拉致監禁事件の根絶を政府に求む! 全国 拉致 監禁・強制改宗被害者の会

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冊子「拉致監禁」シリーズ 1 痛哭と絶望を超えて

5.逆境を越えて得た親子の絆 大森陽子

啓示と夢によって導かれる

すると不思議なことがいろいろ起きてきました。それは祈祷を始めて21日目ぐらいでした。夢を見るようになり、いろんな啓示が下りるようになりました。その中で三つほど覚えています。

それは、今から考えれば申し訳ない話ですが、もし私が霊的におかしくなって、神様と真の父母様を裏切るようになったとしたら、そのときは生きていられない、死んだほうがいいと思い、死ぬ準備までしました。かみそりを用意し、母のバッグからとても強い頭痛薬を盗み出し、それを隠し持ちながら祈りつづけたのです。

「神様、もし万が一あなたを裏切るようなことがあったならば、私はこの薬を飲み、手首を切って死にます」

そのとき、第一回目の啓示が下りました。「どうして死ぬのか、あなたは生きて信仰を全うしなさい。文先生はメシヤであるがゆえに死ぬことができなかったのだ」。「あの興南に入っておられたときも、自らの肉体を生かしていかれたではないか。だから、あなたはこの場から出て信仰を全うしなければいけない」と言われたのです。

そのとき、とても申し訳なく思って、「なぜ死ぬことを考えたのだろうか」と、思いとどまることができました。

2回目に降りた啓示が、「サタンはあなたを離教させることだけが目的ではない。祝福家庭を一つでも崩したいのがサタンの目的である」という内容でした。

3回目には、「私の願いをかなえて欲しい。私の願いは、神の血統をこの地上に一人でも多く残してくれることだ」というのです。それを聞いて、私は“まだまだ死ぬことができない。ここから無事に出て、神様の血統を生むまで死ねない”と思いました。

さらに、不思議なことが次々に起こりました。

お寺で監禁されていたとき、お寺の住職が「退屈だろうから」とレンタルビデオを2本借りてきてくれました。インディジョーンズの「最後の聖戦」と、スティーブ・マックイーンの「大脱走」でした。これを観て本当に力が出ました。まるで、神様からのメッセージのような気がしたのです。

脱走不可能と言われた収容所を囚人たちが抜け出していくのですから、この監禁も絶対抜け出せると思いました。「最後の聖戦」は、イエス・キリストの聖杯をめぐって、善と悪が戦うのですが、最後、善が勝利する姿を観ながら、勇気が出ました。私の選んだ道は絶対間違いないと…。

脱出してから後、私には「何故、お寺の住職はあの2本のビデオを借りてきたのだろうか」という疑問がありました。もしかしたら、「私を逃がしたい」という思いがあったのではないかとも思われました。子女が生まれて熊本へ帰省したときに、その真意を聞いてみました。ところが、住職は「自分はそんなビデオを借りていない。何かの間違いではないか」と言うのです。そのときに、これはこの人の意志でやったのではない。自分の意志ではないから、その部分だけ記憶が消されているのだと理解できました。やはり神様からのメッセージだったのです。

また、夢でも不思議なことがあり、「襖の一部が開くから隣の部屋に逃げなさい。そして窓から飛び下りて逃げていくんだ」と言われたのです。それは5月のことでした。私はすぐ起きて襖を開けようとしましたが、とても大きな釘が打ってあるために開かないのです。ですから、なぜ霊界はここの襖が開くと言ったのか、とても不思議でした。

しかし、とにかく40日目が来たら、私は窓を割ってでもこの場から立ち去ろうと決意していました。その40日目というのは6月に入ってからでしたが、5月31日の朝、もう一度啓示が降りたのです。

「きょう実行しないといけない。今まであなたが祈祷条件を積んできたことが6月になれば、また一から積み上げなければならなくなってしまう。それに、6月はいつもさまざまな問題の起こる月である。とても霊的に弱くなる月だ。だからきょう実行しなければならない」と言われたのです。そして起きて襖を見たら、なんと釘がなくなっていたのです。それを見た瞬間、神様がきょう実行しなさいと言われていることを悟ったのです。

釘が何故なくなっていたのかというと、私の気持ちがまったく変わらないのを見た親は、6月になったら村上密牧師を呼んで、隣の部屋で私を教育しようと思って、親が釘を抜き、隣の部屋の準備をしていたらしいのです。私が、釘を抜いたことに気づかないと思ったらしいのです。

ですから、私は、村上牧師の来る前に脱出したことになります。まさに、脱出するべき時を霊界から教えられたのだと思います。

脱出した後、親が大金を支払い、反対牧師を使って私を監禁したという事実を知り、そのことが私の心を深く傷つけました。しかし、私の場合、御旨を歩む中でその傷が消えていったのです。

いろんな責任分担を歩ませていただきましたが、一番大きかったことは、伝道対象者を御言で教育する責任を任せられて歩んだときでした。「一番、血の近い人を愛したいのに、愛することができないのならば、私から遠い人をまず愛していこう。私が担当するすべての人を天につなげていきます」と決意しました。わずか1年間でしたが、ほとんどの伝道対象者を天につなげることができました。

しかし、ある一人のゲストと重要な話をする日、主体者が私の両親と会う約束の日と重なってしまいました。主体者からは、私にもいっしょに来てほしいと言われましたが、「ゲストの永遠の命が大切だ」と思って、私は帰りませんでした。

今思えば、これが私の越えるべき最後の試練だったように思います。対象者との話が終わるのと同時に、主体者からも連絡が入って、私の両親が受け入れてくれたという内容でした。

そして、当時、反対牧師問題を担当する人から、監禁から脱出するためには真のお父様の写真を出された場合、それを踏んでもいいからとにかく監禁から脱出するようにという指導がありました。しかし、私が監禁される前のことでしたが、監禁から脱出してきた兄弟姉妹の中には、その「踏み絵」を踏んだために傷ついている人が多くいました。それは監禁から脱出するため、本心からしたのではないにせよ、真のお父様を形式的にでも否定したことで、深く傷ついてしまう人が多かったのです。

だからこそ、私は、もしそのような状況になった場合、お父様の写真を踏まずに出てくるんだと心に決めていたのです。信仰をまげることなく、監禁から出てくることができたのは、私にとって幸運でした。もしも踏んでしまったら、きっと私の良心がゆるさなかったと思います。

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1 痛哭と絶望を超えて
  1. はじめに
  2. 拉致監禁による強制棄教事件の歴史
  3. 警察庁長官に訴えるも届かず
    夫と、当時1歳半の長女を拉致され、家族の引き裂かれたTさんの苦悩
  4. 残された心の傷 塩谷知子
  5. 逆境を越えて得た親子の絆 大森陽子
  6. 相談窓口のご案内
冊子・ビラ・書籍
我らの不快な隣人
人さらいからの脱出
日本収容所列島
踏みにじられた信教の自由
「原理講論」に対する補足説明
冊子「拉致監禁」シリーズ1
痛哭と絶望を超えて
はじめに
拉致監禁による強制棄教事件の歴史
警察庁長官に訴えるも届かず
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冊子「拉致監禁」シリーズ2
その時警察はどう動いたか
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反対派の悪辣な手口
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