統一教会の信者に対する、拉致監禁・強制改宗について、その根絶を求めます。被害者の声。猪熊美千代 陳述書 警官が家族に圧倒されて立ち去る拉致監禁
情報を確かめてみる

被害者の声


陳述書

猪熊 美千代 - 警察さえも信じられなくなってしまいました



陳述書(要約)

1.総序

私は、1993年2月24日から6月6日までの103日間、大阪市城東区にあるメゾン京阪405号室に監禁され、自由を拘束されました。その間、日本ホーリネス教団大阪栄光キリスト教会(大阪市城東区)の松沢力男牧師と神戸真教会(神戸市中央区)の高澤守牧師と西日本福音ルーテル青谷教会(神戸市中央区)の信徒尾島淳義等によって、数10回に及ぶ統一教会の批判、その創始者である文鮮明先生に対する批判や中傷、誹謗を聞かされ、統一教会の信仰を棄てるよう強要されました。

私にとって統一教会の信仰を棄てることは、自分の命を棄てることに他なりません。統一教会の教義である「統一原理」のすばらしさを家族に理解してもらいたい一念で監禁状態を耐えてきましたが、牧師達によって更に、親子関係を悪化させられました。結局、私が統一教会の信仰を棄てるまで解放される見込みがないことが明らかになり、一瞬のスキを見て着のみ着のまま裸足で脱出せざるを得ませんでした。その事によって受けた精神的苦痛・肉体的苦痛は言語に絶し、今なお尾を引いています。このような牧師達の行為は、法的にも道徳的にも絶対許されるものではありません。

私の場合、監禁場所に2度も警察官が訪ねて来たにもかかわらず、助けられるどころか、牧師らの指導により親子問題として片付けられ、密室でどのような事件が起こってもおかしくない異常な環境を長引かせる結果となりました。これは民主主義国家・日本において信じられない人権侵害です。

牧師らによるこの様な恐るべき犯罪の被害者がこれ以上生まれないようにするため、ここに陳述書を提出し、違法かつ反民主的な牧師らの行為を明かにします。


2.私の統一教会入会と両親の反対
1)統一教会入会

私は1987年3月中旬、大阪梅田において統一教会信者のIさんと出会いました。以前から人生の様々な矛盾に対する解決法を求めていた事、またIさんの誠実な態度に心を打たれ、統一原理を学ぶ事を約束しました。

人生の根本問題がストレートに解決されている統一原理を知ったことにより、心が解放される思いでした。そして人類の全ての重荷を背負いながら神様の為にその身を捧げられた文鮮明先生がいらっしゃる事を知り、一生涯この方について行こうと決意しました。


2)両親の反対

私は1987年3月末頃から、大阪梅田で統一教会員が運営するビデオセンターで統一原理を学び始めました。

6月頃、母が朝日新聞に掲載されていた統一教会の記事を読み、「最近帰りが遅くなったけれど、あなたもこれに入っているんじゃないの」と聞いてきました。私が「そうです」と答えると「お父さんが知ったらただじゃおかないわよ]と恐い顔をし、「今のうちにやめなさい」と反対しました。その後1年半ぐらいは、大阪美術専門学校の学生であった事もあって黙認状態が続きました。

私の両親は宗教性があまりなく、「宗教は弱い人がするもの神様などいるわけない」と決め付けていました。父の帰りは遅く、毎日お酒を飲み、母とよく口論していました。離婚の話が出ることもありました。

私は統一教会の活動を献身的にやりたいと考え、89年1月1日にその事を両親に伝えました。以後約2ヶ月間、両親の猛反対に合いましたが、3月始めに豊中教会に両親来てもらい、M教会長に統一運動の説明をしてもらいました。母はあくまで反対でしたが、父が「娘を教会にあずけましょう」と言ったことにより、同年4月1日、正式に統一教会で活動ができるようになりました。

1992年6月、同年8月に韓国・ソウルで開催予定の3万組国際合同結婚式(祝福)に参加する事を両親に伝えるため、家に帰りました。その時、両親はよく意味が分からない様子でしたが、その後の偏向したマスコミによる反統一教会報道によって、両親の反対が激しくなりました。

