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“ストーカー”裁判−オカシナ判決文(下)/火の粉を払え ルポライター米本和広blog

ストーカー事件の真相(15)

  
福士裁判官が新たな国語辞書と奇抜な法理論を偽作した!

「ストーカー裁判−弁護人の最終陳述(上)」 
「ストーカー裁判−弁護人の最終陳述(中)」 
「ストーカー裁判−弁護人の最終陳述(下)」 

 ストーカー規制法違反の要件は「恋愛感情を充足させる目的」「待ち伏せ行為を繰り返した」ことにある。 

 今回はとりわけ読者に注意を促しておきたい。判決文に被告側主張を検討した記述がある。それを検討すれば、反統一教会の人たちを含め、誰しも首を傾げるはずだ。そのため、上掲の被告側の主張を再度読んでもらいたい。 

 この判決文への本格的な批判は、東京高裁に提出された弁護人の控訴趣意書に譲るとして、ここでは末尾に、若干の疑問点&寸評を書いておく。間違いなく、笑えるあるいは嗤えるはずだ。


 

 

−判決文の構成−

 

理由(罪となるべき事実) 
   (証拠の標目)省略 
   (事実認定の補足説明) 
    前文 
    1 
       (1)犯行に至る経緯等?〜? 
       (2)判示1の行為についての犯行状況 
       (3)判示2の行為についての犯行状況 
       (4)判示3の行為についての犯行状況 
       (5)判示4の行為についての犯行状況 
       (6)判示5の行為についての犯行状況 
    2 *表題なし。内容は被告側主張の検討 
     3 *表題なし。内容は被告側主張の検討  
  (法令の適用) 
  (量刑の理由)
 

*1 固有名詞の一部をイニシャル表記にした。 
*2 文中の下線とゴチックと赤字は私。それ以外は読みやすくするため改行と行空けを行ったが、原文のママである。下線などは私が留意したところで、メモ的なものである。 
*3 今回アップするのは青字の部分である。 

*4 判決文で触れている「ストーカー規制法」の条文は、末尾に示した。 
 


  

 そこで検討すると, 
 上記認定事実によれば,判示各行為の当時,被告人は,Kには被告人に対する恋愛感情がなく,被告人と結婚する意思も全くなくなったことを知りながらも,終始,Kに対して強い恋愛感情を有し,Kと会い,どうにかしてKとの関係を修復しようと考えていたことが明らかである。 

 そして,被告人は,Kの父親の立ち回り先にKが所在するものと考え,Kの父親の車にGPS機能付きの携帯電話機を取り付け,これから発信される位置情報をもとにKの居場所を探していたのであるから,被告人がKの父親の車の立ち回り先と思われる場所に出かけてその場で様子をうかがうなどした判示行為は,Kと会うなどしてその様子を確認し,さらには,機会があればKと話をするなどして,Kと会いたい,Kとの関係を修復したいという被告人のKに対する恋愛感情を充足する目的で行われたものであり,判示各行為が,ストーカー規制法2条1項1号の待ち伏せに当たり,被告人は,同条2項にいう,Kの行動の自由が著しく害される不安を覚えさせる方法により待ち伏せを反復したものということができる。 


  

 これに対し,弁護人は,ストーカー規制法上の待ち伏せ行為とは, 
?相手方が来る又は来るかもしれないと認識もしくは予想して, 
?特定の場所において隠れて待つことをいい, 
 判示1,2及び4の行為の際,被告人には?の要素が欠けており,また判示2及び4の行為には?の要素が欠けているとしてるる主張し,被告人も公判廷においてその旨供述する。 

 しかし,前記認定のとおり,被告人は,Kの父親の立ち回り先にKが所在すると考え,Kの父親の車が所在するであろう判示各場所に出かけて様子をうかがうなどし,実際にもKは被告人の姿を見ているのであるから,被告人には判示各場所にKが所在し,あるいは,来るかもしれないという認識があったと認めることができる。 

 また,ストーカー規制法の目的及び保護法益に照らせば,待ち伏せ行為は,相手方が予期せぬ場所や状況の下で,相手方が行為者の姿を認識し得る状態で相手方が来るのを待つことをいうものと解され,必ずしも物理的に姿を隠す必要はないし,行為者において相手方の姿を実際に確認することも必要はないし,行為者において相手方の姿を実際に確認することも必要ではないというべきである。 

