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冊子・ビラ・書籍
冊子「拉致監禁」シリーズ 1 痛哭と絶望を超えて
2 拉致監禁による強制棄教事件の歴史
反対牧師が暗躍した43年間を概観すれば、4つの期間に区分できる。
第I期が1966年~76年まで。この期間は、森山諭牧師が福音派の立場から「統一教会は異端」という動機をもって強制改宗を始めた。翌年7月7日、朝日新聞夕刊に「親泣かせ原理運動」の記事が掲載され、不安をあおられた親族が森山牧師に相談して事件が増える。76年3月4~6日、森山牧師が東京・八王子大学セミナーハウスで「統一協会問題対策セミナー」を開催し、監禁して説得する改宗法を他の牧師に伝授する。
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第II期が1976年~87年まで。この期間は森山牧師の他、船田武雄牧師、高澤守牧師、和賀真也牧師、村上密牧師などの福音派牧師が多数加わり、事件が増えた。
この時期、見逃せないのが日本共産党の動きである。共産党は日本赤化を目指してきたが、78年4月、統一教会の友好団体・国際勝共連合の活躍で、共産党は京都府知事選で敗北。これを受けて、宮本顕治委員長(当時)は「勝共連合との戦いは重大。大衆闘争、イデオロギー、国会、法律の各分野で…共同して、全面的な戦いにしていく必要がある。…勝共連合退治の先頭に立つことは、後世の歴史に記録される『聖なる戦い』」(「赤旗」78年6月8日号)と宣戦布告した。
これに呼応するかのように、同年11月3日、大学教授、ジャーナリスト、弁護士、牧師、国会議員らが連携し「原理運動を憂慮する会」を発足。その会を背景に、日本基督教団の浅見定雄氏、川崎経子牧師らが反対活動に乗り出した。
1978~86年、棄教目的で、信者を共産党系の精神病院に強制入院させる事件が多発した。しかし86年2月、被害を受けた信者が、民事裁判で勝訴し、精神病院を使った事件は終息。しかし、反対牧師と親族が結託して行う監禁形態をとる強制棄教事件は、警察も取り締まらないため続行され、年々事件が増加した。
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第III期は1987年~97年まで。「スパイ防止法制定」の動きに危機感を募らせた左翼陣営が、統一教会および国際勝共連合を壊滅に追い込もうと「霊感商法」キャンペーンを開始(87年2月14日、朝日新聞)。その報道で不安をあおられた親族が反対牧師に相談し事件が増加する。また、日本基督教団は88年3月、「統一教会問題を宣教課題に」(「キリスト新聞」同年4月9日号)の方針で、反統一教会活動に教団として取り組むことを決議(呼びかけ人は桑原重夫牧師)。以降、事件が激増する。93年3月の山崎浩子さんの失踪事件の頃には、年間300件を超える事件が起こる。
また、この期間、元信者が反対牧師や弁護士らと結束し、統一教会つぶしのための裁判「青春を返せ裁判」「婚姻無効裁判」を展開した。
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第IV期は1997年~現在まで。強制棄教の暴挙を諌める者がだれもいない中で、97年、鳥取教会襲撃事件、路上での拉致事件、監禁された女性が自殺する事件など、悪質な事件が発生する。
鳥取教会を襲撃され、1年3か月間の長期の監禁被害に遭った富澤裕子さん、および路上拉致の被害に遭った今利理絵さんらが、牧師を相手に提訴。これを機に事件の件数が徐々に減少した。
富澤さんの民事裁判は、牧師も監禁事実を認め、勝訴。しかし、今利さんらの民事裁判は、牧師が監禁事実を否認し、敗訴する(今利さんの裁判では、最高裁が親族に対し異例の和解勧告をし、和解)。事件は終息せず、その後も起こり続ける。
そうした中で、2008年2月10日、後藤徹氏が12年5か月の長期監禁から逃れてくる。現在、後藤氏は刑事の訴えを起こしている。
1 痛哭と絶望を超えて
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