同年8月中旬、私の祝福の相手が決まりました。その頃、統一教会信者に対する拉致監禁・強制改宗事件が全国で多発しており、私を統一教会に導いて下さったIさんも監禁事件に遭遇し行方不明になっていました。結局、私は電話で両親に話をし、8月25日に韓国で合同結婚式に参加しました。

帰国してから、手紙で詳しく祝福の事を書いて家に報告しましたが、祝福は金儲けの道具などと考えている両親に、神を中心として信仰の上に立った最も確かな結婚であるということを理解してもらう事は不可能に近いことでした。その後、両親の激しい反対が続く中、93年2月始め頃、母が高槻の市民相談室に行って小泉弁護士に会ったところ、「そういう事なら大阪栄光教会の松沢牧師がいい」と統一教会に反対する松沢力男牧師を紹介されたそうです。この事は監禁された部屋で聞きました。


3.拉致連行監禁
1)拉致連行

1993年2月24日水曜日、その日は仕事が休みだったので、私は外出しました。午後8時に帰宅したところ、家族は食事中でした。私が食べ始めた時、電話が鳴りました。

母が電話をとり、「うちの息子ですが・・・。えっ城東警察ですか。はいわかりました。すぐ行きます」と言って受話器を置きました。母は青ざめた表情で振り向き、父に向かって「T(以下次男)が城東警察の近くの道で交通事故に遭って、近くの病院へ運ばれた」と言いました。母の言葉を聞いて、私は弟が大学の用事で出かけるということはその日の朝に聞いており、場所がちょうど大学の近くだったので疑いをもちませんでした。また、次男はそれ以前にも交通事故に遭っていました。

父が食事をやめようとしなかったので、私は「早く行かなあかんやろ。ご飯なんか食べている場合じゃないでしょ」とせかしました。父は「車があるから車で行った方が早いだろう」と言い、母に地図を持ってこさせました。

車は父が運転し、母が助手席に乗り、H「以下長男」が後ろの座席、その横に私という具合でした。目的地までの道はややこしく、母が「そこを右左」と指示している姿によく知っているなと思いました。そして母親は1回下を向いて神経の高ぶりを押さえている様子を見せたので、父が「大丈夫だから心配するな」と慰め、「この地名が出て来たら教えてくれよ」と道路の看板を見ているように言い、あたかもあまり慣れていない所に行く風な演技をしていました。

大阪市城東区にある東大阪病院の看板が見えて来ると、そこを右折し車を何処に止めようかと場所を捜すふりをして、マンション「メソン京阪」前に車を止めました。私が車を降りて病院の方へ急いで歩いて行こうとするところを、父が私の前に回り込み横にあったマンションの方に押して行きました。体格の良い長男も私の手をつかみ父と一緒になって背中を押しました。母はその後ろにいました。

私は「ここは病院じゃないじゃないの?」と言うと、父が「ここなんだ」と激しく言いました。私は「ここは病院の裏口か、看護婦さんの寮か」と勘違いをしました。マンション2階までものすごい勢いで押され、「これは監禁される」と気付き、2階から3階までの手摺りに必死につかまりましたが、父にその手をはずされ、私は必死に2階や3階のドアを叩き、チャイムを鳴らしながら「助けて―」と叫びましたが、母か誰かに口を押さえられました。「父や長男には力ではかなわない、どうしたらいいのだろう」とあせっている間に405号室に押し込まれてしまいました。靴のままで押し込まれ、その部屋に交通事故に遭ったはずの次男がいるのを見て、私は「騙された。悔しい」と思いました。


2)監禁

監禁場所は、ワンルームマンションで4帖半ほどの部屋がひとつと、仕切りの隣に台所とバス・トイレが付いていました。入り口は普通の内鍵でしたが、チェーンを短くして絶対に開かないように南京錠が常時付けてありました。また、数字を合わせて開けるカギも準備していましたが、母が老眼で開けるのに苦労したのでそれは使わなくなりました。ベランダのガラス戸は開かないように鍵がサッシの下の方に取り付けていました。「トイレの鍵はわざと壊しておいてそこに篭城できないようにしておいた」と父は言っていました。

