名前と回数は以下のとおりである。
パスカル 16回
田口民也 2回
大久保牧師 2回
戸田実津男 1回
星川牧師 1回
寺田牧師 1回
山本牧師 1回
日本基督教団の牧師 1回
キリスト教の牧師 1回
 
 まず、パスカルという名前の圧倒的な多さが特筆される。ここに出てくるパスカルとは、札幌市在住の「マインド・コントロール研究所」所長のパスカル・ズィヴィ(Pascal Zivi)のことである。彼の著書『マインド・コントロールからの脱出』(恒友出版:1995年)の著者紹介によると、彼は札幌のアジア聖書学校に学んだフランス出身のクリスチャンで、現在は日本イエス・キリスト教団羊が丘教会のメンバーと記されている。彼は21人中16人の脱会に関わっており、札幌の「青春を返せ」訴訟と彼の「救出カウンセリング」との間には、強い関連性が認められる。その他の第三者も、ほとんどが牧師やキリスト教関係の人物である。
 
 それでは、原告たちは「救出カウンセラー」と呼ばれるこうした第三者と、どのような話をしたのであろうか? 21人中4名の証言は、第三者の介入を認めながらも、具体的にどのような会話をしたのかを証言の中では明らかにしていない。残りの17名が証言した会話の内容を簡潔にまとめて列挙すると、以下のようになる。

 
①    日本キリスト教団の教義の説明。(日本キリスト教団の牧師)
②    聖書を見ながら、統一教会の教義の間違いについて説明をされた(星川牧師、田口民也)
③    堕落論など、原理の矛盾点を指摘された。「お金が文鮮明の私利私欲のために使われている」と言われた(パスカル)
④    原理講論と聖書の違い、原理講論の間違い。(パスカル)
⑤    パスカルによる聖書と原理講論の比較。田口民也による、統一教会に関するスキャンダル。(パスカル、田口民也)
⑥    原理講論の聖書の引用の仕方が間違っている。(パスカル)
⑦    原理の間違いについて。(戸田実津男)
⑧    統一原理の間違いについて。(パスカル)
⑨    聖書について。(パスカル)
⑩    原理講論の聖書引用がでたらめだということ。(パスカル)
⑪    歴史の同時性など、原理講論の矛盾点について。(大久保牧師)
⑫    聖書と原理講論の違いについて。(パスカル)
⑬    陽陰の二性性相など、原理講論の矛盾点。(パスカル)
⑭    歴史の同時性など、原理講論の間違いについて。(寺田、大久保、山本という牧師)
⑮    原理の間違いや矛盾について。(パスカル)
⑯    聖書の勉強と、統一教会に対する批判(パスカル)
⑰    原理講論と聖書の違いや、統一教会の本の間違いなど。「文鮮明師はメシヤではない」ことが分かった。(パスカル)

 
 この「脱会カウンセリング」の目的はいったい何であろうか? これらの証言によれば、脱会カウンセリングの内容は、極めて神学的・教義的な事柄である。基本的にはプロテスタントのキリスト教の立場から、聖書を真理の基準として、統一教会の教理である「統一原理」またはその解説書である「原理講論」が聖書と矛盾する内容であること、聖書の引用の仕方がでたらめであること、多くの間違いや矛盾を抱えていることなどを説明しながら、信じるに値しないものであると説得する。つまり、「棄教」を目的とした説得であることは明らかである。
 
 多くの原告らが、監禁または拘束された状況下で、自らの信じる宗教の教理の間違いや矛盾を長期にわたって突き付けられている。そして、ひとたび信仰が破壊されると、自らの意思によって選択した信仰そのものや、自らの意思で行った活動に対する評価が180度変わり、「騙されていた」「マインド・コントロールされていた」などと主張しながら、教会を相手取って損賠賠償請求訴訟を起こすに至ったのである。
 
 結論として、札幌「青春を返せ」裁判の原告たちの裁判調書や陳述書をもとに、以下のことが立証された。

①   統一教会を訴えた元信者たちの大部分(少なくとも75%)が、教会を脱会する際に家族から物理的な拘束を受けていた。
②   物理的な拘束があったか否かに関わらず、すべての原告が脱会を決意するにあたって、「脱会カウンセラー」と呼ばれる第三者の介入があった。
③   「脱会カウンセラー」から聞かされた内容は神学的・教義的な事柄であり、統一教会に対する信仰を棄てさせることが「脱会カウンセラー」の目的であった。
 

 このことが意味しているのは、統一教会の反社会性を証明するものと主張されている「青春を返せ」裁判が、自発的な脱会者たちによって起こされた訴訟ではなく、物理的な拘束下で信仰を棄てた、作られた被害者たちがほとんどを占める原告団によって起こされた訴訟であるということだ。
  
