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Aさんの婚約者、李張煕(イ・ジャンヒ)さんが訪日
昨年12月13日に連絡が途絶え、行方が不明となったAさん(光州教会所属)の婚約者、李張煕(イ・ジャンヒ)さんが6月21日〜23日にかけて、韓国から訪日しました。Aさんの居場所が判明したとの連絡を受けてのことです。
韓国領事館を訪れた李張煕(イ・ジャンヒ)さん
Aさん側からは、4月末に脱会届と祝福破棄通知。そして、5月末には家族が世田谷教会に荷物を取りに来ていました。しかし、教会の責任者や李さんは勿論のこと、行方不明届けが受理された東京・上石神井署ですら、Aさんに対する直接の意思確認は成されていないことから、彼女がいまだ信仰を保ちながら「偽装脱会」を試みている可能性は捨てきれません。
李さんは、東京に到着するなり
「寝ても覚めてもAさんのことばかり考えて過ごしてきました」
「Aさんの居場所はどの辺りですか。ここからの距離は?今すぐでも訪ねたいです」と語り、新婚生活をスタートする直前に目の前から姿を消した婚約者への焦慮を吐露しました。
李さんは、その日のうちに東京・石神井署へ。同署では、昨年、「Aさんが(家族ごと)失踪」という信じ難い連絡を受けて緊急訪日した李さんが、行方不明届けを提出しようとしました。一方、同署は「婚姻関係にない」理由で受理を拒否。しかし、後に一転して、同署長名で行方不明届を提出および受理をしていました。後に、それは国際問題に発展し、警察による加害者擁護、あるいは職務怠慢の糾弾を受ける可能性から、体裁のみ取り繕うための処置であったことが推認されました。
李さんは、先ず、事件発生当時に事情聴取を担当した與語係長に進捗を訪ねましたが、「特にない」との返答。李さんが
「Aさんが監禁された場所を見つけたので、是非、立ち会って欲しい」と伝えると、
「法律から見てそのような行為はできない」とはっきりと拒否。
「しかし、そこまで言うのなら民事裁判などの手続きを踏むしかない」等のアドバイスにとどめました。警察はこれまでにも、李さんや教会側にAさんに関する情報提供を一切行なっておらず、その理由として
「行方不明届けの提出者ではない。情報提供する義務はない」と答えています。しかし、長時間にわたって直訴する中で、行方不明届けは、
「昨年末にAさんの身内から電話があり、処理済みとなった」事実を明らかに。またしても「両者を離した状態でそれぞれ意思を確認する」、と明言した中井国家公安委員長(当時)の答弁(昨年5月の参議院法務委員会)は反故にされたことになります。
翌6月22日、李さんは先ず、この件に対して全面的に協力してくれている韓国領事館へ。その後、午後に彼女が軟禁されていると思われるマンションの所轄とする高井戸署を訪ねました。ここでも、生活安全課の警察官に事件の経緯を説明し、警察による立ち会いを求めましたが、石神井署同様、協力を得ることはできませんでした。
婚約者であるAさんの救出のため、日本国内での取組みに留まらず、韓国でも11,041通の署名を集めるなど、全力を尽くしてきた李さんでしたが、日本の警察のまるで加害者を擁護するかのような消極姿勢に失望を禁じ得ない様子でした。
李さんは、Aさんに対して一切の連絡や意思確認ができない異常な状態を乗り越え、直接、声を届ける唯一の手段を選びました。それは、彼女が現在監禁されていると思われるマンションの部屋に向かって、路上からマイクで呼びかけるというものです。
午後の日差しが照りつけるアスファルトの上、大通りを挟んで目の前に立つマンションに向かい、李さんはその痛切な心情を、たどたどしい日本語と韓国語の両方で届けました。それは、何よりもAさんの身を案じながら、彼女への想いを一滴も残さず伝えんと渾身の力を振り絞るような、一点の曇りもないメッセージでした。続いて、李さんの支援者とAさんの信仰の友であった女性教会員も、彼女の安否を憂いながら声をかけました。