包丁などは特に厳重に何処かに隠してありました。枕は大阪栄光教会から借りた物と母が言っていました。電話もテレビもラジオもなく、父が松沢牧師に「テレビ付けたらいけないでしょうか」と聞くと、松沢牧師は「それは無い方がいい」と指示していました。

私は監禁された日、「まさか仕事だけは行かせてくれるだろう」と思っていました。しかし、父に「明日仕事があるのにどうするのか」と言うと、父は「今朝、お前の会社に電話をかけてしばらく病気で休みますと言っておいた」と答えました。私は怒って「なんでそんなことするの」と言うと、母が「こうするしかなかった」と謝りました。


4.強制改宗

私が統一教会に入会してから一度も統一教会関係の本を読まず拒み続けていた母が、「今まで習って来た事をお母さん達に聞かせて、6年間どんな事を学んできたの」と執拗に迫ってくる姿を見て、これは誰かの指示でそう言わされている事が分かりました。私はそう言う母に一切対応せず「すぐに牧師に来てもらったら」と言い、さっさと寝ました。

その夜、玄関のドアを見に行くと、チェーンの所にもう1つ鍵が掛かっていました。この様子に敏感な母はすぐ起き出して来ました。そして父も弟も目をさましました。狭い部屋でさえ自由に歩くことすら出来ませんでした。

監禁されて2、3日すると、日本ホーリネス教団大阪栄光教会の松沢牧師と3人の元統一教会員(I、H、T)がやって来ました。

私は、松沢牧師らに「話し合いなら自分からあんたの所の教会に行ってやる。統一教会の人がこんなやり方で統一原理を聞かせた事があるのか」「なぜ自宅で話合うことがいけないのか」と訴え続けました。それに対し、松沢牧師は「こういう状態で話さなければならないことは申し訳なく思っている」と言うだけで、何の解決にはなりませんでした。

監禁場所には、元統一教会員が次々やって来て改宗活動をしました。彼らは、そのような環境を「保護」と言い、そこから出た後は「大阪栄光教会へ行きリハビリをする」と言いました。まるで病人扱いでした。

松沢牧師は「大阪で統一教会員がテロの様な事をやった」と言いました。Tは総合武道「圓和道」の団体について「統一教会のテロ組織だ」と決め付け、統一教会を恐ろしい集団に仕上げようとする言動を繰り返しました。私が反論すると、松沢牧師は怒ってさんざん怒鳴りちらしました。

私が「訴えてやる」と言うと、松沢牧師は「訴えれるものなら訴えて見ろ。俺は最高裁まで行った男だ。俺は恐くない」と脅かすのでした。そして父も「統一教会を辞めなかったら絶対にここから出さない。一生涯やってやる。6ヶ月過ぎて辞めなかったら精神病院に入れてやる。お父さんはヤクザとも付き合いがあるから統一教会のやつらがお前を連れ戻しに来たら、すぐに呼んで蹴散らしてやる。責任を取る時は指をつめるんだぞ。お前に先に死んでもらうかもしれない」と強迫しました。

父は、毎晩酒を飲みながら統一教会の批判をし、まるで何かに取り付かれている様に私に暴力をふるいました。この様な状態が、松沢牧師が帰った後、毎晩続きました。家にいた時よりも叩かれ殴られたので、「このままでは本当に殺されるかもしれない」という恐怖のあまり、隠されていた包丁を捜し出し、一晩抱いて寝ました。翌朝、包丁が無いことに母が気付き、弟と一緒になって取り返そうとして私と引っ張り合いになり、弟がケガをしました。最後の手段としてツナ缶のふたを隠し、何かの時は、自分の腕を切るつもりでした。本当に気違いになりそうでした。

監禁されて約20日目、セールスの人が部屋のブザーを押しました。私は思わず「助けて―」とドアを叩きました。その人が警察に通報し、すぐに警察官が駆けつけましたが、私は弟に押さえ付けられ部屋の中で大騒ぎするだけでした。母が部屋の外で警察官と話をつけ、「親子問題」として片付けられてしまいました。

