統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。有識者の声。国境なき人権報告書(棄教を目的とした拉致と拘束)の強制棄教を目的とした拉致と拘束、国際法の立場
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有識者の声


国境なき人権報告書

棄教を目的とした拉致と拘束

第三章:強制棄教を目的とした拉致と拘束、国際法の立場

パトリシア・デュバル氏、弁護士、パリ(フランス)

I.国際法での枠組み

1956年に国連に加盟した日本に対して、非常に温かく広範な支持が寄せられた。敗戦国日本にとって国連は、平和な世界秩序に組み込まれる希望そのものだった。国連に加盟することによって、日本は国連が認めた国際的人権規準と責任、中でも1948年12月に国連総会決議217A号として採択された「世界人権宣言」に明言された人権原則を遵守すると誓約したことになる。


「世界人権宣言」は、その目的について非常に明確に表現している:
人権の無視及び軽侮が、人類の良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰の自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、

「世界人権宣言」の第18条では次のように記している:
すべて人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する。この権利は、宗教又は信念を変更する自由並びに単独で又は他の者と共同して、公的に又は私的に、布教、行事、礼拝及び儀式によって宗教又は信念を表明する自由を含む。


しかしながら「世界人権宣言」は拘束力を有する法律文書ではない。人権が世界の個人から国の有り様までを実質的に形作る法的力を持つようになるには、単なる政治宣言以上のものが必要だ。そのため「世界人権宣言」の中身を、具体的かつ実際的な国際条約として法的体裁を備えなければならなかった。

1966年12月16日に国連総会は、「市民的及び政治的権利に関する国際規約(ICCPRまたは単に「規約」と呼ぶ)」を採択し、調印国はこの法律文書による国際的な人権保護を義務づけられることになった。同総会では同じ日に「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」も採択した。「世界人権宣言」とともに、これらの文書は「国際人権規約」と総称される。日本はこれらの諸規約に調印し、1979年6月21日に批准した。

「規約」第2条1項で、各国は領域内の司法権の範囲で、全ての個人に宗教を含む一切の差別をせず、「規約」が認定する諸権利を尊重し保障することを約束した。

「規約」第18条1項では、良心と宗教の自由について、次のように保障している
すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。

しかし本報告書のテーマにより関連があるのは第18条2項の次の文言だ。
何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。


このような規範の下で日本国民は、宗教や信念を自ら選択する自由があり、日本政府は国民がこうした自由を損なうような強制力を被ることがないように保障しなければならない。民間当事者によって強制力が行使された場合にも、この規範が適用される。


第18条3項の下で国家は、以下の内容を保障しなければならない:

  • この中で認められた権利や自由が侵害された何びとでも、有効な救済を受けるべきであり、その侵害が公的立場を有する人物によってなされた場合でも同様だ。
  • そのような救済を求めた何びとでも、適切な資格を有する司法、行政または立法の当局者、または国家の司法制度で委任した適格な当局者によって決められた、司法上の救済を施すための権利を賦与されるべきである。
  • 救済が与えられる場合は、適切な資格を有する当局者に然るべき救済を実施させなければならない。

従って日本政府は、例えば民間の当事者が特定宗派の信者に対して信仰を棄てさせる圧力をかける等の強要行為を禁止しなければならない。そうした強要行為があれば、然るべき救済措置が講じられるようにする責任が当局者にはある。

「規約」の諸規定を確実に実施するため、「規約」第28条に則って「人権委員会」が設置され、国を代表する人権分野の専門家等によって構成された。人権委員会は「規約」に明示された諸権利の実現を託された国際レベルの中心機関であった。

同委員会は「総評(General Comments)」をまとめながら、新たな活動の地平を開いてきた。「総評」によって「規約」諸規定の範囲と意義を説明し、実施段階で生じる一般的な問題を明らかにし整理してきた。

「総評22号」では「規約」が保障した良心の自由に関する権利の範囲と意義を説明している。それは新宗教や弱小の教団も、伝統的宗教と同じ土俵で保護を受けるべきことを明らかにしている。

