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2012年8月20日

「同盟諸国における宗教的迫害に対する米国の責任」:米国連邦議会ブリーフィングが開かれる


Unification Church Newsより転載  

 日本における統一教徒の暴力的拉致監禁問題はついに2012年8月1日水曜日、米国連邦議会でのブリーフィング(概要報告/状況説明)の場において立法議員及び議会職員たちに公開された。


 米国統一教会総会長を務める文仁進女史とシカゴ選出のダニー・デイヴィス(Danny Davis)下院議員、並びに著名な人権問題専門家のパネリストたちは、米国国務省に対し、日本における少数派宗教に対する宗教的迫害の問題に関し日本政府との討議を始めるよう求めた。

 文女史は、ホワイトハウス・ビジターセンターの一室に集まった70名の人々に対し、「日本で今起きていることは、阻止されるべき甚だしい人権蹂躙です。強姦や身体的虐待、精神的拷問及び精神的操作といったことは単に家族内の問題として片付けられることではありません。これは決して(日本の政府当局が弁明しているような)単なる家族内の問題などではあり得ません」と厳しく指摘した。

 文女史は続けて、

「最近まで日本においては、婚姻関係にある女性に対する虐待は家族内の問題として解釈されてきました。毎日のように女性が自分の夫によって強姦されているという状況は、単なる家族内の問題として片付けられるべきことではなく、国際社会において取り組まれるべき甚だしい人権蹂躙問題であることを一致団結して訴え出る為には国際社会の圧力が必要でした。そして、どうなったでしょうか。国際社会が団結し連帯しながら、『もう沢山だ。我々は自分の姉妹たちが夫婦関係において虐待されているのをこれ以上黙って見過ごすわけにはいかない』と声を上げたのです。この件に関しては、素晴らしい進展が見られました。今後は、自分の妻を強姦するような夫に対しては、法的責任が追及されるでしょう。同じように、日本において統一教徒に対し起きている(拉致監禁の)問題も家族内の問題として片付けられるべきことではありません。強姦と虐待は家族内の問題ではないのです。」

 「同盟諸国における宗教的迫害に対する米国の責任」と題した連邦議会ランチブリーフィングはUPF(天宙平和連合)によって組織された。

 このブリーフィングに参席した3名の宗教の自由問題の活動家には、「人権の為の国際ヘルシンキ同盟」(International Helsinki Federation for Human Rights)の元事務局長で「自由の権利プロジェクト」(Freedom Rights Project)の創設者にして首席調査員のアーロン・ローズ(Aaron Rhodes)博士、米国連邦議会における宗教の自由問題の経験豊富な専門家であるティナ・ラミレス(Tina Ramirez)女史、そして人権問題指導者協議会(Leadership Council for Human Rights)の創設者にして会長であり、トム・ラントス人権委員会(Tom Lantos Human Rights Commission)創設の為の促進役を果たしたキャサリン・キャメロン・ポーター(Kathryn Cameron Porter)女史が名を連ねていた。彼らが語った内容の多くを以下に紹介する。

左から: ダニエル・K・デイヴィス下院議員、アーロン・ローズ博士、美山きよみ氏とキャサリン・ポーター女史及びティナ・ラミレス女史。


 参席者はACLC(米国聖職者指導者会議)の代表者として、マイケル・ジェンキンス同議長と、ジョージ・オーガスタス・スターリングズ司教及びジェッシー・エドワーズ牧師; 次に、アンジェリカ・ゼレ会長を始めとするWFWP(世界平和女性連合)の代表者たち; ワシントンタイムズの代表者たち; 国際宗教自由連合のダン・フェッファーマン会長とレイ・マス(Ray Mas)氏(両人とも宗教の自由の為に活動してきた専門家としてこのブリーフィングに招待された); 日本の統一教会員からは、信仰破壊行為の被害体験者である美山きよみ氏(拉致誘拐犯の手による2度にわたる被害体験について報告するために日本から米国に招聘)、ラジオトーク番組司会者でSAFE(拉致監禁被害の生存者の会)から周藤一子氏、SAFEのルーク・ヒグチ会長、大学構内における迫害の体験について語る為に米国訪問中の女子大学生、そして、米国CARP(全国大学連合原理研究会)のヴィクトリア・ルーメット会長ら。