30分ほどその場で訴え、現場にやってきた警察官に対して改めて事情を説明し、今回の訪日の最後の行動を終えました。
現場へは、宮村峻氏の関係者とみられる初老の男性がビデオカメラで映像を撮り、また、自転車に乗った女性が携帯電話でしきりに「報告」をしながら、隠れるようにして携帯で李さんらを撮影しているなど、不審な動きも見られました。
帰国の朝、李さんは
「彼女はしっかりと食べれてますね?確かに無事ですよね?」と何度も念を押しながらも、
「今回、私の声を彼女に届けることができたと思います。彼女には聴こえていたに違いありません。日本に来ることができて良かったです」と、支援者に声をかけ、状況を取り囲む底なしの失意の中でも笑顔で手を振りました。
最後に、Aさん側から送られた手紙に対する李さんの返事を転載します。
※Aさん失踪事件についてはこちらの記事をご参照ください。
韓国・世界日報、日本女性の失踪事件を報道
http://kidnapping.jp/news/20110222.html
―――――――――――――――――――――――――――
「李さんによる手紙」
愛して また 会いたくてたまらない Aさんへ
久しぶりの手紙をもらい、急なことだったので驚きました。
でもその一方で ほっとしました。
愛するAさんが無事で居ることが手紙を通して確認できたからです。
私は今会社の仕事がとても忙しいです。
遠方に出張して帰ってきては、またすぐ仕事をしたりしています。
そんな状況で、すぐ手紙の返事を送ることができませんでした。
送ってくれた手紙の中で 私にお願いした内容のことですが まだ実行するのは難しいです。
なぜなら、荷物を送っても。Aさんが受け取ることができるのかどうかわからないし、またこれが本当にAさんの意志なのか確認したいからです。
私に確認する機会を下さい。
私が特別に休暇を取ってでも日本を訪問して 一度でいいからAさんと会えることができたらと切に願います。
私に対する真実なるAさんの心を確認したいだけです。
時間もないので簡単に書きました。
翻訳もなく突然送ることをご了承願います。
では 蒸し暑いので、健康に気をつけて連絡を待っています。
2011年6月14日
韓国から イーチャンヒー より
韓国領事館を訪れた李張煕(イ・ジャンヒ)さん
Aさん側からは、4月末に脱会届と祝福破棄通知。そして、5月末には家族が世田谷教会に荷物を取りに来ていました。しかし、教会の責任者や李さんは勿論のこと、行方不明届けが受理された東京・上石神井署ですら、Aさんに対する直接の意思確認は成されていないことから、彼女がいまだ信仰を保ちながら「偽装脱会」を試みている可能性は捨てきれません。
李さんは、東京に到着するなり
「寝ても覚めてもAさんのことばかり考えて過ごしてきました」
「Aさんの居場所はどの辺りですか。ここからの距離は?今すぐでも訪ねたいです」と語り、新婚生活をスタートする直前に目の前から姿を消した婚約者への焦慮を吐露しました。
李さんは、その日のうちに東京・石神井署へ。同署では、昨年、「Aさんが(家族ごと)失踪」という信じ難い連絡を受けて緊急訪日した李さんが、行方不明届けを提出しようとしました。一方、同署は「婚姻関係にない」理由で受理を拒否。しかし、後に一転して、同署長名で行方不明届を提出および受理をしていました。後に、それは国際問題に発展し、警察による加害者擁護、あるいは職務怠慢の糾弾を受ける可能性から、体裁のみ取り繕うための処置であったことが推認されました。
李さんは、先ず、事件発生当時に事情聴取を担当した與語係長に進捗を訪ねましたが、「特にない」との返答。李さんが
「Aさんが監禁された場所を見つけたので、是非、立ち会って欲しい」と伝えると、
「法律から見てそのような行為はできない」とはっきりと拒否。
「しかし、そこまで言うのなら民事裁判などの手続きを踏むしかない」等のアドバイスにとどめました。警察はこれまでにも、李さんや教会側にAさんに関する情報提供を一切行なっておらず、その理由として