それからも毎日、統一原理・統一運動の批判は続きました。

監禁35日目頃、松沢牧師は病気で手術するため入院したので、高澤守という神戸真教会の牧師がやって来ました。高澤牧師は、神戸から電車でトランクのような大きなバックの中に統一教会の本と批判の資料をたっぷり詰めて持って来ました。「文鮮明の戸籍謄本や統一教会を脱会した人の文章、昔の原理解説を持っているんだ」と自慢して見せました。そして「牧師を21年やっていて、去年は24名、おととしは21名、統一教会を辞めてもらったよ」とたたみかけました。力づくでも統一教会の信仰を辞めさせるという高澤牧師の態度に、私はまた恐怖を感じ、監禁が長引く事に対する焦燥感と絶望感とが入り混じる複雑な思いでした。

高澤牧師は、自分のやっている言動は全て正しいと思い込み、私が牧師の言う事を批判すると大きな声で怒り出し、祈祷もしないでさっさと帰って行きました。私は「本当にこの人は牧師なのだろうか」と思いました。このような牧師から、尊敬する文鮮明先生に対する非難中傷を平均3時間、ほぼ毎日聞かされました。

ある日、たまたま住所を確認するために警察官が監禁場所を訪ねて来ました。その時、母と2人だけだったので、外に出ようとしました。目の前に警察官が立っていたので「助けてください、監禁されているんです」と騒ぎました。警察官は部屋の中に入って私の話を聞いてくれました。そして「家族だけで話し合うのが一番です」と言い、私の連絡したい所の住所と電話番号を聞き、母からも父の連絡先を聞き「自分の上司と相談して、上司とまた来ますから騒がないで下さい」と言ってくれました。私は「これでようやく解放される」と思いました。

しかし、警察官は父の方だけに連絡し、父が城東警察に行き一方的に事情を説明しました。その警察官は「宗教問題に口をはさむのはやめときます」と父に言い、私の主張を無視しました。私は愕然とし、警察が信じられなくなりました。

監禁され80日を過ぎても少しも変わらない私を見て、父も母もいらつき始め、母が30分ほど買物に出かけている間に父に殴られ、その勢いで後ろに倒れ、ベランダの戸のガラスが割れました。それから20分間ほど髪の毛を引っ張られ蹴られました。密室でこの様な事をした後、父は「あと2週間だ、あと2週間でやめてやる」と言い、「詫び状を書け」と言われて書かされました。

買物から帰って来た母は、「もう、それならあんた(父)が牧師に連絡しなさいよ」言いました。翌日、父が松沢牧師に連絡を入れたところ、「2週間でやめる」と言った約束を撤回しました。

その後やって来た高澤牧師は「この家は、弟さんが大学へ行ってお金が大変だから、うちの教会の人に頼んだら、みんな心のやさしい人達ばかりだから支援金を出してくれるよ。それで1年でも2年でもここで君が分かるまでやったらいい」と言い、今まで4回監禁されて脱会した元統一教会員の話や10回監禁されて脱会した元統一教会員の話をして、何度でもやるという事を言って来ました。私が統一教会を脱会するまではここから出してくれないという事がよく分かりました。私は神経も身体もボロボロでした。

監禁90日目ぐらいに高澤牧師の妻が病気で入院し、高澤牧師は忙しくなり来なくなりました。その代わりにやって来たのが尾島淳義でした。尾島は西日本福音ルーテル青谷教会の信徒であり、自分の教会の事を「クルーテル教会だ」とか「ルーシェル(悪魔)教会だ」と言い、ある時には「今の統一教会問題は既成教会が問題です。心の根底にあるものが、その事だ」と言いました。

その事を聞いて、私は「その割には統一教会員を監禁し、統一原理の間違いを探して脱会させ、自分の教会の信者にしようとしている。私を解放する気配すらない」と思い、言っている事とやっている事が矛盾していると思いました。

高澤牧師と尾島淳義は、監禁場所に通って来る中で、自分の事を話しました。監禁されて40日目頃、高澤牧師は「私は昔から盗人で、知能犯だった。母親に自分がキリスト教信者に成ると言った時には喜んだが、牧師に成ると言った時、反対された」と言いました。また、高澤牧師は「自分はキリスト教信者になってからも盗人だった。公務員だったので3千円ほど勝手に領収書を作って自分の物にした事もある。公的に買ってある物を私的に使っていた」と自分の罪を平気で暴露しました。

