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冊子「拉致監禁」シリーズ 2 その時警察はどう動いたか

5 監禁を二度も黙認した警察

宮腰美千代

偏向報道に煽られ、両親が猛反対

1987年6月のことでした。

「最近帰りが遅くなったけど、これに入っているんじゃないの?」

朝日新聞に掲載された統一教会批判記事を読んだ母が、私にこう尋ねました。

1か月前、統一教会に入会願書を出した私は、どう答えたらいいか一瞬迷いました。「怒らないから言ってごらん」という言葉に、私が「そうです」と答えると、母は手のひらを返すように「お父さんが知ったらただじゃおかないわよ」と恐い顔をし、信仰をもつことに反対しました。その後、1年半ほど黙認状態が続きました。

両親は宗教性に乏しく「宗教は弱い人がするもの、神様などいるわけない」と決め付けていました。私は1988年11月初旬、就職先を紹介してくださった先生と話し合い、決まっていた就職を断ることにして、翌年1月1日、統一教会の活動に専従したい旨を両親に伝えました。以後2か月間、両親の猛反対に遭いましたが、3月はじめ、両親に豊中教会(大阪府)に来てもらい、教会長から直接統一教会の説明を聞いてもらいました。

父が「娘を教会にあずけましょう」と言ったため、89年4月1日、私は統一教会活動に携わることができるようになりました。その後、両親をケアするため豊中教会の親交会の方が、私の自宅を何度か訪ねてくださいました。しかし両親は感情的になることが多く、信仰を理解することは難しい状況でした。

その後、私は東京の配属となりましたが、両親は91年1月頃から月一度のペースで電話をかけて来るようになりました。あるとき「事業が大変だから戻って来て欲しい。お金が大変なんだ」と言ったため、心配した私は3万円を家に送ったこともあります。後で分かったことですが、それは私を家に連れ戻す口実に過ぎず、お金は机の引き出しにそのまま置いてありました。

92年1月、祖母が入院し、その看病のため1か月ほど家に帰りました。同年6月には、3万双の国際合同結婚式に参加することを伝えるため家に帰りました。その後、山崎浩子さんの入信報道から始まった統一教会および国際合同結婚式に関するマスコミ報道が過熱していきました。もともと宗教に批判的だった両親は、反対牧師、元信者、左翼ジャーナリストらが流す偏向報道に煽られ、統一教会を目の敵にするようになりました。

そんな8月13日の明け方、夢を見ました。ある部屋のドアを開けると長机があり、そこに文鮮明先生が座っていました。私が向かい合って座ると、文先生が「地球に占める海の広さはどのくらいか?」と質問され、「7割です」と答えました。文先生が近くに立っていた人に耳打ちされる場面で目が覚めました。その日、教会責任者から「祝福の相手が決まった」と言われました。相手は韓国人でした。

普通なら両手を挙げて喜ぶところですが、私はとっさに両親の顔が脳裏に浮び、「これは大変なことになる」と身震いしました。私は、実家に帰って報告することに不安を覚えました。なぜなら全国で拉致監禁事件が多発しており、他人事と思えなかったからです。

私を伝道した人もその時、拉致監禁被害に遭っており(後で戻って来ましたが)どこにいるか分からない状況でした。そのような事情から、両親には電話で伝え、8月25日の3万双国際合同結婚式に参加するため韓国に出発しました。私は帰国後、手紙で祝福について説明し、両親に報告しました。しかし、反対派の批判を真に受け「祝福は金儲けの手段」と決めつけていた両親に、祝福のすばらしさを理解してもらうのは困難な状況でした。

父から電話が頻繁にかかり、「母が自殺した」と嘘までつく状況となりました。私は責任者と相談し、同年9月10日、家に戻ることにしました。

何とかして両親を伝道しようと思いましたが、父は酒を飲んでわめき、私の話をまともに聞いてくれようともしません。挙げ句の果てに、統一教会に電話をかけ「娘が辞めたがっているので脱会届を送って欲しい」と勝手に電話する始末でした。

私は、母に理解してもらおうと統一教会の書籍を紹介し、韓鶴子女史が来日された際にはその講演会に誘いましたが、無視されました。

私は統一原理と出合うまで両親を尊敬できないところがありました。こんな家には居たくない、家を出るか死ぬかどちらかにしようと思っていたほどです。しかし統一教会の教えを学び、両親を尊敬しなければならない、統一原理の良さを知ってもらって両親を祝福に導きたいと願って接していましたが、無視されたのです。

私は本当にがっかりしました。そして、私の家庭の状況を夫に伝えようと思い、3月3日から5日まで韓国へ行く飛行機のチケットを予約しました。

93年2月はじめ、母は大阪府高槻市の市民相談室に行き、弁護士から「大阪栄光教会の松沢牧師がいい」と言われ、反対牧師を紹介されたそうです。このことは監禁中に母が話してくれました。父は2月27日に祝福の話を聞く約束をし、豊中教会の親交会の人と会うことになっていました。しかし、それは私を油断させるための罠だったのです。


2 その時警察はどう動いたか
  1. まえがき
  2. 拉致監禁事件に終止符を打つため、両親・牧師を告訴 今利智也・理絵夫妻
  3. 三度の拉致体験 監禁行為に荷担した警察官 小林宗一郎
  4. 人権を無視した拉致監禁 許せない 静岡在住 M・S
  5. 監禁を二度も黙認した警察 宮腰美千代
  6. 桧田仁議員「警察は見て見ぬふり」
    田中警察庁長官「親族間でも厳正に対処」
    平成12年4月20日 衆院決算行政監視委員会での質疑応答要旨
  • Our unpleasant neighbors

    Mr. Kazuhiro Yonemoto, a reporter, documents the truth about PTSD victims as a result of kidnapping and confinement.

    ►Chapter 6 excerpts
  • Escape from kidnappers

    This book reveals the cruel actions of lawyers, pastors, and media people, in their real names.

    ►Book review
  • The Japanese Concentration Camp Islands

    This book is a compilation of booklets, pamphlets and information uploaded on websites.

    ►Book review

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http://kidnapping.jp/m/
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