2. 第18条では、一神教や非一神教の信仰や無神論、および特定の宗教や信念を持つこと、および持たないことの権利を保障している。「信念」や「宗教」という用語は広義に解釈されるべきだ。第18条は伝統的宗教にだけ適用されるのではなく、それらに類似した組織や実践をする宗教や信念にも適用される。そこで同委員会は宗教や信念の如何を問わず、いかなる理由、例えば創設されたばかりの宗教だとか、弱小教団でありながら有力教団にとって厄介な存在であるとか、諸事情があっても、それらを差別することに対して監視している。

従って伝統的宗教の信徒が敵意を露わにした場合、例えばプロテスタント教会の牧師が弱小教団を標的にするような場合、日本政府は「規約」第18条を援用して、そうした弱小教団の信者の権利が尊重されるようにしなければならない。

人権委員会は「総評22号」の中で、さらに以下のように説明している:

5. 宗教や信念を保持し実践する自由は、宗教や信念を選択する自由に含蓄されており、それには現在の宗教や信念を別のものと替えたり、無神論的な見解を持ったりする権利や、個人の宗教や信念を保持する権利を含んでいる。18条2項は、宗教や信念を持つ、あるいは選択する権利を損なわせるような強要を禁止しているが、それには物理的力による威嚇や、刑罰を用いて信仰者または非信仰者を特定の宗教や集団に帰属させようとすることや、宗教や信念を棄てさせたり改宗させたりすることを含む。

従って「規約」が保障する諸権利は非常に明確だ。すなわち第18条は、個人の宗教や信念を保持する権利を保護しており、日本政府はこの権利を現実化しなければならず、それは有力な教団や成人信者の親たちから敵意や懸念を持たれているような信仰であったとしても保障されなければならない。

新宗教や弱小教団の信者に、その信仰を棄てさせ、伝統的宗教に改宗するよう強要すること、例えば物理的拘束や強制的「ディプログラミング」などは、「規約」に照らせば違法である。

「規約」を確実に実施するため、「議定書(第一選択議定書)」が採択され、人権委員会が「規約」で規定されたいずれの権利に関しても、侵害されたと訴える個人から(国内で他の救済措置が見当たらない場合に)連絡を受理できるようにした。この議定書への調印は任意で、日本は調印も批准もしていない。

しかし国連システムのもう一つの人権機関である「人権理事会」は、47カ国で構成された政府間機関だ。世界の人権の促進・保護を強化する責任を担って2006年3月15日の国連総会で設立され、(前身の人権委員会に代わり)人権侵害の状況を報告し勧告を提出することを主要な目的にしている。

2007年に同理事会は、新たに「普遍的定期的レビュー(UPR)」メカニズムを制定し、国連加盟の192カ国全ての人権状況を審査することにした。同メカニズムの下で、全ての国連加盟国は4年ごとに審査を受ける。換言すれば毎年48カ国が審査の対象になる。

審査の基礎文書としては次のようなものがある。1)被審査国提出報告書で、「国家」を作成名義人とする形式を採ることのできるもの、2)特定の国の状況または世界全般に関わる問題について扱うため人権委員会から委任を受けた、国家から独立した人権専門家及び団体の報告書、人権条約上の機関からの報告書、及びその他の国連機構の報告書、3)上記以外の関係者、例えば非政府機関や各国の人権機関からの報告書。

このように非政府機関は、日本での宗教の自由の問題がUPRで取り上げられるよう、人権理事会に報告書を提出できるし、その義務がある。日本に関する次回のUPRは2012年に始まる.

