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2013年5月24日

後藤代表民事裁判:後藤氏兄に対する尋問


当会代表の後藤徹が、自身の拉致監禁・棄教強要に関与した親族や新津福音キリスト教会の松永堡智(やすとも)牧師、職業的改宗活動家の宮村峻(たかし)氏などを相手取って起こした民事裁判は、去る514日、東京地方裁判所において第15回口頭弁論が開かれ、被告T<後藤徹氏の兄>(以下T)に対する本人尋問が行われました。

実弟である後藤氏が、「兄は正直な性格の持ち主で、嘘がつけない人」と評するTは、尋問中終始うつむき加減で裁判官の顔を見ず、覇気が無いばかりか、ばつが悪そうな様子でした。その姿は、主尋問の段階から、真実を堂々と訴えに来ているというよりも、まるで罪人が取り調べを受けているようでした。

Tに対する主尋問では、被告側代理人が代わる代わる質問に立ち、陳述書に沿った答弁がなされ、以下が供述されました。

1)原告に対する拉致監禁事実などなく、原告はあくまでも本人の意志でマンションに居座り続けた。出ていきたければ、いつでも自由に出られる状況にあった。

2)原告が3度にわたる「断食」(21日間×2回、30日間×1回)(原告主張=ハンガーストライキ)を行った理由は、原告がTに要求したノートや韓国語のテキストなどを支給しなかったことがきっかけであり、また、家族が統一教会の教えを受け入れるようにという「願掛け」の意味もあった。

3)原告主張の「監禁に耐えかね力ずくでの脱出を試み、何度も揉み合いになった」という事実はなく、単にTに対する男兄弟特有の反発心から、嫌がらせのために暴れたもので、「デモンストレーション」的だった。

4)マンション・荻窪フラワーホーム玄関の南京錠は、統一教会信者が原告を奪還しにくるのを防ぐために設置し、鍵は常時下駄箱の上に置いてあった。6畳間と玄関との中ドアの鍵は、Tが仕事に集中するために設置。玄関側からドアノブのボタンを押して施錠できる仕組みになっていた。

5)「話し合い」の終了については、家族と本人で話し合って決める。

6)原告が125カ月マンションに居座り続けたが、真剣な話し合いに応じなかった理由として、真剣に話し合えば統一教会の間違いに気づき、信仰を失ってしまうことを恐れた一方で、話し合いを完全に放棄してマンションを出ていく事は、伝道対象者として大切にしなければならない家族との関係に支障をきたすと考えたため。

Tは主尋問の最後に、「私達家族は、徹(原告)をかけがえのない家族と思い、UCでの活動について心配していました。自分自身の頭でしっかり検証してほしいということで設定した話し合いの場が、12年も続くとは思いませんでした。今日こそは、明日こそは、真剣に向き合ってくれると信じながら毎日を送り、気が付いたら12年が過ぎていました。(中略)統一教会は拉致監禁などというが、その実態は、教会が行っている反社会的活動への糾弾をそらすための『拉致監禁キャンペーン』に過ぎない。裁判所としても、統一教会を糾弾する取組みの芽を摘まないように公正な裁判をお願いいたします」と述べました。

午後は、原告側代理人による反対尋問が行われました。

先ず、原告側代理人は、Tが準備書面などで「統一教会内では『アベルカインの法則』という教義に基づき、アベル(上司)の指示には絶対に従わなければならないと信じ込まされ、アベルへの報告・連絡・相談の徹底がなされている」等と主張している一方で、T自身が「保護」された19875月当時、日帰りの予定で帰省して以降、一度も「アベル」や教会に連絡を入れていないことが指摘されました。

Tは答えに窮しながらも、「すでに話し合いに入っていたし、親の願いとして『お前の考えを聞きたい』と言われたので」と供述。「アベルカインの報告は無視したと?」と問われると、「家族がそこまで心配しているなら仕方なく、(アベルカインの法則に)優先しました」と述べました。

続いて、Tが主尋問で「話し合いの終了は家族と本人とが話し合って決める」と答弁したことについて、原告代理人が「宮村の許可なく親だけの判断で信者を解放した事案が一件でもあるか?あるなら調べるから、具体的に名前を挙げてください」との質問がなされました。これに対してTは、「・・・私の記憶では(そのような事例は)ありません」と正直に供述しました。

被告側は一貫して、「家族の話し合い」は原告の同意の上に始まったと主張しています。しかし、1987年10月に実行された第一回目の監禁において、原告が務めていた〇〇建設に、事前に原告の父が事情を説明し無断欠勤扱いにならないようにしたことについて、「何故、本人の意向を無視して勝手に休職の手続きをしたのか」と問われたTは、「父が休む都合もあったから」と述べました。さらに、以下の事実がTの供述で明らかになりました。