 したがって,被告人が供述し,弁護人が主張する諸事情を踏まえても,被告人の判示1ないし4の各行為は,いずれも待ち伏せ行為に当たるということができる。 

 また,弁護人は,待ち伏せ行為には,恋愛感情等を表明する行為として行われるという性質上,相手方に対して話しかける等,自らの気持ちを表明する意思が必要と解すべきであるとも主張する。 

 しかし,恋愛感情を表明する手段は,話しかけるといった積極的な行為に限られるものではなく,態度や行動による場合も含まれるのであり,また,ストーカー行為規制法第2条1項1号が,つきまとい行為,相手方が通常所在する場所の付近における見張り行為等と併せて待ち伏せ行為を列挙している趣旨からすると,恋愛感情を充足する目的で行われる待ち伏せ行為は,恋愛感情の表れとしての待ち伏せ行為をいい,自らの意思を表明する意思が必要と解すべきものではないから,上記弁護人の主張は採用し得ない。  

 さらに,弁護人は,判示5の行為のうち,被告人がサウナセンター出入口付近においてKを待ち伏せしたという点について,被告人は,Kが同所に来ることを全く予想していなかったから,待ち伏せ行為には当たらないと主張し,被告人もこれに沿う供述をする。 

 しかし,前記認定のとおり,被告人は,Kのことが気になり,判示4の行為の際にKが居住していることを確認したマンションに出かけ,同マンション前に停車していた車のあとをバイクで尾行し,サウナセンターの階段の踊り場で関係者らが来るのを待っていたものである。 
 被告人は,Kが同所に来ることを全く予想していなかったと供述するが,Kが宮村やその関係者らと行動をともにすることは十分に予想し得ることであり,被告人は,Kがその車に乗っている可能性が全くないという根拠を具体的に供述するものではない。 

 また,被告人は,その車にどのような人が乗っているのか確認すれば,統一教会の信者への拉致監禁事件について役立つ情報が得られるかもしれないと考えて車を尾行したとも供述する。 
 しかし,被告人は,宮村がその車に乗っている可能性も十分に認識していたものと認められ,以前警察を呼ぶ騒ぎまで起こしている宮村が一緒かもしれないのにサウナセンターの階段の踊り場に先回りしてそこにあった椅子に座り,公然と上記関係者らを待つというのは不自然である。 
 そして,その後被告人が,サウナセンターに駆けつけた警察官松岡に対し,宮村の家を見張っていたとしつつも,Kと会えるかもしれないと思った,車に女の人が数名乗っていたので,もしかしたらKに会えるのではないかと思って車を追いかけたなどと述べたことは前記認定のとおりである。 

 さらに,被告人は,捜査段階において,上記車を尾行していけばKを探す手がかりが見つかるかもしれないと思い,車を尾行することにした,サウナセンターの階段の踊り場で,Kがいなくても何か手がかりがあると思ってしばらく待っていたと供述しているが,この供述は,松岡の上記供述に沿う内容であることに加え,当時の被告人の心情や客観的状況に沿うものであり,十分に信用することができ,被告人供述に照らしても、被告人は,サウナセンターの階段の踊り場において,Kを待ち伏せしたものと認めることができる。 

 また,弁護人は,判示5の行為のうち,被告人がサウナセンター内の受付付近の椅子に座っていたのはKと話をするためではあったが,同所は一般に待ち合わせのために使う場所であり,サウナセンターの関係者の了解を得た上で,Kを待っていただけであるから,文字どおり「待っていた」に過ぎず,隠れてKを待っていたのではないから待ち伏せには当たらないと主張する。 

 しかし,前記のとおり,待ち伏せ行為は,相手方が予期せぬ場所や状況の下で,相手方が行為者の姿を認識し得る状態で相手方が来るのを待つことをいうのであり,必ずしも物理的に姿を隠す必要がないことは前記のとおりである。 
 弁護人の上記主張は前提を誤るものというほかない。 