 拉致監禁被害者である美山きよみ氏は、

「昨日と本日にかけて、このように議員や活動家の皆様に対し訴える機会が与えられたことと、全ての支援に対し心から感謝いたします。日本では警察当局がこの問題に対し見て見ぬふりを続けています。米国から第二のマッカーサーに来てもらい、宗教の自由と人権について理解の道を開く必要が日本にはあります」との声明を発表した。

 米国UPFのジム・ギャヴィン会長が文仁進女史を紹介しながら、「彼女は一部の人々がどのように虐待され、一部の女性たちがどのように強姦されてきたかを聞いて、非常に心を傷めました」と語った。

ジム・ギャビン 米国UPF事務局長


 ギャビン米国UPF会長は続いて、この90分間にわたるプログラムのメディエーター(まとめ役)としてキャサリン・ポーター女史を紹介し、

 「宗教の自由はあらゆる自由の礎石であり、それがあってこそ私たちは集会や言論や出版の自由を享受することができます。米国には宗教の自由があるがゆえに、あらゆる自由の為の基礎ができているのです。

 私たちは皆がいつの日か神様の下の一家族として相まみえることを望んでいます。家庭が私たちの共同体を支え、そして共同体が国を支えています。しかし、もしも家庭が崩壊するのなら、国もまた崩壊することでしょう。米国が強靭なのは、私たちが自由と信仰と家庭を擁護しているからです。もしも私たちが家庭を失うようになるなら、私たちは信仰を失い始め、そして我が国は困難に陥ることでしょう。それゆえ私は今こそ私たち皆が自分たちの未来を見据えるべき時であると思います。私たちは今日どこにいて、明日は何処に向かおうとしているのでしょうか。今日ここで為される講演を聴けば、講演者たち全員が偉大な活動家であることが分かることでしょう。彼らは全員が世界中で自由の為に、とりわけ宗教の自由の為に闘う闘士なのです」

 ギャヴィン会長は文女史を紹介する中で、これまで4年間にわたり宗教の自由という大義の為に果たしてこられた役割の背景について触れ、次のように語った。

12年半もにわたり拉致監禁された統一教徒の後藤徹氏に出会って以来、文女史は宗教の自由という大義を擁護する闘士となり、世界中を回って様々な会合の場で講演してこられました。彼女はACLC(米国聖職者指導者会議)やWFWP(世界平和女性連合)やUPF(天宙平和連合)のメンバーたちと共に、2010年には何度となく米国連邦議会を訪れ、日本における信仰破壊行為についての啓蒙活動を展開してきました。この問題について彼女が知らされた当初には、実際に日本に赴いて被害者達と話をしました。そして、被害者達がどのように物理的に拉致されるか、どのように車に押し込まれるか、そして若い女性たちが虐待を受け強姦された様子を聞いて非常に心を傷め、この事態を阻止する為に何かをしなければならないと感じました。この事態に対する完全なる勝利がもたらされるまで彼女は歩みを止めないだろうと思います」

 最近、キャサリン・ポーター女史と共に日本を訪れ、同国における宗教的不寛容の問題を堂々と指弾してきたダニエル・デイヴィス下院議員も人権問題に関する所見として、

「私たちは今、他者を愛することが盛んに行われる一方で、他者を憎しむことも頻繁に行われる世界にいます。(この問題に関与する)私の権限は、私に次ぐ人の権限が始まるまで終わることはないと思っています。もしも私が自分の信念を実行できないとしたら、それは自分自身を偽っていることになるからです」と述べた。

アーロン・ローズ博士の所見:

 私は、もう20年も人権問題に携わってきました。私は過去の体験に基づき、米国政府が人権の中で最も重要な権利の一つとしての宗教の自由に重きを置いていることは正しいことであると堅く信じています。いずれかの人権が他の人権より重要であると言明する事は政治的には正しいこととは言えませんが、それでも私個人としては、宗教の自由の権利こそが最も重要なものであると感じています。

 では何故、米国政府は宗教の自由にそれほど関心を持つのでしょうか。人々が宗教の自由にそれほど関心を寄せるのは何故でしょうか。私は過去20年にわたり外国に住み、国際的な討論会の場でその疑問について批判的なコメントを聞いてきました。