人権理事会はまた、新たな苦情受付手順を設定して個人にも開放し、「世界の至る所で、いかなる状況下でも、執拗なあらゆる人権侵害について、総じて信用ができ確証が可能な形で報告できるようにした。」

しかし人権理事会は、前身の人権委員会と同様に政府間機関なので、「総じて信用ができ確証が可能な」人権侵害に関しては、最近シリアに関して採択された文書のように、政治的な判断がなされやすい。人権委員会の方は専門家の委員から構成されていたので、そこでの意見は独立性が高かった。

2008年5月に実施された日本を対象にした初めてのUPRで、日本の宗教の自由侵害について提起されることはなかった。しかし人権理事会は以下の内容を最初の勧告としてまとめ、日本はその徹底を受け入れた。

日本は以下の人権条約を締結することを検討する:

-市民的及び政治的権利に関する国際規約に関連した第一選択議定書

2011年3月の「中間進捗報告」の中で、日本は次のように示唆した:
「市民的及び政治的権利に関する国際規約に関連した第一選択議定書」に記載されている個人の報告手続きに関して、・・・日本政府は2010年4月に外務省に人権条約施行部門を設置し、当該手続きを受け入れるか否か真剣に検討しているところだ。具体的には、上記の報告手続きを受け入れた場合に、個人の連絡手続きを実施するシステムと、日本の司法制度や立法手続きとの間に齟齬(そご) がないか検討が必要だ。

つまり日本は「第一選択議定書」を採択するよう、国連から圧力を掛けられている。この議定書によって、例えば日本国内での救済措置が期待できない場合は、個人の訴えを人権委員会が取り扱えるようになる。

弱小教団の信者に対する拉致・強制棄教の事件について、日本の裁判所は「規約」の規定を適用する義務があるのだから、日本国民は自らの権利が行使されるよう司法の場で闘い続ける必要がある。

親の心配を正当化する議論のように、同様の障害が立ちはだかってはいるものの、国際的人権規約に比較的忠実な国々では前向きの判例が得られている。



II.関連した判例法

拉致と強制棄教は最初米国で見られた現象で、1970年代と80年代にいわゆる「ディプログラミング」の事件が多数起きた。

目下の日本のように、当初、米国の裁判官はそうした行為に対して制裁措置をとらなかった。その理由は、そうした行動が親たちによって始められ、親たちは「正当な」心配と言われていたものに基づいて、ディプログラマーの関与を求めたとされていたからである



A)米国

以下に述べる数例は、こうした事件に関する法律論の変化を示している。最終的に裁判所は、強制棄教のための拉致という行為が、保護されるべき宗教の自由に抵触し、刑法にも違反すると結論づけたのだ。

スーザン・ピータソン事件

1976年に「真の道(The Way Ministry)」という宗教団体に入っていた21歳の女性、スーザン・ピータソンさんは両親と2人のディプログラマーによって拘束された。その1週間後、ディプログラマーの1人は、もし彼女が非協力的な態度をとり続ければ、彼女を公立障害者施設に送り込む書類が準備されていると脅した。

2週間後に彼女は脱出に成功し、民事訴訟を起こした。1978年2月17日に下された判決はスーザンさんの訴えを認め、ディプログラマーはそれぞれ6000ドルと4000ドルの損害賠償を支払うよう命じられた。

ところが被告側は控訴し、ミネソタ州最高裁判所は次のような判断を示した:「両親やその代理人が、成人した子供の判断能力に問題があると信じて、その子供を宗教または似非宗教と見て差し支えないようなカルト団体から救出しようとして、しかも子供がある段階で、問題とされている行為を受け入れる姿勢を示したなら、子供の移動を制約することは不法監禁と見なすほどに重大な個人の自由の剥奪には当たらない。」

この判例は米国全国で反カルト運動がディプログラミングを正当化する根拠として使われることになった。しかしミネソタ州裁判所が採用した法理論は、その後ミネソタ連邦裁判所が次に挙げるウィリアム・エイラーズ事件で示した判決で覆された。

ウィリアム・エイラーズ事件

1982年8月16日、24歳のウィリアム・エイラーズ氏と、妊娠中の妻サンディ(22歳)は、「主イエス・キリストの使徒(The Disciples of the Lord Jesus Christ)」というカルトに関わっているとの理由で、サンディさんが妊婦診療を受けて診療所を後にしたところを拉致された。彼女の両親は自ら費用を負担して、ディプログラマーの一団を空路、テキサス、カリフォルニア、ペンシルバニア、アイオワ、オハイオなど米国各地から集めた。