 なお,弁護人は,被告人は,Kが両親らによって統一教会からの脱会を強制され,意思に反して統一教会を脱会したかのような態度をとっているもの,すなわち,偽装脱会しているのではないかと疑い,Kに被告人との結婚の意思があるか否かを確認するため判示各行為に及んだものであり,偽装脱会をしているならばKは被告人の判示各行為を喜んでくれる,または,少なくともKの承諾が得られるものと考えていたのであるから,被告人には判示各行為がストーカー行為に当たるとの故意がなかったとも主張するが,上記において検討したところによれば,被告人には判示各行為がストーカー規制法上の待ち伏せ行為に当たるとの認識に欠けるところはなく,弁護人の上記主張は,そもそも故意の存否に影響を及ぼす事情とはいえないから,失当というほかない。 

 その他,弁護人が主張する諸事情を踏まえても,判示ストーカー規制法違反の事実の認定を左右するものではない。 


(法令の適用) 

 被告人の判示所為は,包括してストーカー行為等の規制等に関する法律13条1項,2条1項1号,2項に該当するので,所定刑中懲役刑を選択し,その所定刑期の範囲内で被告人を懲役3月に処し,情状により刑法25条1項を適用してこの裁判が確定した日から4年間その刑の執行を猶予し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項本文により全部被告人の負担とする。 

(量刑の理由) 

 本件は,統一教会の信者であった被告人が,同じく信者であり,合同結婚式を挙げて婚約関係にあったものの,統一教会を脱会し,被告人との婚約を破棄した被害者に対し,5回にわたって待ち伏せを反復したというストーカー規制法違反の事案である。 

 被告人は,被害者が被告人に対する恋愛感情を失い,結婚する意思もなくなったことを十分に分かっていただけでなく,教会関係者からもあきらめるしかないなどと説得されていたにもかかわらず,被害者に対する恋愛感情を抑えることができず,被害者に会いたい,被害者との関係を修復したいなどと考え,執拗に待ち伏せ行為を繰り返し,本件犯行に及んだものであり,被害者の心情を思いやることのない身勝手な動機に酌量の余地はない。 

 しかも,被告人は,被害者の父親の車にGPS機能付きの携帯電話機を密かに取り付け,数日おきにバッテリーを取り替えながらその位置情報を取得し,被害者の居場所を突き止めるなどしていたものであり,周到かつ巧妙であるばかりか卑劣な犯行でもある。 

 被害者は長期間にわたって行動の自由やプライバーを侵害されたばかりか,不安と恐怖を感じて過ごさざるを得なかったものであり,また,被害者のみならずその家族にも様々な影響や被害が及んでいるのであって,結果も軽視し得ない。 

 また,被告人は,公判廷において,不合理で自分勝手な弁解に終始しているばかりか,悪いことをしたという気持ちではなく、悪いことをされたという気持ちだったらある(原文ママ),被害者に対して後ろめたいことは何一つしていない,本件を反省するつもりはなく自分は正しい,社会のルールを破ったわけではない,などと供述し,反省の態度は全く示しておらず,自己の目的を達成するためには手段を選ばないという歪んだ価値観さえうかがわれ,その法規範意識の欠如は著しい。 

 以上によると,本件の犯情は誠に悪質というほかなく,被告人の刑事責任をゆるがせにすることはできないが,被告人には10年以上前の業務上過失傷害罪による罰金前科のほかは前科前歴がないことなどを考慮し,被告人に対しては主文の刑に処した上,今回に限ってその刑の執行を猶予することとした。 

(求刑・懲役3月) 

平成24年1月11日 
東京地方裁判所刑事第1部 

裁判官 福士利博

−判決文が言及しているストーカー規制法−


第二条(1項)この法律において「つきまとい等」とは、特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の各号のいずれかに掲げる行為をすることをいう。 
一 (号) つきまとい、待ち伏せし、進路に立ちふさがり、住居、勤務先、学校その他その通常所在する場所(以下「住居等」という。)の付近において見張りをし、又は住居等に押し掛けること。 
二 (号) その行動を監視していると思わせるような事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと。 

2(項) この法律において「ストーカー行為」とは、同一の者に対し、つきまとい等(前項第一号から第四号までに掲げる行為については、身体の安全、住居等の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われる場合に限る。)を反復してすることをいう。 

第十三条(1項) ストーカー行為をした者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。 

なお、法律の全文は→をクリックして読んでください。ストーカー行為等の規制等に関する法律(平成十二年五月二十四日法律第八十一号)


