拉致監禁事件の根絶を政府に求む! 全国 拉致 監禁・強制改宗被害者の会

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我らの不快な隣人 統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇

第六章 引き裂かれた家族

両親の御礼奉公

一つは、小林宗一郎(36)の拉致監禁だった。

以下は、拉致された当人、小林の証言である。

「97年4月の朝、アルバイトに行くために東京の千住警察署近くの道を歩いていると、突然、父が現れ、『宗一郎だ!』と叫ぶや、すごい勢いで駆け寄ってきました。父の周りには両親や親戚をはじめ20人近くの男女がいて、そのうちの4人が父と一緒に襲いかかってきた。手足をつかまれ、担ぎ上げられ、ワゴン車に押し込められました」

この20人近くいた男女のうちの2人が麻子の両親である。

小林の両親は戸塚教会の勉強会仲間だった。

両親が小林の所属する足立教会を毎日見張って後をつけたのか、居場所を突き止めた。さっそく、麻子のときと同じように塩野(仮名)が中心となって、拉致監禁の計画が具体化されていった。小林の顔写真がみんなに配られた。当日、戸塚教会から参加したのは麻子の両親を含め9人で、拉致には直接手を下さず、周囲から妨害があるのを防ぐ役割を果たした。

もう一つは、脱走してきた元信者をつかまえたケースである。

96年の12月、勉強会の最中だった。黒鳥が血相を変えて部屋に入ってくるなり、叫んだ。

「伸子さん(仮名)が群馬のマンションから逃げたって! しかも裸足で! たったいま、清水先生から連絡がありました。誰か捜索に行ってくれませんか」

鎌倉に住む伸子の両親も勉強会仲間だ。1回目の監禁に失敗し、2回目でようやく成功し、「サンライズ太田」で清水の説得を受けていると聞いていた。

麻子の両親と脱会者の父親、女性脱会者の4人が立ち上がった。行き先ははっきりしなかったが、考えられるのは以前伸子が暮らしていた世田谷の教団施設のそばのホームである。すぐに車を飛ばした。

車を施設のそばに止めたところ、偶然にも、群馬ナンバーのタクシーが横に止まり、伸子が降りてきたのである。一緒に行った女性脱会者が「こっち、こっち」と呼びかけたら、助けがきたと勘違いしたのか、そのまま麻子の両親の車に乗り込んできた。

車はそのまま群馬に逆戻り、利根川の近くで待っていた清水に引き渡した。

数ヶ月後、伸子は両親とともに戸塚教会にやってきた。

両親がみんなに挨拶した。

「馬鹿な娘のために、あのときはみなさんにほんとうにご迷惑をおかけしました」

麻子は無性に腹がたった。

〈監禁する親が嫌だったから逃げ出したというのに、責任を子どものせいにするなんて〉

伸子の連れ戻しに一役買った女性脱会者は、麻子に「伸子さんと会うのは、とても怖い。逃げ出したのを捕まえたんだから」と話した。この女性脱会者にも脱走した経験があった。麻子が聞いたエピソードである。

「山の中を裸足で逃げ回っていたとき、『あっちだ』『こっちにいるぞ』という声が聞こえてきて、まるで獣狩りをされているようだった」

三つめは、拉致が空振りに終わったケースである。

拉致対象者は今利理絵(38)である。理絵は三人姉妹の長女で、3人とも信者だった。

麻子が拉致監禁される1ヶ月前の95年10月、理絵とすぐ下の妹がほぼ同時に群馬県のマンションに監禁された(妹は監禁を否定)。妹は清水の説得によって脱会したが、理絵は1週間でマンションの2階から雨樋を伝って逃げ出した。

麻子が横浜のアパートに監禁されていたとき、妹が両親に明るい話題のメモを渡したことがあった。〈去年のうちに理絵さんの妹さんの説得は終わって、結果、吉だったそうです。良かったね〉。これは、理絵の妹が脱会したことを指したメモであった。

マンションから脱走した理絵はその後、合同結婚式で結ばれた今利智也のもとに逃げ込み、入籍した。

その理絵を再び拉致する計画がもちあがった。中心になったのはやはり塩野だった。

呼び出し役は脱会した妹で、場所は川崎市宮前区のレストラン。麻子の両親も事前に下見をした。ところが、当日、今利智也と理絵は姿を現したものの、レストランには入らなかったという。

ちなみに、麻子の両親は関与していないが、その後、理絵は妹の誕生日を祝うために一緒にファミリーレストランのデニーズで食事を終えたところを、両親、親戚、両親の知人、塩野など10人近くの男女に襲われ、メガネを壊され負傷した智也をよそに、理絵だけが連れ去られた。

監禁場所は横浜市、藤沢市と転々としたが、最終的には埼玉県深谷市のマンションに落ち着いた。説得にやってきたのは太田八幡教会の清水牧師だった。6ヶ月間の監禁生活のあと、偽装脱会によって解放され、夫の智也のもとに逃げ帰った。

これらが、麻子両親の"御礼奉公"の具体的内容である。

両親は、仕方なく拉致監禁を手伝ったわけではなかった。

群馬のマンションから逃げ出した伸子を捕まえるため、すぐに車を走らせたように、邪悪な教団から子どもたちを救出するには"保護"するしかないと、積極的に取り組んでいたのだった。

"保護"の後遺症に苦しむ娘の傍らで率先して"保護"を手伝う両親――悲劇というほかない。

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