 それは政治によって説明可能なことでしょうか。それは過去の迫害に対する或る種の感情的なこだわりのようなものでしょうか。特定のグループだけについての感情や信仰に関わったものでしょうか。しかし私は、こういった説明のいずれに対しても『そうではない』 と主張します。宗教の自由は、普遍的、精神的、政治的、そして社会的に必要なものです。それは米国人にとって重要であるように、地球上の全ての人に重要なのです。こういう意味で米国だけが例外ではあり得ないにも関わらずそう表すのは非常に誤解を招き易い表現であり、これはちなみに、『選ばれた民』という言い方も非常に誤解を招き易い表現ですが、こういう言い方に類似しています。そうではなくて、アメリカは宗教の自由に対する普遍的願望と宗教の自由を尊重する普遍的義務を(他のどの国よりも)比類なく高く評価しているということなのです。

 宗教の自由に関する現在の状況はさほど好ましいものではなく、世界における人権の状況は未だ改善されていません。私たちは今享受している自由を維持しながら後退させないように、常に闘い続けなければなりません。宗教の自由を保護する為の闘いは終わりがありません。私たちは今、自由と開放の時代に向かっているとは言えません。このことは先進民主諸国ですら人権の自由と表現の自由を侵害している現実によって示されています。

 そして、それゆえにこの会合のトピックは極めて時に適ったものと言えます。幾つかの例を紹介しましょう。危険にさらされているのは、新宗教ばかりではありません。私が住むドイツでは、ケルン管区の裁判所が最近、割礼は身体に危害を及ぼすとの判決を下しましたが、ドイツ人の40%は明らかに国が温情主義的やり方でそういう決定を下すべきことについて賛同しています。実際、宗教団体に対する侵害行為は、市民を宗教団体から保護すべき必要があるという理由から全般的に国によって正当化されています。

 (それに加えて)日本は、米国憲法の土台の上に構築された非常に強い憲法的な伝統をもった民主国家です。それにも関わらず日本は、拉致と自由の剥奪、そして身体的虐待の被害を受けてきた宗教的少数派のメンバーの人権を侵害しており、それも何十年にもわたってそういう行為が展開され続けています。これまでに何千名という人々がその被害に遭ってきましたが、主な人権機関や国際機関、そして勿論、日本政府はその現実を無視してきました。私は独立のNGOである「国境なき人権」と共にこの問題の調査をする機会があり、こういった虐待を受けた多くの被害者たちと面会する場を持ちました。私は20年にわたり人権活動をしてきて、そういう現場で目撃すべきあらゆることを全て見てきましたが、この事例は実に過酷で極めて悲劇的な状況であるため、私たちはそれに対し何かの対処をせざるを得ないのです。これらの虐待を受けた犠牲者自らが声を上げなければならない必要は無いはずであり、彼らは市民社会(シビル・ソサイエティー:市民の自発的参加によって生まれる社会)や国際組織の援助を受けるべきです。というのは、もし彼ら自らが語るなら、たとえ真実を語ったとしても誰も信じないだろうからです。それに対し独立した組織はそういうことが目的であり、それら(独立した組織)にはこういった事柄における個人的な利害関係がないからです。市民社会が政治的に切り離されて距離を置きながら、科学的かつ客観的な方法で人権問題に取り組むことが重要なのです。

 こういった拉致監禁問題に関する訴訟はこれまで全て無視されてきました。正規の起訴手続きが行われた事例は1件もないのですが、これは差別に他ならず、さらには大学における宗教的少数派のメンバーに対する差別も存在しています。警察当局は無関心を続けてきました。政治家たちは日本におけるこういった状況に対し適切な監督を行っていません。(日本の人々は)この問題を解決する為に国際社会における友人の助けを必要としているのです。

 それが、私がここワシントンで伝えようとするメッセージの一つであり、米国政府はこの件を国際法の問題として日本政府に対して問題提起すべきです。米国政府は数ヶ月後に(国連人権理事会で)行われる日本の普遍的定期審査(UPR) において問題提起を行うべきであり、日本政府当局に対し直接的な対話の形でその問題を提起すべきです。米国政府はまた他の国々にも問題提起してもらうべきです。単に米国だけで取り組むべきことではなく、宗教の自由に関心を持ち、その問題について友に語りかける意思のある他の国々もあって然るべきです。私たちにはそうすべき義務があります。私たちは米国人として、日本にいる友人たちがこの問題から抜け出すのを助ける為に彼らに対し果たすべき責務があり、それこそが人権社会が選ぶべき道なのです。