−若干の素朴な疑問点と寸評−

 判決文を読めば読むほど、暴挙としかいいようのない、というよりもオカシナ有罪判決だが、それは控訴趣意書に譲るとして、ここではとびっきりオカシナな2点に絞って書いておく。 


恋愛感情を有することと、その感情を充足させることとは同一ではない 

 宇佐美さんとKさんとは、統一教会の宗教的儀式によるものであれ、性的な契りを交わし、結婚することを約束した。宇佐美さんのKさんに対する「愛」の質はわからないが、世俗でいう「恋愛感情」がなかったとは言えまい。 
 いや、むしろ「恋愛感情」はあった、として考えたほうがわかやりすい。 
  
 ところで、1人の人間を犯罪者として裁くからには、言葉は厳密であらねばならない。 
「恋愛感情を有している」と「その恋愛感情を充足させる」とは、決して等式で結ばれるものではない。 

 たとえば、恋愛感情を抱いていた相手の女性に、こんな動機・目的で「つきまとう」場合を考えてみればいい。 
 好きだった女性から突然、別れを宣告され、別の男性と結婚すると告げられる。 
 それを受け入れたものの、はたして彼女は幸せで暮らしているのか気になってならない。そこで新居の周りをうろつき、彼女の動静をたびたび窺った。 
 この場合、相手に不安を抱かせる迷惑行為があったとしても、「恋愛感情を充足させる(よりを戻す)ため」ではない。 よって違法行為ではない。 

 士裁判官は判決文の中で、宇佐美さんがKさんに恋愛感情を抱いていたことを繰り返し繰り返し述べている。しかしながら、肝心のストーカー行為の動機と目的を検討することを放棄している。 

 宇佐美さんは、公判の最初から最後まで一貫して、偽装脱会による婚約破棄の可能性があるとして、意思を確認するためにKさんの居場所を確かめようとしただけだった−と主張してきた。 
 しかし、福士裁判官はこの主張に対して、付け足しのように、「なお」として、何ら根拠を示すことなく待ち伏せ行為であることは認識できていたはずだ(=「被告人には判示各行為がストーカー規制法上の待ち伏せ行為に当たるとの認識に欠けるところはなく」)と、まるで次元の異なることを2、3行加えて終わりにしている。 
  
 公判のどこをみても、宇佐美さんが待ち伏せ行為(後述)を認識していたことは立証されていない。福士裁判官は宇佐美さんの主張をまともに検討していないのだ。 
 仮に、待ち伏せ行為を認識できていたとしても、そのことと意思確認のために居場所を探すこととはまるで次元を異にする事柄である。 

  
 た、福士裁判官は恋愛感情を繰り返し強調しながら、宇佐美さんの待ち伏せ行為が恋愛感情を充足させる目的であったことについては、検察官と同様、全く立証していないのである。 

 むろん、高偏差値・福士氏とて、「恋愛感情を有している人」がストーカー行為をする場合、それがそく「恋愛感情を充足させるため」とならないことぐらい、認識できていた思われる。 
 で、彼は考えた。 
 <どのように表現すれば、2つは等式で結ばれるのだろうか> 
 そこで、次のような命題を思いついたのである。さすが高偏差値! 

「恋愛感情を充足させる目的で行われる待ち伏せ行為は、恋愛感情の表れとしての待ち伏せ行為」である。 

 この命題が変なのは、アプリオリに(はなから、先験的に)「恋愛感情を充足させる目的」を、立証抜きで前提にしていることにある。 
 この同義反復的な(?)命題が真理なら、次の命題も真理ということになってしまう。 

「殺意を充足させる目的で行われる行為は、殺意の表れとしての行為である」 
  
 まさに、ヒェ〜である。みんな死刑じゃ! 死刑じゃ!  