「行方不明届けの提出者ではない。情報提供する義務はない」と答えています。しかし、長時間にわたって直訴する中で、行方不明届けは、
「昨年末にAさんの身内から電話があり、処理済みとなった」事実を明らかに。またしても「両者を離した状態でそれぞれ意思を確認する」、と明言した中井国家公安委員長(当時)の答弁(昨年5月の参議院法務委員会)は反故にされたことになります。
翌6月22日、李さんは先ず、この件に対して全面的に協力してくれている韓国領事館へ。その後、午後に彼女が軟禁されていると思われるマンションの所轄とする高井戸署を訪ねました。ここでも、生活安全課の警察官に事件の経緯を説明し、警察による立ち会いを求めましたが、石神井署同様、協力を得ることはできませんでした。
婚約者であるAさんの救出のため、日本国内での取組みに留まらず、韓国でも11,041通の署名を集めるなど、全力を尽くしてきた李さんでしたが、日本の警察のまるで加害者を擁護するかのような消極姿勢に失望を禁じ得ない様子でした。
李さんは、Aさんに対して一切の連絡や意思確認ができない異常な状態を乗り越え、直接、声を届ける唯一の手段を選びました。それは、彼女が現在監禁されていると思われるマンションの部屋に向かって、路上からマイクで呼びかけるというものです。
午後の日差しが照りつけるアスファルトの上、大通りを挟んで目の前に立つマンションに向かい、李さんはその痛切な心情を、たどたどしい日本語と韓国語の両方で届けました。それは、何よりもAさんの身を案じながら、彼女への想いを一滴も残さず伝えんと渾身の力を振り絞るような、一点の曇りもないメッセージでした。続いて、李さんの支援者とAさんの信仰の友であった女性教会員も、彼女の安否を憂いながら声をかけました。
30分ほどその場で訴え、現場にやってきた警察官に対して改めて事情を説明し、今回の訪日の最後の行動を終えました。
現場へは、宮村峻氏の関係者とみられる初老の男性がビデオカメラで映像を撮り、また、自転車に乗った女性が携帯電話でしきりに「報告」をしながら、隠れるようにして携帯で李さんらを撮影しているなど、不審な動きも見られました。
帰国の朝、李さんは
「彼女はしっかりと食べれてますね?確かに無事ですよね?」と何度も念を押しながらも、
「今回、私の声を彼女に届けることができたと思います。彼女には聴こえていたに違いありません。日本に来ることができて良かったです」と、支援者に声をかけ、状況を取り囲む底なしの失意の中でも笑顔で手を振りました。
最後に、Aさん側から送られた手紙に対する李さんの返事を転載します。
※Aさん失踪事件についてはこちらの記事をご参照ください。
韓国・世界日報、日本女性の失踪事件を報道
http://kidnapping.jp/news/20110222.html
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「李さんによる手紙」
愛して また 会いたくてたまらない Aさんへ
久しぶりの手紙をもらい、急なことだったので驚きました。
でもその一方で ほっとしました。
愛するAさんが無事で居ることが手紙を通して確認できたからです。
私は今会社の仕事がとても忙しいです。
遠方に出張して帰ってきては、またすぐ仕事をしたりしています。
そんな状況で、すぐ手紙の返事を送ることができませんでした。
送ってくれた手紙の中で 私にお願いした内容のことですが まだ実行するのは難しいです。
なぜなら、荷物を送っても。Aさんが受け取ることができるのかどうかわからないし、またこれが本当にAさんの意志なのか確認したいからです。
私に確認する機会を下さい。
私が特別に休暇を取ってでも日本を訪問して 一度でいいからAさんと会えることができたらと切に願います。
私に対する真実なるAさんの心を確認したいだけです。
時間もないので簡単に書きました。
翻訳もなく突然送ることをご了承願います。
では 蒸し暑いので、健康に気をつけて連絡を待っています。
2011年6月14日
韓国から イーチャンヒー より