 表現の自由は今も多くの国々で脅威にさらされており、そして宗教の自由について語るなら、同時に表現の自由についても語らなければなりません。社会において諸集団を差別する為にヘイト・スピーチ(差別と憎悪の発言)規制の濫用が非常に頻繁に起きています。ヘイト・スピーチ禁止法と差別語禁止(*ポリティカル・コレクトネス(政治的公正))、そして司法積極主義(*司法、特に最高裁判所が憲法判断により法令を拡大または過大解釈することによって事実上の立法や行政の機能を果たすこと)とが有害に組み合わされて、特にヨーロッパにおいて表現の自由に対する非常に深刻な脅威となっています。

 スウェーデンにおける一事例についてごく簡単に説明したいと思います。聞いたことのある方は非常に少ないと思いますが、これはあまりにも言語道断な話です。欧州市民を独裁から守り表現の自由を保護する目的から創設された欧州人権裁判所は、『同性愛嫌悪』の内容を訴えたパンフレットを配った4名の人々を有罪判決に処することによって表現の自由は侵害されないという判定を下しました。ちなみに私はそのパンフレットの内容や動機付けには一切賛成できないのですが、そのパンフレットでは同性愛は性的倒錯であると主張しており、裁判所はかかる主張は特定の人々を中傷していると判断して、冒とく的言動とヘイトスピーチ(差別と憎悪の発言)に関する過去の判例に基づいて判決が下されました。裁判所は自分たちが『根拠無く不当に侮辱的である』と判断した言論を保護することを拒絶したのです。つまり裁判所は自分たちに一部の市民の道徳観を変える権利があり、或いは同性愛のような問題について市民の良心を強要する権利があるという結論を下したわけです。私は国にそのような権利はなく、これは人権に反することだと思います。つまり欧州には人権を本質的に侵害する『人権裁判所』があるのです。それでは、そういう決定に対し、何処に上告すべきでしょうか。ところが、そこが最上級の裁判所であり、そのことが正に私たちが現在抱えているジレンマなのですが、こういう事態に対し大衆の反対の声が上がって来なければなりません。これはまるでスコーキー事件*のようです。私たちはナチスに賛成するわけではありませんが、しかし、間違った見解であっても彼らがそれを敢えて表現する自由は認められるべきだと主張しています。ちなみに私は、ホロコースト(ナチスによるユダヤ人虐殺)の否定を禁止する法令には反対していることを申し上げておいた方が良いかも知れません。人々はこの問題について間違った立場に立つ権利も認められるべきであって、もし人々がその間違った立場に立つこと自体によって刑務所に入れられるとしたら、それこそ一種の全体主義に他なりません。

注:スコーキー事件では、ユダヤ人が多く住むイリノイ州スコーキー村がネオナチのデモの差止めを要求し、またネオナチなどのヘイトグループ(差別などを煽動する集団)によるデモを禁止する村条例を可決したことに対し、連邦地裁は条例を第一修正違反により違憲と判定した。

 結局のところ、宗教の自由は表現の自由の問題と切り離して考えることはできません。しかし私たちは、欧州その他の国連加盟国において、言論の自由が規制されていく方向に向かいつつある強い傾向が存在することを認識する必要があります。

 表現の自由への支持が弱まっていく状況において、国際人権法それ自体が言論の形態を禁止することによって抑圧の種を内包しています。ICCPR(市民的及び政治的権利に関する国際規約)の中のこれらの条項の出所はソビエト連邦です。これらの条項が如何に得られたのか、歴史を遡って調べてみてください。ICCPR(市民的及び政治的権利に関する国際規約)中のこれらの条項はどのように得られたのでしょうか。ソビエト連邦とその同盟諸国が差別や敵意や暴力への誘因を禁止するよう主張しました。私たちは暴力への誘因を禁止するのを受け容れることにあまり積極的ではないのかも知れません。暴力が客観的なものであることは誰でも測り知ることができますが、しかし敵意への誘因を定義することはできません。この曖昧な規約が世界中において人権の悩みの種なのです。ところが、このICCPR(市民的及び政治的権利に関する国際規約)は世界中のほとんど全ての国において署名されていますが、未だにそれが弱者を抑圧する為に使われているのです。この曖昧な文言に対しエレノア・ルーズベルト女史(*ルーズベルト大統領夫人)や米国の外交官たち、また民主主義諸国は反対を唱えてきましたが、しかし、ICCPRの中に人権が成文化されることによってこの闘いに敗れてしまいました。宗教の自由の問題はより広範な問題の一部であり、そしてその敗北とは人権問題の中で自由という問題に焦点を当てることに対する失敗であったと言えると思います。人権の核心は自由なのです。ご清聴ありがとうございました。

