拉致監禁事件の根絶を政府に求む! 全国 拉致 監禁・強制改宗被害者の会

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強制改宗をくつがえす統一神学

社会問題を引き起こす悪なる団体だという批判

 多くの反対牧師たちは、統一教会が多くの社会問題を引き起こす悪なる団体だと決め付けて批判する。しかし如何なる宗教も、何らかの新しいインスピレーションを持って出発する限り、現実社会とその一部である既成宗教へのある意味での挑戦となるので、一般的に反社会というレッテルを貼られて迫害されるのは避けられないようである。2000年前にメシアとして出現されたイエスの新しい教えも、イスラエル社会とユダヤ教にとっては大きな脅威となり、反社会的なもの、更には悪魔から来たものと見なされて批判された。だから再臨の摂理を担う統一教会が誤解され迫害されるのも当然の現象であろう。一旦誤解されれば、統一教会が如何に素晴らしい社会奉仕、平和運動、芸術プロジェクト、伝道活動、経済活動といった活動をしても、批判され続ける。統一教会側が、そのような批判に対処するために何らかの具体的な手を打っても、それもまた違法だとか反社会的だとかいわれて事態は一層悪化する。

 勿論、統一教会が未だ完全であるはずはないし、様々な批判に対処する時のやり方が未熟だったりして、より一層の誤解を招いたことは事実である。しかし統一原理の理念からすれば、特にその神観からすれば、統一教会は、絶対に人間を悪い方向に陥れる悪なる団体であるはずはない。文鮮明師が発見された神の愛は、堕落によって失われた万民が一人残らず帰って来るまで心が休まらず、涙を流して苦労される神の真の愛なのである。それは怨讐までも愛し、最終的にはサタンまでも救わなければならないとする神の愛なのである。統一教会の全ての活動や事業は、このような神の愛が原点となっているのである。

 2000年前のイエスもこれと全く同じ神の愛を説かれたことは明白である。イエスが哀れな取税人や罪人たちと一緒に食事をされた時、パリサイ人や律法学者たちは、そんな下賎な人たちと何故交流するのかといわんばかりに、それを批判したが、その時イエスは彼等に向かって、一匹の失われた羊を捜し求める譬え話 (ルカ伝15:4-7)、一枚の失われた銀貨を捜す譬え話 (ルカ伝15:8-10)、帰って来た放蕩息子の譬え話 (ルカ伝15:11-32) などをお話になった。全ての人に漏れなく愛を施される神の愛が、ここに如実に表現されている。

 しかし、既成のキリスト教は、イエスの真の愛の教えに反して、救われる者と救われない者の二つのグループを無慈悲にも分けてしまい、自分だけが救われればいいのであって、救われない者は永遠に地獄に行ってしまえ、といわんばかりの神学を勝手に作ってしまった。これこそ大きな罪である。これは、神の絶大なる力を強調するが余りに、神の愛を見失ってしまった従来の歪められた神観に基づいているからである。だから、今までのキリスト教は、愛を説くことがあっても、それ以上に、神の名において権力を振りかざし、下層の人々、異端、異教徒たちの人権を蹂躙し殺害までして来た。それは、キリスト教がローマ帝国で迫害された最初の約400年間が過ぎて、国教として公認されてから、出て来るようになった。特に11世紀末から始まった十字軍、12世紀から始まった異端審問、15世紀から始まった中南米征服などを通してカトリックが犯した反人道的犯罪は目を覆いたくなる。

 筆者は、スペインのバルトロメ・デ・ラス・カサス (Bartolom? de Las Casas) による1552年出版の『インディアス破壊についての簡潔な報告』(日本語訳、岩波文庫1976年出版)を読んで、コロンブス一行が中米にやって来て以来、如何にキリスト教の征服者たちが、現地のインディオたちを悪魔の子孫と見なすが余りに数え切れないほど彼らを殺害して、彼らの土地と財宝を奪ったかを知り、あまりにも哀れなインディオたちのことを思い号泣した。捕縛されたあるインディオ族長が火あぶりで殺される前に、洗礼を受ければ天国に行けるので洗礼をうけるか、と宣教師から訊かれた時に、天国にはキリスト教信者がいるのかと逆に訊いた。勿論、宣教師からの答えは、天国にはキリスト教信者がいるということであった。その時、族長は、そんな残酷な人たちと一緒にはなりたくはなく、それよりも仲間のいる地獄の方がいい、と断言して殺されて行った。これほど痛烈なキリスト教批判がどこにあるであろうか。

 キリスト教の犯罪はカトリックのみならずプロテスタントにも見られる。詳述は避けるが、宗教改革直後に起きたドイツ農民戦争の残忍な結末、17世紀におけるプロテスタント・スコラ主義の目も当てられない驕慢性、北米における非人道的な奴隷制度やインディアン虐待などは、プロテスタントによって起こされたものである。

 このような数多くのキリスト教の犯罪の結果、差別されて虐待された人々の大きな恨みが残り、この世界は未だに分断され混乱している。十字軍以来キリスト教を憎んで来たイスラム教は今もテロをもたらしているし、キリスト教に恨みを持つ共産主義と無神論が未だに存在するし、プロテスタント・スコラ主義に反旗を翻して出て来た啓蒙主義の世俗的伝統の脅威が今も続いているし、資本主義と手を組んだ南米カトリック上層部に恨みを持つ解放神学が21世紀になった今でもパラグアイやニカラグアなどの政権を通して脅威を振りまいているし、また北米では、奴隷制から始まった根深い黒人問題、土地を奪われて居留地に追いやられた哀れなインディアンたちの問題が未だに尾を引いている。これこそ、神の愛よりも神の力を振りかざして来たキリスト教がもたらした社会問題でなくて何であろうか。キリスト教を以ってしては、この深刻な社会的問題を絶対に収拾できないことを、統一教会に反対する牧師たちは知るべきである。そして、統一教会こそ、キリスト教がもたらしたこのような問題を解決できる大きなビジョンを持っていることを知るべきである。

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目次

冊子・ビラ・書籍
我らの不快な隣人
人さらいからの脱出
日本収容所列島
踏みにじられた信教の自由
「原理講論」に対する補足説明
冊子「拉致監禁」シリーズ1
痛哭と絶望を超えて
冊子「拉致監禁」シリーズ2
その時警察はどう動いたか
冊子「拉致監禁」シリーズ3
反対派の悪辣な手口
強制改宗をくつがえす統一神学
序言
聖書の権威を否定しているという批判
理性によって神を知るのは傲慢だという批判
神の悲しみの教説は神の完全性に反するという批判
霊界の存在を信じるのはオカルト的だという批判
アダムとエバの堕落の性的解釈は間違っているという批判
神の絶対予定を否定しているという批判
カルヴァン主義の五特質 (TULIP) に反しているという批判
人間を神扱いしイエスを人間扱いする傲慢で冒涜的なキリスト論だという批判
自力信仰であるという批判
十字架贖罪を否定しているという批判
真のご家庭に対する批判
社会問題を引き起こす悪なる団体だという批判
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