 話はそれるが、殺人事件の刑事裁判で、「殺意」があったかどうかは争点となることが多く、人を殺したからといって端から殺意を前提にすることは100%あり得ない。 
 そもそも「殺意を充足させる(人を殺す)目的」があったかどうかなんて、被告人の内面を客観的に調べる方法などない。このため、裁判の事実認定では凶器は何であったのか、刺し傷の深さは何?だったのかが焦点になる。殺意がないと判断されれば、「殺人罪」ではなく「過失致死罪」が適用される。ちなみに、台所にある料理庖丁で相手を刺した場合、「殺意はなかった」と主張しても、殺意(殺害する目的)はあったとして、殺人罪が適用される。

 わかりやすい例をあげる。Aが知人のBに暴行を加えた。Bの訴えに基づき、警察は家宅捜索したり、AとBの知人に事情聴取した。
 Aのノートに「Bを殺したい」と書かれていた。またAの知人は「Aが酔っていたときにBを殺したい」と話していたことを証言した。
 そのような状況証拠があろうとも、AのBに対する行為は拳骨で殴ったという暴行でしかない。検察が起訴するならば、罪名は「暴行罪」か「傷害罪」である。

 しかし、福士裁判官の特殊な法理論にかかれば、「殺意」はあった、そえゆえ「殺意を成就する(殺す)目的」で、AはBに暴行を加えたのだから、「殺人未遂罪」が適用されるべきだ−となる。トンデモない話だろう。 


 れと同じように、恋愛感情を充足する目的があったかどうかも客観的に検証される必要がある。下記文献によれば、関係(より)を戻そうとしたかどうか、そうした言動が相手に対して行われたかどうかが焦点になるという。 
 判決文のどこを読んでも、宇佐美さんはKさんに直接的な働きかけをしていない。判示5で示されたサウナで会ったとき、彼がしゃべったのは「お元気でしたか」だった。  
  
 行く先々で宇佐美さんの姿を見たKさんは、不快・不安になったのは確かだろう。 
 しかしながら、婚約破棄の撤回を求められたわけでなく、ましてや待ち伏せされたわけでもない。 
 客観的な事実を言えば、「宇佐美さんの姿を見た」にすぎない。 
 であれば、告訴ではなく、精神的に傷ついたという民事裁判の慰謝料請求だろう。 
 それなら、応援できる。これについては「構造の絵解き」で書くことにしたい。

【参考文献】『ストーカー規制法解説』(三省堂)『ストーカー・DVの問題Q&A弁護士に聞きたい!』 



待ち伏せとは、身を伏して(隠れて)待つことである 

 福士裁判長は、宇佐美さんの行為を「恋愛感情を充足させる目的で行った待ち伏せ行為」と認定し、ストーカー行為と断じた。 
 では、宇佐美さんはKさんを待ち伏せしたことがあったのだろうか。 
 冒頭にリンクした(事実認定の補足説明)を再度読んでもらいたい。 

 目を皿のようにして判決文を読んでも、「待ち伏せ」の言葉はあっても、待ち伏せした事実は書かれていない。 

 言わずもがなのことだが、<ストーカー行為とみなされない「待つ」ことと、ストーカー行為とされる「待ち伏せ」とは意味がまるで異なる。 
 「待ち伏せ」に特段、法律上の定義はないから、福士裁判官も私たちも、日本語辞典に忠実であらねばならない。 


待ち伏せ
 相手の不意をつくために隠れていてその来るのを待つこと(『広辞苑』) 
人を襲ったりするために隠れて待つこと(『大辞林』) 
 隠れていてめざす相手の来るのを待つこと(『日本国語大辞典』) 


 宇佐美さんを有罪にした「判示1〜5」を再度、読んでもらいたい。宇佐美さんはKさんが来るのを隠れて待っていた事実は一切書かれていない。 

 <う〜ん、こりゃあ困ったな。これじゃあ、宇佐美を有罪にできないなあ> (福士さん) 

 こで、難関の司法試験に合格し、さらに難関の判事に採用された高偏差値・福士裁判官。なんと、自分で辞書を作ってしまったのである。 

<待ち伏せ行為は,相手方が予期せぬ場所や状況の下で,相手方が行為者の姿を認識し得る状態で相手方が来るのを待つことをいうのであり,必ずしも物理的に姿を隠す必要がない> 

 ひぇ〜!国語の大御所への挑戦状だぁ!  