文仁進女史の所見:

 私はかくも著名なパネリストの皆様がお集まりのこの議会ビリーフィングに出席できることを光栄に感じます。ご参席の皆様は真に人権の為の闘争における開拓者であり闘士であられ、それに比べると私は自分が皆様の足跡を辿り従っているだけの単なる初心者に過ぎないかのように感じる次第です。しかし私は統一教会の一メンバーとして、そして現代という時代に生きる一女性として、日本で起きている残虐行為と迫害、言語に絶する虐待について聞き及んだ時、眠ることができませんでした。そして私は自らをこの信仰破壊問題に自らの手で関与し、日本において私たちの兄弟姉妹たちに対し起きている事態に対し認識を高める為に最善を尽くすことを自ら決意しました。

 美山きよみさんは、日本において過去30年間にわたり続けられてきたこの種の虐待の被害に遭った総数4300名に上る私たちの教会の兄弟姉妹の中のほんの一例に過ぎません。

 私が『ムーニー』とか『中国人』と蔑まれ、『故国に帰れ』と言われながらも、自分がより優れた人間になるのに役立ったと思われるこういった素晴らしい事柄を体験していた197080年代は、教会のメンバーたちにとっては非常な苦難の時代でした。そして、統一教会とは一体何ものなのか、韓国という、見知らぬ貧しい国から来たこのメシアを自称する人物は一体何者なのか、といったことに対する恐怖感が他の何よりも勝ってしまい、本当によく吟味し、私たちの心を開き、彼が何を語ろうとしているのかをよく見極めるのではなく、彼が米国の教会の兄弟姉妹たちに対して行使してきた『権威』に対する多くの恐怖感があったと思います。

 (米国において)無知という名目の下に、言語に絶するような多くの犯罪行為が行われてきましたが、しかし私たち(米国)には憲法があり、アメリカという偉大な国家の市民として私たちの信仰を実践する機会を最終的に私たちに与えることになった然るべき法的手順に参与し、それを役立たせることができた素晴らしいキリスト教会の聖職者たちの支援がありました。ところが日本では、私たちの兄弟姉妹たちは未だにこういった言語に絶する犯罪行為に苦しめられているのです。

 私は、一人の姉妹に会ってみるようにプライベートで頼まれ、彼女が誰にも見られたくないために、韓国ソウル市の非常にひっそりとした場所で会いました。彼女は私に、「文牧師、私が過去15年間、自分の夫にすら語ることができなかったことについて聞いていただきたいと思います」と言いながら、自分の拉致監禁の体験について語り始めました。デプログラマー(改宗屋)たちによって誤導された家族・親族の何人かが日本の既成教会の牧師たちと連携して働いていました。彼女は拉致監禁中に自分が受けた情緒的・精神的虐待のみならず肉体的な性的虐待について語りました。彼女が語るには、或る既成教会の牧師自らがそういう虐待行為に直接加わっており、その牧師は彼女を統一教会の信徒という『ゾンビのような状態』から『解放』する手助けをしたいと言いながら、彼女を繰り返し強姦したのです。決して忘れることができない精神的傷を残したおぞましい体験ゆえに、彼女は、自分の夫の前に堂々とすることができません。彼女は自分の夫にその事実を語る勇気すら見出せませんでした。しかし彼女は、自分が日本において過去40年間にわたり、自らがあたかも何の信念もないかのように感じながら、声もなく沈黙を続けてきた4300名にも上る兄弟姉妹たちを象徴するたった一人に過ぎないことも承知しているのです。

 他の人々も指摘しているように、日本は世界の超大国の一つです。その国民に宗教の自由を保障する憲法を有する民主国家なのです。そして私たちが理解すべきことは、この現代という時代にあって拉致監禁の被害に遭っている人々は、未成年者ではないという事実です。これらの人々は満21歳を超える、日本において法的に市民として認められた人々なのです。つい最近も62歳の女性が改宗屋によって拉致監禁されました。