エイラーズ氏はディプログラマーらに対して民事訴訟を起こした。被告らは「憲法が保障する言論の自由の権利を行使しただけだ」と主張した。ディプログラマーらはまた、両親の代理人として何ら責任を問われなかったピーターソン事件の判決があるので、彼らが責められる謂(い)われはないと言い張った。ディプログラマーにとってピーターソン判例は、ミネソタに隠れ場を提供したようなものだった。

しかしエイラーズ裁判の判決に当たって、連邦地方裁判所のハリー・マックローリン判事は、エイラーズ氏を不法監禁したという主張について、被告一人一人に対して敗訴判決を下した。判決説明の中でマックローリン判事は次のように言及した:

「原告が実際に監禁されていたことに疑問の余地はない。ミネソタ州最高裁判所の判決(Peterson v. Sorlien, 299 N.W.2d 123, 129 (Minn. 1980))に準拠して、原告が被告らの行為に同意していた証拠があるので監禁は事実上なかったと被告らは主張した。ところが少なくとも監禁4日目まで、原告は逃亡の機会をうかがうために同調したように振る舞っただけだと証言した。原告が同調しているように見えたからと言って、不法監禁を正当化できるものではない。誰しも同様の状況では、監禁者への恐れから、あるいは脱出の手段として同調を装うはずだ。その状況を考慮すると、他の多くの公的機関と同じく当法廷は、原告が同調したように見えるのは不法監禁行為を正当化する理屈にはならないと判断する。(一部省略)当法廷は従って、法律上、原告が不法監禁を主張できる必要条件を示したものと見なす。」

被告らが取り得たであろういくつかの選択肢を示唆した後で、マックローリン判事は、実際に心理的な助けが必要だったとすれば、と語り、次のように指摘した:

「被告らが原告を拘束していた5日半の間に、これらの選択肢のどれをも採用しないばかりか、それらを一顧だにしなかった。(最初の5日間は営業日だった。)むしろ被告らは原告を遠方に隔離し、窓に板を打ち付け、原告が連絡を取れない状態にして、原告に対して被告らの独自で露骨な『治療術』を施した。その手法については被告側の専門家証人でさえも難色を示したものだった。警察が原告を捜索していたことを承知していた被告らは、意図的に原告の居場所を警察の目から隠した。」

このようにエイラーズ事件でのマックローリン判事の見解によって、ピーターソン事件でのディプログラマー弁護の論理は無効になった。ウィリアム・エイラーズ氏は損害賠償として1万ドルを受け取り、さらに彼の家族や他の関係者と5万ドルの和解に応じた。

トーマス・ワード事件

1975年11月24日、トーマス・ワード氏は感謝祭休暇のためバージニアにある家族を訪ねたが、空港で拉致され監禁場所に連れて行かれた。そこでディプログラマーらは同氏を拘束し、脅迫したり、眠らせなかったりした。.

米国連邦地方裁判所は「原告の両親が息子の幸せを思ってしたことなので、訴訟を提起する上で必須の差別的な集団的偏見は存在しなかった」と判断した。しかし第四巡回区控訴審は次のような認定をして原判決を覆した (Ward v. Connor, 654 F.2d 45 (4th Cir. 1981):

「そうした親たちの心配というものを裁判所が配慮すべきか否かは議論しないが、訴状で言及しているように、被告らは単に原告の宗教的信念が受け入れられなかったというのみならず、統一教会信者に対する敵愾心をも動機とした行為に出ている。我々の意見では、これは法の下の訴訟に堪える十分な差別があったことを示している。」

