
●家庭連合信者に対する拉致監禁とは
過去50年にもわたって、4300人以上の旧統一教会信者が拉致監禁され、棄教強要を受けるという甚大な人権侵害が野放しにされてきました。
「警察も助けてくれない。一生ここから出られないという絶望感だけがあった」
「本当に地獄のようです。二度と経験したくありません」
(被害者の声)。
その凄惨な被害と悪質極まりない加害者グループのことをぜひ知ってください。
被害者ー凄惨な虐待ー
・監禁現場で自殺、飛び降りなども
・トラウマや鬱、PTSDなど、深刻な後遺症
暴力的な拉致によって、無制限の監禁生活が突如として始まる。監禁中は一切外に出られず、外部との連絡も一切許されない。高熱が出ても病院にさえ連れて行ってもらえない。暴力や食事制裁を受けることもあり、刑務所よりも酷い。
脱会屋は無期限の監禁を推奨しており、監禁生活は信者が家庭連合の脱会を決意するまで継続する。監禁中、信者は脱会屋からおぞましい悪口を毎日聞かされ続ける。精神的なストレスは尋常ではない。
人間としての尊厳や人権が完全に蹂躙される中で、精神を正常に保つことが困難となる。多くの信者が「精神が破壊され、改造される」という事態に直面する。耐えられず自殺した女性信者も存在する。
拉致監禁の被害者は7割が統一教会を離れ、3割が教会に戻った。戻ってくることができた3割はマンションのベランダから飛び降りるなど危険を冒し脱出するか、偽装脱会に成功したケースである。
偽装で脱会するにしても、拉致監禁から解放されるためには「踏み絵」をクリアしなければならない。「踏み絵」とは、①仲間の信者を売る(信者の名前と所属を教える)、②別の信者に対する脱会行為(棄教強要)に加担する、③献金を取り戻すための損害賠償請求で家庭連合を訴える、など。これらを拒めば偽装脱会を疑われるため従うしかない。監禁下の信者の自由は著しく侵害されている。
拉致監禁による精神的・身体的後遺症は深刻である。監禁から奇跡的に脱出できた信者は「脱出後の数ヶ月間は恐怖のあまり、一人で外出することができなかった」など証言している。今でも、トラウマや PTSDに苦しんでいる被害者は少なくない。
加害者ー悪質な拉致監禁ビジネスー
・最も悪質な脱会屋(宮村峻など)は親心を利用して金儲け
・脱会屋牧師らは全国組織を作り、拉致監禁をマニュアル化
・脱会屋牧師の中には、脱会者した元信者を自身の教会信徒へ(効率的な伝道方法として利用)
・家庭連合を敵視する日本共産党と日本基督教団は拉致監禁を積極的に支援
・脱会屋と全国霊感商法対策弁護士連絡会(紀藤正樹、山口広など)の悪質な役割分担
〈悪質な脱会屋〉
脱会屋は信者の親に対して「このままでは子供は犯罪者になる※1」などと不安を煽り、信者家族に対して拉致監禁を教唆する。実際に拉致監禁を行うのは信者家族だが、その背後で脱会屋が指示、指導する。
※1: 家庭連合(旧統一教会)は設立から60年間、刑事事件が一件も存在しない。「犯罪者になる」とは拉致監禁を正当化するための「脅し文句」にすぎない。
脱会屋の中には信者の親から数百万円を超える謝礼や経費を受け取ることもある。40代夫婦が共に拉致監禁された事件(2014年)で棄教強要を行った神戸真教会の故・高澤守氏のケースでは、彼の口座に信者の親から300万円が振り込まれていた。この事実は裁判でも認められた。
他のケースでは、脱会屋の宮村峻氏は拉致監禁(脱会屋は「保護説得」という)のための勉強会を開催して、100人を超える親が参加していた。勉強会から入る収入だけで、宮村氏は月に数百万を稼いでいた。他にも、親が脱会屋に現金を渡していたという証言は数多く存在する。
「原理運動対策キリスト者全国連絡協議会」の発足会が1987年10月に行われ、その場で「棄教強要マニュアル」が共有された。マニュアルには「両親は説得者(脱会屋)の許可なく外出しない。この事実は家庭連合信者の子どもには絶対に言わない」「監禁開始から一週間は4人で、その後は3人で監視する」など拉致監禁のやり方を詳細に紹介している。また、脱会屋・田口民也著『統一協会 救出とリハビリテーション』(1994年)にも拉致監禁の具体的なやり方が詳細に記述されているが、出版社はキリスト教系の「いのちのことば社」である。
〈元信者を自身の教会へ取り込む脱会屋牧師〉
偽装脱会中の家庭連合信者は脱会屋牧師の教会で礼拝などに参加することになる。そこには家庭連合の元信者が少なからずおり、元信者のコミュティができていることも少なくない。そのような証言は数多く存在する。
1978年4月の京都府知事選では、家庭連合の友好団体である勝共連合の活躍により、共産党が敗北した。これを受けて宮本顕治委員長(当時)は「勝共連合を退治する」「彼らの活動の余地が存在し得ないように追求する」と宣言した。同年から1986年まで、棄教目的で家庭連合信者を共産党系の精神科病院に強制入院させる事件が多発した。(86年2月に被害を受けた信者が民事裁判で勝訴したことで事件は終息。その後、脱会屋牧師と親族が結託してマンションに監禁する事件が増加した)
日本キリスト教団は1988年3月、「統一教会問題を宣教課題に」(「キリスト新聞」同年4月9日号)の方針で、反家庭連合活動に教団として取り組むことを決議した。これ以降、監禁事件が激増した。