尾島淳義も、監禁されて100日目ほどの時に、「自分は、中学生の時に洗礼を受けたけれども、今まで一度も聖霊体験したことが無い。イエス・キリストと出会った事がない」と言いました。


5.監禁マンションからの脱出

監禁102日目の晩遅く、父がお酒を飲んで帰って来ました。お酒の匂いとニンニクの匂が狭い部屋に充満し、一晩中眠れませんでした。

午前5時頃、私が換気扇を付けたり、クーラーを付けたりし始めたところ、5時40分頃、母は「美千代が、かわいそうじゃないの」と父を叱り、牛乳を買いに出かけました。

日曜日になると、母は自宅へ帰り、掃除をするようにしていたので、牛乳を買って帰ってきましたが、すぐまた出かけるつもりで内鍵だけを閉めチェーンをせずにいました。私は、母がトイレに入らないかと思っていると、本当にトイレに入ったので、「今しかない」と思い、そこに置いてあった写真だけ持って裸足で逃げました。

父は横になって目を閉じていましたが、私が鍵を開ける時に気付き「こらっ」と怒鳴りました。私は後ろを振り向かず、一目散に逃げました。階段を降りる時、あわてて右足を挫きましたが、そのまま道路に出て50mぐらい走り、父が追い駈けて来ているかもしれないと思い、路地に隠れました。

犬に吠えられ塀を乗り越え、あるコーポの1階の一室のチャイムを鳴らし、出てきた若い女の人に監禁されていた事情を説明し、助けていただきました。そこで電話を借り、午前9時頃に豊中教会関係者が迎えに来てくれるまで、そこにかくまっていただきました。


6.終わりに

私に対する拉致監禁・強制改宗は、直接的には家族らにより行われました。しかし家族だけでは到底考えられないほど緻密な計画に基づいたものでした。両親は数回、松沢牧師らが行う拉致監禁相談会に行き、そこで色々と牧師や元統一教会員、その家族等からの助言や指導を受けていました。

私は監禁中、牧師達に「1度でも文鮮明先生にお会いした事がありますか」と聞きました。高澤牧師や尾島淳義は、統一教会の反対活動をしていながら「1度も会ったことは無い」と言いました。文先生や御家族の誹膀・中傷を繰り返しながら、1度も会った事のないのにただ人から聞いた話だけで、それが正しいかのように家族に思い込ませ、何日も何十日も自由を拘束し、信教の自由を奪うという行為は、卑劣極まりません。その中で味わった心の痛みは、そう簡単に消えるものではありません。人生の大切な時間をこの様な事に奪われ、仕事も奪われました。統一教会の信仰を棄てるまで何回でも拉致監禁・強制改宗をされるようでは、恐ろしくて家にも帰れません。

この様な体験をしたのは私だけでなく、多くの統一教会員がこの様な拉致監禁・強制改宗によって統一教会の信仰を棄てるように強要されています。今後この様な方法で信教の自白を脅かす事が絶対あってはなりません。

現在も統一教会員の中で、家族が牧師や反対組織につながっているため、拉致監禁される恐れのため帰省することも、家族に住所を教えることもできず、精神的苦痛を受けている人がたくさんいます。今後も私と同じような拉致監禁・強制改宗による被害者が発生しない事を祈り、ここに私の体験を陳述いたしました。 


以上

  • 我らの不快な隣人

    ルポライター米本和広氏が、拉致監禁によって引き起こされたPTSD被害の実態をレポート。

    ►第6章 掲載
  • 人さらいからの脱出

    世にも恐ろしい「人さらい事件」に関わった弁護士、牧師、マスコミ人らの非道な実態を実名で白日のもとにさらす。

    ►書籍紹介
  • 日本収容所列島

    いまなお続く統一教会信者への拉致監禁。小冊子やパンフレット、HP等で告知してきた内容をまとめました。

    ►書籍紹介

URLから
http://kidnapping.jp/m/
QRコードから