ブリッタ・アドルフソン事件

「コロラド州民」対「デニス・ウェランとロバート・ブランディベリ」のケースでは、ブリッタ・アドルフソンさんのスウェーデン人の両親が雇い入れた2人のプロのディプログラマーが、第一審裁判で「悪の選択」(訳注:より大きな悪を防ぐために小さな悪を選択すること)論を駆使し、彼らは犯罪的な謀議と拉致について有罪ではないと主張した。この弁護の基本は、被告らが主張するように、被害者は入信した宗教団体から「洗脳され」、従って彼女の宗教的信仰には「自由意思」が発揮されていなかった、というものだ。

全米キリスト教協議会は「法廷助言書」を提出し、弁護側が提起している拉致・監禁の必要性の理屈は、ミネソタ州でのエイラーズ事件で用いられたのと同じ弁護論だと指摘した。同助言書は、エイラーズ事件を扱った裁判所は、被告らが他の合法的手段を駆使しなかったと述べているため、エイラーズ事件を引用することよって、「悪の選択」が必要だったとする弁護論を有効に排除できる、と指摘した。

コロラド控訴審は全米キリスト教協議会が「法廷助言書」で展開した主張を採用して、「悪の選択」論による弁護を排除すると決定した。(People of the State of Colorado v. Robert Brandyberry and Dennis Whelan, No. 88-1741, slip op. at 11 (Colo. Ct. App. Nov. 23, 1990)).

ジェーソン・スコット事件

1995年10月3日の判決で米国ワシントン西部地方裁判所は、原告ジェーソン・スコット氏が3人のディプログラマーによって拉致されたことは、スコット氏の公民権を侵害するものだと判断した。陪審員たちは、スコット氏の損害賠償として87万5千ドルを認め、さらに懲罰的賠償金として、3人のディプログラマーに対して300万ドル、そして反カルト団体のCAN(Cult Awareness Network )に対して100万ドルの合計400万ドルを支払うよう命じた。

筆頭格のディプログラマー(ロス氏)とCANは再審を請求し、損害賠償金の減額を求めた。裁判所は以下の理由で請求を棄却した:

「ロス氏は損害賠償金と懲罰的賠償金の両方の金額について抗議をした。ロス氏の主張は要するに、損害賠償の金額を支持する十分な証拠がないこと、懲罰的賠償金の額は不当であること、そして陪審員たちは感情的になって金額を決めたことだという。

スコット氏の家庭生活が破壊されたとする多くの証言があったことと、ディプログラミング後の本人の肉体的感情的事情を考慮すれば、提出された証拠は再審や損害賠償金減額を正当化しないと裁判所は判断した。この際も多くの証人がスコット氏の被害状況について証言した。

懲罰的賠償についてロス氏は、その金額が大きすぎると主張した。特にロス氏は、損害賠償が被害の内容と釣り合わないし、自分が将来の行動を改めることにもつながらないと主張した。裁判所は同意しなかった。裁判所の結論は、被害者が受けた損害とロス氏の行動との間には十分な関連があるのみならず、陪審員たちが裁定した懲罰的賠償を妥当とするというものだ。上記のように証拠は多額の損害賠償を支持した。さらにロス氏は、スコット氏拉致計画に積極的に加わり、同氏を手錠やダクトテープで縛り、強制的に留置して、同氏の宗教的信仰を貶め続けたのである。

ハスリップが述べているように、累犯を抑えるためにも、刑の軽減事由のためにも多額の懲罰的賠償は必要だ。特に裁判所が指摘したのは、ロス氏自身が証言したように、本人は過去にも同様の行動をしていたし、将来も「ディプログラミングを継続する」と言明した。またロス氏は本件以降、彼の行動について刑法上も民法上も責任を問われることはない。

最後に、裁判所が重視したのは、各被告がスコット氏に対する行為の罪の重さを理解していないらしい点だ。訴訟全体を通じて被告らは、スコット氏側の弁護士が提起した争点のおかげで被告らが迷惑を被っているかのように振る舞った。従って、陪審員がCANとロス氏に示した多額の賠償請求は、被告らの行動を抑制しようとする陪審員の決意を実現し、将来同様の行動を採らせないために妥当なものだったと思われる。