全国霊感商法対策弁護士連絡会(紀藤正樹、山口広、渡辺博ら)が1987年に発足したが、目的は霊感商法被害者の救済ではなかった。1986年10月に渡辺弁護士は「霊感商法による被害者は1人しかいないので、マスコミに取り上げてもらい、被害者を発掘することになった」と発言していた。
1987年10月の講演会でも、朝日ジャーナルの伊藤正孝編集長が「壺の購入者で被害を訴えているのは5%未満」と話している。
山口広氏は同連絡会(以下、霊感弁連)の発足当初から「統一教会の宗教法人認可を取り消しよう文部省(当時)に要求していきたい」と話していた。
霊感弁連と脱会屋は密に連携していた。家庭連合の60年の歴史で、家庭連合が被告になった民事裁判は約170件だが、そのほぼすべて(98%)において霊感弁連が原告を代理している。1990年代などはインターネットがない時代だ。全国的な「被害」が本当にあったのであれば、「被害」者は地元の身近な弁護士を頼るのが自然である。98%という不自然な数字が脱会屋の全国組織と霊感弁連が密に連携していたことを物語っている。
1966年 森山諭牧師(荻窪栄光教会)が統一協会信者を拘束して棄教強要を始める
1976年 森山が「統一協会問題対策セミナー」を開催。一部の福音は牧師に監禁による棄教強要の手法を伝授
1978年 共産党が勝共連合(+家庭連合)を強烈に敵視。以後、共産党系精神病院への強制入院事件が相次ぐ
1987年 2月「霊感商法」撲滅キャンペーンを朝日新聞らが開始。
5月全国霊感商法対策弁護士会(霊感弁連)が発足。
10月に原理運動対策キリスト者全国連絡協議会が発足。発足会で棄教強要マニュアルが発表され、14人の牧師らが共有した。
1988年 日本基督教団が反家庭連合活動に教団として取り組むことを決議。
1992年 国際合同結婚式に有名芸能人が参加し、マスコミが過熱報道。
1995年 オウム真理教の「地下鉄サリン事件」に便乗し、統一教会批判報道。
1999年 拉致監禁被害者が親族や牧師らを提訴。以降、監禁事件が徐々に減少。
2014年 広島の夫婦が拉致され、大阪のマンションに監禁。5日後に警察が突入して解放された。刑事告発後の捜査中、首謀者と見られる高澤守牧師が自殺、民事訴訟で勝訴。
2015年 12年5ヶ月の監禁事件について、後藤徹氏が最高裁で勝訴。脱会屋の宮村峻と松永堡智牧師の不法行為が認められ、総額2200万円の賠償請求が認められた。以後、拉致監禁事件は終息する。
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1966年 | 森山諭牧師(荻窪栄光教会)が統一協会信者を拘束して棄教強要を始める |
1976年 | 森山が「統一協会問題対策セミナー」を開催。一部の福音は牧師に監禁による棄教強要の手法を伝授 |
1978年 | 共産党が勝共連合(+家庭連合)を強烈に敵視。以後、共産党系精神病院への強制入院事件が相次ぐ |
1987年 | 2月「霊感商法」撲滅キャンペーンを朝日新聞らが開始。 5月全国霊感商法対策弁護士会(霊感弁連)が発足。 10月に原理運動対策キリスト者全国連絡協議会が発足。発足会で棄教強要マニュアルが発表され、14人の牧師らが共有した。 |
1988年 | 日本基督教団が反家庭連合活動に教団として取り組むことを決議 |
1992年 | 国際合同結婚式に有名芸能人が参加し、マスコミが過熱報道。 |
1995年 | オウム真理教の「地下鉄サリン事件」に便乗し、統一教会批判報道。 |
1999年 | 拉致監禁被害者が親族や牧師らを提訴。以降、監禁事件が徐々に減少。 |
2014年 | 広島の夫婦が拉致され、大阪のマンションに監禁。5日後に警察が突入して解放された。 刑事告発後の捜査中、首謀者と見られる高澤守牧師が自殺、民事訴訟で勝訴。 |
2015年 | 12年5ヶ月の監禁事件について、後藤徹氏が最高裁で勝訴。 脱会屋の宮村峻と松永堡智牧師の不法行為が認められ、総額2200万円の賠償請求が認められた。 以後、拉致監禁事件は終息する。 |
警察やメディアー社会的使命を果たさずー
・検察は被疑者を一度も起訴せず
・メディアは拉致監禁を報道しないので、社会問題化せず
以下のページをご参照ください。
拉致監禁被害者の証言
都内病院内科医の小出氏は1992年、突然、親族から拉致監禁される。
「入院患者15名を抱える自分が、まさか拉致監禁されるとは…」
脱会屋(宮村峻氏)の強い影響下で、父親は冷静さを失っていた。「父に殺されるかもしれない」。小出氏はやむなく「偽装脱会」(監禁から解放される為に脱会を装う)に踏みきった。
その後、宮村氏と父親は教団関係者を裁判で訴えるように小出氏に迫った。偽装脱会中で監禁・軟禁下にあった小出氏に選択権はなかった。そこにやって来たのは全国霊感商法対策弁護士連絡会の紀藤正樹・山口広 弁護士だった…。
拉致監禁・強制改宗 数々の証言と証拠
以下のページをご参照ください。
メディアと脱会屋の繋がり
「宮村峻氏はメディアに大きな影響力」有田芳生氏が発言(立民党ヒヤリング )の記事で詳しく解説しています。