・第二回目の「話し合い」のために新潟のマンションを用意したことを事前に原告に知らせていなかったこと。

・「保護」の期間中に、原告の住民票を勝手に移動したこと。

・国政選挙の投票券を一度も渡さず、投票権を無視したこと。

・自動車免許を一度も更新させず、失効させたこと。

・実父の葬儀に参加させなかったこと。

加えて、125カ月の間、Tの知る限り原告が一瞬たりとも1人きりにされなかった事実もTの供述によって確認されました。

それらの異常性を追及されたTは、「話し合いをしていたし、本人も言い出さなかったから・・」と弁明にもならない弁明に終始し、当時、原告の意志が完全に無視され、あらゆる人権が認められていなかった状況が明白となりました。

また、反対尋問の中で、フラワーホーム804号室の玄関ドアに設置された南京錠について、Tが「入居直後でもなく、1週間くらいしてから設置した」と供述したことに対し、「入居前に取り付けたことが、刑事手続きにおける取り調べでは確認されている。何故そのような嘘をつく?」と追及され、その場で謝罪しました。

さらに、原告がTに「偽装脱会」をしていた旨を伝えた際、「こんな監禁なんてやり方をするあなた方が悪い!」と「心の中に無理矢理押し込んできた鬱屈した思いを一気にぶちまけた」とする原告の主張について、Tは陳述書でその事実を否認し、「(原告は)偽装脱会という形で家族や関わってくれた人たちを騙し続けたことを詫びた」と反論していました。反対尋問でも同様の供述をしたTに対して原告側代理人が、被告・宮村が陳述書で「そのようなこと(原告による激しい抗議)があったと私はマンションで聞いたように思います」と原告の主張を認めていることを指摘。被告側代理人たちに向かっても、「あなた方、陳述書を作成するときに、ちゃんと示し合せないからこうなるんですよ」と強く一喝しました。

Tの供述により、1980年代から複数のマンションが常時確保されており、水茎会(宮村が関与する父母の会)が、「保護説得」のため常習的に使用していた事実も確認されました。

続いて、原告が、長期間にわたって粗末な食事しか与えられない食事制裁の虐待を受け、骨と皮だけの飢餓状態に置かれていた期間、家族は平然と原告と一緒に同じテーブルでハンバーグやカレー、スパゲティなどを食していたことについて「この落差を目の当たりにして良心の呵責を感じなかったのか」「どうしてこのような差別を?」「統一教会信者にはまともに食事をとる権利もないということか」等と追及されると、Tは「徹がまたいつ断食を始めるかわからないので・・・ギャップがないように・・」と苦しい弁明をしました。

またTが、原告のマンションでの生活態度を指して「まるで王様みたい」と陳述書で表現していたことについて、原告側代理人は解放直後の原告の痩身写真を示しながら「あなたそのくだりは自分で書いたのか、それとも弁護士の作文か」「正気で書いたのか?王様の生活をしていた人間がこんな飢餓状態になるか?」と叱責しました。

反対尋問の終盤では、「婚約者と家庭を持つことも、子供を持つこともできない。仕事もできない。高熱にうなされても病院にも行けない。食べたいものも食べることができない。ただ延々と狭い空間に居続けて125カ月、無為に年を重ねるしかない。これが『原告本人の意志だった』と貴方は言うのか?」と問われたTは、「そうです」と供述。原告側代理人の「自分が言っていることが、常識から外れているという自覚はあるか?」との質問には「統一教会は常識では測れない・・」と述べ、本人尋問を終えました。

次回日程は、63日(月)午前10時から午後5時まで、後藤氏の兄嫁と松永堡智牧師に対する被告本人尋問が803号法廷で行われます。法廷での傍聴は抽選になる予定ですので、開廷30分前までにお越しください(通常は、開廷時間20分前までに東京地裁玄関前の指定場所で抽選券が配布され、その場で抽選が行われます)。 

  • 我らの不快な隣人

    ルポライター米本和広氏が、拉致監禁によって引き起こされたPTSD被害の実態をレポート。

    ►第6章 掲載
  • 人さらいからの脱出

    世にも恐ろしい「人さらい事件」に関わった弁護士、牧師、マスコミ人らの非道な実態を実名で白日のもとにさらす。

    ►書籍紹介
  • 日本収容所列島

    いまなお続く統一教会信者への拉致監禁。小冊子やパンフレット、HP等で告知してきた内容をまとめました。

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