そのような理由で裁判所は、損害賠償と懲罰的賠償の両方とも妥当なものであり、証拠に照らして十分に根拠があるものだと判断した。」

この判決に対して被告は控訴したが、控訴審は地方裁判所の原判決を追認した。累犯を許すまいとの裁判官の意思は、後日、CANが破産し解散することで達成された。



B) ヨーロッパ

ヨーロッパでも類似の判決が裁判所で言い渡され、親たちも刑事訴訟を免れなかった。ここにいくつかの事例を挙げておきたい。

ドイツでは、2人の英国人ディプログラマーが、32歳のバーバラ・Sさんという「サイエントロジー」会員を説得して、ヘルシング村の同教団組織を辞めさせようとして、不法監禁・傷害罪でそれぞれ懲役3カ月と懲役5カ月(執行猶予)の判決を受けた。母親は口実を設けてバーバラさんをミュンヘンからヘルシング村に来させ、2人の英国人は脱会させるため彼女を保養所に隔離して「治療をした」。

2人のディプログラマーは、母親の指示で行動しただけだと言い張った。しかし責任を母親だけに着せようとした2人の陳述は、裁判所に採用されなかった。

1987年12月29日の判決で、上ババリアのウェルヘイム地方裁判所は、被告らが「共謀して不法監禁と傷害を犯した」ことについて有罪とし、それぞれ3カ月と5カ月の懲役刑(執行猶予)を宣告した。

彼女の母親は後に別途起訴されたが、精神的混乱を理由に、2000ドイツマルクを罰金として支払うことで起訴手続きは中断された。

スイスでは1989年3月に、ハレ・クリシュナ運動に参加していたサンドロ・P氏が、両親の指示を受けた4人の男性に拉致された。両親はスイスの反カルト組織SADKの会員だった。彼らの目的はサンドロ氏にディプログラミングを受けさせることだった。ディプログラマーの中心だった英国人は、その後、6カ月の懲役刑(執行猶予)を受け、両親は10カ月の懲役刑(執行猶予)を宣告された。

フランスでは2011年8月にニースで、夫婦が24歳の娘を車に押し込んで手錠をして薬物を与えた上、車椅子に乗せてコルシカ島に移送した。この両親は反カルト団体から教えられたとおり、「アントイニズム」を信仰していた男友達の影響を絶つため娘を引き離したと主張した。両親は翌9月に、娘に対する拉致と隔離の容疑で告発された。

欧州人権裁判所は「欧州人権条約」を実施させる機関だが、この条約には欧州の47カ国が調印・批准しており、「規約」と驚くほど似た宗教と良心の自由規定が盛り込まれている。欧州人権裁判所が示した判断によると、国家は民間当事者による強制棄教を目的とした拉致を容認することも、それに関与することもできない。

「リエラ・ブーム等」対「スペイン」の係争で1999年10月14日に下された判決によれば、拉致と「ディプログラミング」が被害者の両親と反カルト団体「Pro Juventud」により実行されたが、同人権裁判所はスペイン国家による協定違反と判断した:

29. 論議の余地なき事実陳述から分かったことは、判事の指示によって、カタロニア警察官らが警察車両を使って原告らをバルセロナから約30キロ離れたホテルに移送したことである。そこで原告らは家族の手に渡され、雇い入れられた人々の監視の下で個室に入れられ、各部屋には1人の監視人が常駐し、最初の3日間は部屋からの外出が許されなかった。各部屋の窓は固く閉ざされ、木板とガラス枠が取り去られていた。ホテルにいる間、原告らは「Pro Juventud」が手配した心理学者と精神病医によって「ディプログラミング」を受けた模様だ。

35. 上記から裁判所の判断するところ、国家当局者は一貫して原告が自由を奪われていたことを了解していた。原告が自由を奪われていた10日間、直接の監督責任は原告らの家族と「Pro Juventud」にあるのは事実だが、カタロニア当局者の積極的協力なしに原告らの自由剥奪はあり得なかった。本件で訴えられている事項の最終的責任は当該当局者にあるので、裁判所は協定第5条1項の違反があったと結論づけた。