 福士氏の難解な言葉を平たく言えば、こういうことだ。 

 たとえば、ぼくが恋愛感情を抱く妙齢のご婦人に一目会いたい、願わくば恋を成就させたい(恋愛感情を充足させたい)と、彼女がよく通る新宿駅地下の西口交番の前で、何度か待った。そして、彼女はぼくの姿を見た。 
 この出来事を福士文脈で言えば、<妙齢のご婦人がぼくの姿を認識し得る状態で、彼女が来るのを待っ>たということになる。 

 この出来事が福士裁判官にかかれば、「それは待ち伏せであり、ストーカー行為だ、恋愛感情を充足させる目的だぁ」となり、ぼくはあれよという間に雲の中ではなく、「塀の中」♪  ひぇ〜である。 

 恋愛感情を充足させる目的(恋の成就)で、異性がくるのを待っていたとしても、ストーカー規制法違反とはならない。あたりまえのことである。それが違法行為とされるのであれば、若き男女で刑務所はパンクする。彼、彼女らは、「付き合いたい」と思って(恋の成就の第1歩)、改札口などで好きになった人を「待ち伏せではなく待つ」なんてことは日常的に行われていることだからだ。  

 トーカー規制法違反になる要件の1つは、待ち伏せ(隠れていてめざす相手がくるのを待つ)行為が行われていたかどうかにある。  

 ではなぜ、福士裁判官は「待ち伏せ」を「相手方が来るのを待つこと」だと、強引なまでの定義をしてしまったのか。 

 それは、判示1〜5で示された宇佐美さんの行為が、告訴人のKさんから見れば、<宇佐美さんが自分の姿を認識し得る状態で、自分のことを待っている>行為だと感じ、それをもとに告訴したから、福士さんもそれに合わせ、待ち伏せの定義を偽作せざるを得なかったのである。 

【参考記事】そう言えば、拉致監禁を容認する有田国会議員は、字義の創作ではなく、『日本国語大辞典』辞書を勝手に改竄していた。福士裁判官よりも有田議員のほうが質が悪い!「辞書を平気で“改竄”する国会議員」 (2011年11月7日付) 

 余談です。 
 知り合いの中学校の国語教師に、福士裁判官の「待ち伏せ定義」のことを話したら、バカ笑いされたあと、冷たく「受けを狙った、あなたの作り話でしょッ。まさか裁判官がそんなことを判決文に書くわけないじゃないの!」と、相手にされなかった。トホホのホである。 

 さて、東京高裁の判事さんの判断や如何に!? 
 三省堂でも岩波でも角川でも小学館でも、辞書を引かれるかどうか。 

 くなったが、最後にこの判決文の偏頗性を指摘しておきたい。 
 私の名誉毀損裁判の判決文や統一教会の違法献金裁判の判決文を含めこれまでいくつかの判決文を読んできたが、福士判決文にはとても違和感を覚えた。 
 それは判決文の構成と、判決の根拠とされる証拠・証人尋問録の典拠の仕方にある。 

 通常、判決文は「争いのない事実」と「争いのある事実」に2分し、後者は原告(検察)と被告人(宇佐美さん)双方の主張の違いを明確にしたうえで、裁判所はかくの如く判断した−と書かれるのが一般的である。 
 しかるに、福士判決文はほとんどすべてといってもいいほどに、検察の主張に依拠し、宇佐美さんの主張に言及していない。つまり、双方の対立軸を明確にしたうえで、裁判所はかくの如く判断した−とはなっていないことにある。 

 また、多くの判決文は「このように認定できる」とする場合、必ず、一文の末尾に甲X号証の何頁とか乙Y号証の何頁を根拠にしたと、証拠が明示される。 
 ところが、福士判決文は冒頭の構成にある通り、最初に一括して「証拠の標目」(省略したのは証拠番号のみの羅列ゆえ)として証拠を列挙して事足れりとしているのである。つまり、個々の認定で、証拠のどの記述を採用したのかが明確にされていないのである。 
 10回にわたる公判では、宇佐美さんに不利な証拠(あまりないが)も検察に不利な証拠(これはけっこう多い)も提出されている。しかるに、福士判決文は宇佐美さんに不利な証拠をつまみ食い的に生かし、検察に不利な証拠は一切無視しているのである。 
  
 こうしたことから、福士判決文にはどうしても偏頗性を感じてしまうのである。 

−続く。次回からは弁護人の控訴趣意書をアップしていく− 
 
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