 その脱会の過程にはキリスト教牧師や、パスカル・ズィヴィのような信者が関わっている。こうした「脱会カウンセラー」と札幌「青春を返せ」裁判を担当していた郷路征記弁護士の間には何らかの協力関係があるに違いない。したがって、これら一連の「救出活動」と訴訟は、統一教会の社会的評判を落とし、窮地に追い込むための戦略の一環であったとみなされるべきである。
 
 したがって、統一教会の主張する「拉致監禁」は、あくまでも「保護説得」あるいは「救出」であり、反社会的団体である統一教会に入ってしまった子供を両親が心配するあまり、やむにやまれず取った行動であるとの主張は、物事の順序を逆転させている。なぜなら、拉致監禁・強制改宗の歴史は、「青春を返せ」裁判の歴史よりもはるかに長いからである。拉致監禁・強制改宗は1966年に始まったが、「青春を返せ」裁判が始まったのは1987年である。
 
 また、両親の「心配」も自発的に生じたものではなく、しばしば反対牧師にアプローチされた結果として生じたものである。本論では、私はパスカル・ズィヴィにのみ言及したが、それは彼が札幌で活発に活動していたからである。ほかにも多くの「脱会カウンセラー」が日本中に存在し、その他の都市においても、彼らの信仰破壊活動と「青春を返せ」訴訟の間には同種の協力関係がみられるであろう。
 
 拉致監禁がなければ、「青春を返せ」裁判はなかった。拉致監禁による強制改宗によって、「統一教会は反社会的団体である」であるという社会的評価が戦略的に作り出され、それがさらに新たな拉致監禁の被害者を生み出すという、悪循環が繰り返されてきたのである。

文責 魚谷俊輔 UPF-Japan事務次長
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
付録:21人の原告の証言に基づく、脱会カウンセラーと名前と拘束期間
 
No. 原告 脱会カウンセラーの名前 拘束期間
「監禁」という表現を認めた者
1 K. Y. 日本基督教団の牧師 言及なし
2 H. A. 星川牧師、田口民也 2週間
3 W.N. パスカル 1-2 週間
4 O.R. パスカル 7 日間
5 Y. C パスカル 10日間
6 Y. Y. パスカル 言及なし
7 T. N. パスカル 言及なし
8 K. S. 戸田実津男 10日から2週間
「監禁」という表現は認めていないが、部屋には鍵がかけられており、出入りが自由でなかったことを認めた者
9 M. N. パスカル 3 週間
10 Y. N. 田口民也とパスカル 1ヶ月
11 T. T. キリスト教牧師とパスカル 8 日間
12 F. H. パスカル 言及なし
13 U. T. パスカル 1週間
14 K. M. 大久保 1ヶ月
15 T. E. パスカル 言及なし
16 O. T. パスカル 言及なし
軟禁状態であったことを認めた者
17 T. M. 寺田、大久保、山本 言及なし
18 S. M. パスカル 言及なし
監禁という言葉を否定し、出入りの制限はなかったと証言している者
19 K. H パスカル なし
20 O. M. パスカル なし
21 H. J. パスカル なし


[1]富澤裕子さんは1997年6月に拉致され、15か月にわたって合計三か所のアパートに監禁された。プロテスタント牧師の高澤守は、彼女が監禁された部屋を訪問し、彼女の信仰を破壊しようと試みた。寺田こずえさんは韓国人と結婚し、韓国に住んでいたが、2001年10月に日本の実家に帰省した。彼女が滞在中に、親族らは彼女を拉致し、66日間にわたって監禁した。プロテスタント牧師の高澤守は、監禁部屋を頻繁に訪問し、脅しと侮辱によって彼女の信仰を破壊しようとした。
 
作成日付 原告 被告 請求認容額 裁判所 事件番号
2000.8.31 富澤裕子 高澤守(キリスト教牧師)
原告の親族等
損害賠償55万円 鳥取地裁 平成11年(ワ)第72号
2002.2.22 富澤裕子 高澤守(キリスト教牧師)
原告の親族等
損害賠償15万円 広島高裁
松江支部
平成12年(ネ)第98号
2004.1.28 寺田こずえ 高澤守(キリスト教牧師)
原告の親族等
損害賠償20万円 大阪地裁 平成14年(ワ)第4326号
2004.7.22 寺田こずえ 高澤守(キリスト教牧師)
原告の親族等
損害賠償20万円 大阪高裁
第9民事部
平成16年(ネ)第686号
[2]ここでは、控訴人は統一教会を指し、被控訴人は原告の元信者らを指す。
 
  • 我らの不快な隣人

    ルポライター米本和広氏が、拉致監禁によって引き起こされたPTSD被害の実態をレポート。

    ►第6章 掲載
  • 人さらいからの脱出

    世にも恐ろしい「人さらい事件」に関わった弁護士、牧師、マスコミ人らの非道な実態を実名で白日のもとにさらす。

    ►書籍紹介
  • 日本収容所列島

    いまなお続く統一教会信者への拉致監禁。小冊子やパンフレット、HP等で告知してきた内容をまとめました。

    ►書籍紹介

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