 文師の教えや統一教会の教えについて過剰な恐怖感があったことから、家族や親族たちは家族の一員である自分の子供たちを監禁するように追い込まれていき、その極端な例として12年5ヶ月もにわたり監禁された後藤徹氏のような事例まで発生しました。皆様は後藤氏にお会いになったことがあるかどうか知りませんが、彼は建築士の学位を目指していた学生であり、誇り有る統一教徒でした。彼は意欲的で、素晴らしい将来性があり、(拉致監禁以前は)身長が183cm、体重が72.5kgのハンサムな日本人男性でしたが、しかし改宗屋たちが最終的に彼の信仰を破壊することはできないと判断し、彼が屋外に放り出された形で解放された時点で、彼の体重は半分にまで減るほど衰弱させられており、彼は安全と助けを求めて(まともに歩くことができずに)這って行ったほどでした。

 この国の全ての市民に賦与されているはずの極めて初歩的な人間としての尊厳が、この紳士に対しては否定され完全に貶められていました。それゆえに彼が解放され自らの人生を取り戻すまでには125ヶ月という彼の人生の中で長い歳月を要したのです。しかし、この後藤氏の実話は、拉致監禁の被害に遭った兄弟姉妹たちが耐えさせられてきた身体的虐待、絶えず続けられる殴打、精神的虐待、唯単に統一教会を信じるという理由からだけの『人でなし、馬鹿』呼ばわりといった蛮行の一例に過ぎないのです。もし私たちがそういう状況の中に置かれたなら一体自分はどうなるだろうか、皆様は想像できますか。

 ですから私の心の中には或る種の絶望があるのです。私の兄弟姉妹というだけではなく、もしも私たちが自分たちを一つの世界と考えるなら、彼らは私たち皆の兄弟姉妹なのです。私がここ連邦議会の議会事務局を訪れた時、男女の連邦議会議員たちが私に、『何故あなたは日本で起きていることについて私たちに語るのですか。どうしてそれが米国の問題なのですか』と尋ねました。それが米国の問題であるのは、私たちの多くの兄弟姉妹が日本人の配偶者と結婚しているからです。私たち統一教会は現在、国際結婚したカップルが拉致監禁され虐待されかねない恐れから、休暇に日本の親族を訪ねて行くことができないという事態を抱えており、それが信じ難いほどの緊張の原因となってきました。そして、日本の大使や日本政府に訴えても、『単なる家族間の問題』という一言で片付けられ、然るべき法的手続きにおける権利が全て無視されなければならないというのは実に極めて憂慮すべき事態と言わざるを得ません。

 したがって、今日皆様の前に座っておられる素晴らしいパネリストたちに私は勇気づけられています。私の父はつい最近、協調と協力と自由の大切さについて語りました。私たちは自分たちが協調の時代に入りつつあること、そして自分たちが世界の何処にいるにせよ互いに影響を与え合っていることを理解する必要があります。そして私たちは自分個人だけの自由を考えるのではなく、一つの全体としての自分たちの自由について考え始める必要があります。我々は皆が神様の永遠の息子娘であり、そういう立場において力と自由が賦与されるべきです。今日本で起きていることは、必ずや阻止されなければならない甚だしい人権蹂躙に他なりません。強姦や身体的虐待、精神的拷問及び感情操作といった犯罪行為を『家族間の問題』として片付けることはできないのです。それは決して家族間の問題ではありません。つい最近まで日本では婚姻関係にある女性に対する虐待が家族内の問題として解釈されてきました。毎日のように女性が自分の夫によって強姦されている状況は家族内の問題として片付けられるべき問題ではなく、国際社会において取り組まれるべき甚だしい人権蹂躙問題であることを一致団結して発言する為には国際社会の圧力が必要なのです。そして、どうするのかというと、国際社会が団結し連合して、「もう沢山だ。我々は自分の姉妹たちが夫婦関係において虐待されているのをこれ以上黙って見過ごすわけにはいかない」と声を上げたのです。このことに関して驚くべきステップが取られています。もしも自分の妻を強姦したいと思う夫がいるなら、そういう夫はこれからは法的責任を負うことになるでしょう。それと同じように、日本において統一教徒に対し起きている(拉致監禁の)問題も家族間の問題として片付けられるべきことではありません。強姦と虐待は家族間の問題ではないのです。

