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世界学生新聞 号外 1993.5.15
インタビュー
宗教運動に関するアメリカ会議会長 マーティン・ボーデロン氏
プロフィール
ルイジアナ生まれ。ベネディクト修道院に学び修練を受ける。アメリカ・カトリック司教会議国際間題長官、ユニセフ上級問題役員などを歴任。モンセニョールの称号を受け、教皇随員。その後、ACRM(宗教運動に関する.ア.メiリカ会議〕を創立。現在会長。
「米国民はディプログラミング(強制改宗)に反対している」。日本では今でも統一教会の信徒が強制的に改宗を迫られているケースが頻発しているが、このほど訪日した米国のマーティン・ボーデロン氏は」、強制改宗の世界的な状況を語った。
(インタビゴ.アーは外交評論家の井上茂信氏)
別の方法で解決が常識
米国ではディプログラミング(暴力改宗)が減ってきているというが、その理由は何か。
ボーデロンニつの理由がある。第1は、憲法に違反するからだ。法律違反は刑務所に入れられる。米国民は裁判所に訴えることを恐れないからである。
第二は、もっと重要であると思うが、ディプログラミングは米国の主要な宗教や教会から非難されているからである。しかも、そうした非難は一般国民からの支持を得ている。ディプログラミングのような行動をとって何かが解決するとは、国民は信じていない。
無論、その教会が正しいとか、やっていることを支持するといった事ではないが、何か問題があれば、強制的な改宗といったものではなく、もっと別の方法で解決されるべきである。それが国艮の共通の理解である。
統一教会員の誘拐事件 高等裁判所が鉄槌下す
陪審員1人が偏見持つ
ボーデロンぞれはスカンジナビア出身の女性に関する事件だ。その女性は二十八歳の時に誘拐された。
統一教会に入ったのはその八、九年前だったが、その親はいまだに統一教会に入ったことを認めることができず、ディプログラマーを雇った。ディプログラマーは、その女性が日曜に歩いているところを捕まえて山に連れて行き、三週閻ディプログラミング教育を施した。そして別の場所に移そうとしたとぎに彼女は逃げ出した。
彼女は誘拐されたといって、裁判所に訴えた。下級裁判所で陪審員の十二人は、「統一教会に入っていることの方がより悪であるから誘拐した」という犯人の主張を認めた。こうして、誘拐にかかわった人々は自由の身とされた。
だが、その裁判の後、陪審員の一人が統一教会に儒見を持っていたことが明らかになり、高等裁判所は下級裁判所の判決を逆転する判決を下し、有罪が確定した。
世界の宗教界が非難 神の与えた個人の自由尊重
成人すれば独立した人間 家族も干渉できぬ
バチカンは65年に教令
米困内の一般の宗教界は、ディプログラミングについて反対しているというが、世界の宗教界はどうなのか。例えば、カトリック、プロテスタントはどうか。
ボーデロン:もちろん反対している。バチカンは一九六五年、第ニバチカン公会議で、宗教の自由の教令を発表している。これは宗教の多元主義(プルーラリズム)についてこれまで発表された中で、最高の内容を持っているものと考える。
米国のNCC(米国教会協議会)やWCC(世界教会協議会)もディプログラムや強制改宗を非難する種々の声明を発表している。
つまりプロテスタントのWCCなどもディプログラミングについて反対しているということか。
ボーデロン:その通りだ。黒人間個入の良心は神の与えたものであり尊重しなければならない。キリスト教とか仏教とかを問わず、あらゆる宗教はその個人が信じるものを認めなければならない。他から強制されるものであってはならない。それが世界的な基準である。
例えば、テープレコーダーを神とする新しい宗教を私達がつくったとしよう。
毎日曜日の朝十時に集まって、その神を礼拝する。他人から見れば、それがばかげていることであったとしても、尊重されなければならないというのである。
今では例外中の例外に
それがナンセンスであったとしてもか
ボーデロン:その通り。あなたのナンセンスは、私にとっての教義なのである、あなたの教義は私のナンセンスなのである。主要な宗教間では、教義については合意はない。だが、お互いに宗教を尊重するということでは合意している。
ただし、.毎週土曜日に集まって、麻薬の売買について話し合うとすると宗教の濫用である。
ディプログラミングは全くなくなったというのか。
ボーデロン:ディプログラミングは今も起こっている。しかし、そうしたことは例外中の例外になっている。
マスコミの活動についてはどうか。日本のマスコミはディプログラミングに焦点を当てて報じるので、ディプログラミングが正しいことだと映る。
ボーデロン:新しい宗教は一般飽に国民に受廿入れられ難い。統一教会やハリクリシュナなどについて言えぱ、これらは外国、つまり韓国やインドから渡ってきたもので、行勤や態度は、他の宗教から見れば奇妙に見えるだろう。しかしそれはどの他の宗教界にも言えることだ。その宗教に何か奇妙なことがあれば、メディアは関心を抱く。だからといってメディァは偏向報道をしていいということにはならない。