欧州人権裁判所はまた、ある人が選択した宗教について親族がいかに反感を持ったとしても、宗教の自由は保護されなければならないと判断した。

「エホバの証人モスクワ支部」対「ロシア」の裁判で、実に画期的な判決が2010年6月10日に出された。裁判所は個人の人生を各自の選択で生きる権利、特に宗教的な自己献身の権利を再確認した。

欧州人権裁判所の判断は次のようなものだ:

111. 証人らによれは、ロシアの裁判所によって「家庭破壊の強要」を構成すると判示された事例は、エホバの証人の信者ではない家族たちの不満に由来したようだ。家族らは、エホバの証人の信者たちが教理・教条に則って人生設計をしている姿を不愉快に感じていたのと、彼らが地元社会から疎んじられ孤立を深めることに対して、複雑な思いを抱いていたようだ。宗教的人生は戒律の遵守や自己献身を要求する。相当の時間を捧げることもあれば、修道のような極端な形を取ることもある。キリスト教では大方の教派にそうした実践があり、仏教やヒンドゥー教にも若干ながら存在する。宗教への献身が信者の自律的で自由な意思の現れである限り、それによって家族がどれほど不愉快になり不和に陥ったとしても、宗教そのものが家庭崩壊をもたらしたと解釈するのは無理がある。実際には多くの場合、逆こそ真理だ。つまり家族の中でも非宗教的な人たちが、宗教的な家族の信仰告白や実践の自由を尊重することができず反発するところに葛藤が生まれるようだ。配偶者同士が異なる宗派に属しているとか、どちらかが非信者であると、結婚生活が往々にしてギスギスしたものになる。それは異宗教間の婚姻によくあることで、エホバの証人だけが例外なわけではない。(強調は加えられたもの)

エホバの証人の活動禁止を正当化するために、ロシア当局は「洗脳」批判を持ち出した。しかし欧州人権裁判所は「洗脳」という概念が法律上は認知されておらず、確信的な信者には全く見当はずれだと判断した。

128. またロシアの裁判所は、申請者である団体(訳注:エホバの証人)が心理的圧迫を加え、「マインド・コントロール」の手法を用いたり全体主義的な規制を課したりして、市民の良心の自由権を侵害したと判断した。

129. 「マインド・コントロール」とは何か。一般に受け入れられている科学的定義はなく、各国の判決でこの用語を定義する試みもなかった。そうした事実を脇に置いても、マインド・コントロールの手法で良心の自由権が侵害されたと主張する個人の具体的な名前を挙げた裁判所がなかったことは注目すべきだ。検察の専門家が、そうした手法で強要され特定の教団に加入させられたと訴えた人を聴取したことがあるだろうか。むしろ個々の申請者や申請者である団体の他の信者らが法廷で証言したように、信者は自発的かつ自覚的に宗教を選び、エホバの証人の信仰を受け入れた後も、その教条に自由意思で従ってきたのだ。

同じことは日本の新宗教の信者にも適用できる。彼らは自由意思で特定の宗教に帰依した。家族の「心配」を声高に訴え、改宗を「洗脳」と言い換えてみたところで、拉致や強制棄教の企てを正当化することはできない。

これらの行為は宗教や良心の自由権の侵害であり、拉致そのものであり、国際的な人権法規や各国の刑法からみても違法行為なのである。

  • 我らの不快な隣人

    ルポライター米本和広氏が、拉致監禁によって引き起こされたPTSD被害の実態をレポート。

    ►第6章 掲載
  • 人さらいからの脱出

    世にも恐ろしい「人さらい事件」に関わった弁護士、牧師、マスコミ人らの非道な実態を実名で白日のもとにさらす。

    ►書籍紹介
  • 日本収容所列島

    いまなお続く統一教会信者への拉致監禁。小冊子やパンフレット、HP等で告知してきた内容をまとめました。

    ►書籍紹介

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