 加害者たちは法に依って対処されなければならず、彼らは日本の憲法が保障する然るべき法的処分に処せられるべきです。それゆえ私は、皆様全員にこのことを真に心に留めていただくようお願いする次第です。

 私たちは、この問題が自分たちに影響を及ぼさないような別の所で起きていることだとは思えません。もしも私たちが神様から賦与された権利を擁護し、自分たちを神様の息子娘たらしめる原理原則そのものを擁護する闘いの為に一致団結し共同しないならば、私たちは素晴らしい平和の世界を創建するという自分たちの希望に別れを告げた方が良いでしょう。

 しかし、もし私たちが全ての人間の尊厳を真に信じ、現代社会においては人権の蹂躙など起きることができず、あっても決して黙って見逃されることはないことを信じるならば、私の父がその93年にわたる生涯をかけて、日々愛情を込めて語ってきた平和と愛と調和の世界は私たちの手の届くところとなることができることでしょう。

 ですから、ここにお集まりの紳士淑女の皆様、ご参席下さり、どうも有り難うございます。皆様のご臨席は『アメリカは関心を抱いてくれている』という大きな希望と勇気を与えてくれます。そして、連邦議会が聴いてくれているという事実を、日本にいる私たちの兄弟姉妹達に伝えるならば、彼らは感動して涙を流し、勇気付けられ、宗教の自由の為の闘いにさらに献身的に邁進しようと感じると思います。ありがとうございます。

ティナ・ラミレス女史の所見:

 月曜日に国務省がその『宗教の自由に関する報告書』を発表した時、誰もが知りたがったのは、宗教の自由に対する侵害者という観点から特別に憂慮される国として名前を挙げられるのはどの国かということでした。私は、できるならば今日のこの席は、皆様を落胆させないものにしたいと思います。私たちが今語っているのは、特別に憂慮される国々についてではなく、民主主義陣営の同盟諸国についてです。日本及び多くの欧州諸国が話題に挙げられているのです。

 皆様の多くがご存知のように、米国では宗教の自由と文師の意見に沿った考えを巡って大きな論争があります。先程、デイヴィス議員は、『もしも私が自分自身を表現できないなら、私は自分を偽っていることになる』と語られました。これは即ち、宗教的な信仰と表現は、人間が個人として行う行為の中心を為すものであり、人格の尊厳の為の基礎、自由の為の基礎に他ならないということです。人は各々自らの生と死、そして来世(死後の世界)について、場合によっては自らの宗教を通して自らの信仰を表現するものですが、それは人々の文化全体を通して見られることであり、自分たちの文化から(自分が信仰する宗教を)切り離すことなど絶対的に不可能なのです。

 しかしながら世界の多くの国々においては、たとえ民主的な社会といえども、社会の範囲内にある政府と個人が人々の信仰を破壊しようとしています。そういう状況は米国においても目下、生命は受胎に始まるものという信仰や、宗教的信念に基づいて良心的立場から兵役に反対する信仰、健康管理計画を施す人々に対し妊娠中絶薬を提供することはできないとする信仰が破壊されようとしている米国カトリック司教協議会の中に見出すことができます。そういう信仰が破壊されようとしており、そしてこれが正に宗教の自由の侵害に他なりません。

 宗教の自由と言っても、日本で起きている事態から欧州諸国での状況まで、その内容には一定の幅があるということを人々が理解することが重要だと思います。人々が宗教的なシンボルや衣装を身に纏えない所もあれば、政府が学校では宗教的な服装や衣装を着ることを禁ずる法律を成立させたために実際にシーク教徒やイスラム教徒の学生が学校通学の断念を選択している所もありますが、そういう所の学校生徒たちは宗教の自由の権限を否定されているのです。 

  • 我らの不快な隣人

    ルポライター米本和広氏が、拉致監禁によって引き起こされたPTSD被害の実態をレポート。

    ►第6章 掲載
  • 人さらいからの脱出

    世にも恐ろしい「人さらい事件」に関わった弁護士、牧師、マスコミ人らの非道な実態を実名で白日のもとにさらす。

    ►書籍紹介
  • 日本収容所列島

    いまなお続く統一教会信者への拉致監禁。小冊子やパンフレット、HP等で告知してきた内容をまとめました。

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