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根深いPTSD-未だ孤独な戦いを強いられる拉致監禁被害者
桜田淳子報道の影で苦しむ一人の女性
先月はじめのこと、桜田淳子さんが4月7日に久しぶりにステージに立つということでにわかにマスコミが賑いを見せた。特にコンサートの3日前に「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(以下、「全国弁連」)が記者会見を行い、桜田淳子さんの芸能活動に反対する声明を出したことで、テレビ各局がワイドショーなどで取り上げ、かなりの時間を割いて放映した。
古びたアパートの一室で、ひとりその映像を見ている女性がいた。
その女性は長年に亘って重度の鬱病を患っていて、テレビに映し出された全国弁連の記者会見を見て、ある過去の記憶が蘇り、一気に気分が落ち込んで病状が悪化した。
中島裕美さん。
彼女の名前を覚えている人は少なくないと思う。統一教会信者に対する拉致監禁・強制棄教を丹念な取材によって告発した米本和広氏の著書『我らの不快な隣人』には、拉致監禁の後遺症、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しむ3人の元信者女性が主人公として登場するが、裕美さんはその中の1人だ。
裕美さんが拉致監禁被害に遭い、その後にPTSDを患うようになった経緯は『我らの不快な隣人』に詳しいが、当時26歳の裕美さんが拉致監禁によって脱会したのは、1989年の夏、つまり今から28年も前のことだ。裕美さんは、その時々によって波はあるものの、その後ずっと重い鬱病で苦しみ続け、精神科に入退院を繰り返している。裕美さんは、精神障害者の認定を受け、公的な支援を受けながら今も社会復帰に向けていつ終わるともしれない孤独な戦いを強いられている。
<よみがえった12年前の記憶と憤慨>
桜田淳子さんの報道から1週間ほど経った先月の半ば、3ヶ月間の入院を終えて退院した裕美さんの近況を伺おうと、私はもう一人の知人と連れだって会いに行った。ファミレスで食事をしながら話をする裕美さんは、一見元気そうな様子だったが「今も時々拉致監禁のフラッシュバックに襲われるんです」と近況を話してくれた。裕美さんの病状は一進一退だが、ここ最近は少し良い方に向かっていて薬の服用も減っていると聞いて少し安心した。
すると、裕美さんが突然こんなことを言い出した。
「桜田淳子さんの報道で久しぶりに山口弁護士や紀藤弁護士がテレビに出てきたのを見て、ものすごく具合が悪くなってしまったんです」
この話を聞いた時、裕美さんがなぜ全国弁連の記者会見映像を見て体調を崩すほどのダメージを受けてしまったのか、はじめはよく分からなかった。しかし、よくよく話を聞いてみると、拉致監禁の後遺症の根深さを感じずにはおれなかった。
話は、12年前の2005年に遡る。
全国弁連は、定期的に『全国弁連通信』という会報を発行している。2005年4月に発行された『全国弁連通信』には、日本基督教団戸塚教会の黒鳥栄牧師の『脱会後の自立と家族のかかわり』と題する講話が掲載された。この講話記事が裕美さんにショックを与えることになるのだが、ここで、黒鳥牧師と裕美さんの関係について記しておく。
黒鳥牧師は、裕美さんの拉致監禁、脱会説得に関わった「救出カウンセラー」だ。裕美さんが1989年に監禁されて脱会を決意した後、精神的に不安定になる中で黒鳥牧師にしだいに依存するようになる。しかし、その後、心療内科に通いながらも黒鳥牧師からケアされる過程で、裕美さんは黒鳥牧師の言動に傷つけられ、ついに2001年には精神科医から「監禁によるPTSD」との診断を受けるようになるのだ。
このような経緯から、その後裕美さんが黒鳥牧師と会うことはほとんど無くなったのだが、2005年、裕美さんが黒鳥牧師の講話記事を読んだ際、裕美さんは大きなショックを受けた。その講話の中にどうしても看過できない内容があったのだ。
裕美さんが読んだ黒鳥牧師の『脱会後の自立と家族のかかわり』と題する講話記事には、
全国弁連事務総長の山口広弁護士が、『月刊現代』に掲載された米本和広氏の拉致監禁を告発する記事を批判したコメントを黒鳥牧師が引用している箇所がある。つまり、米本氏の告発記事を山口弁護士が批判し、それを黒鳥牧師が講話の中で引用したのだ。少し長いが以下に記す。
-引用はじめ-
「次に『月刊現代』の昨年11月号の記事についてお話をします。そこに載せられた米本和広氏の記事も同じ影響をもたらすものと非常に憂慮されます。この間題につきましては、2005年1月18日発行の「全国弁連通信」100号に、私たちの代理人の一人である山口広弁護士のコメントが載りました。『お粗末な内容の米本論文』と題して山口弁護士は『少なくとも平常心で対外的に発信できる心理的状況にない脱会者の話を実名で中心にすえたことは彼の良心を疑わしめる。・・・(以下、略)」と記しておられます。 山口弁護士の文言をお借りすれば、『平常心で対外的に発信できる心理的状況にない脱会者の話を実名で中心にすえたこと』に、心を二重三重に痛めるものであります。・・・(略)・・・今回のようなマスコミを利用したキャンペーンによって、統一協会に対する救出の歯止めに利用されることに、重ねて強い憂いを覚えるものです。」
-引用終わり-
【注:当時、黒鳥牧師は拉致監禁被害者が訴えた民事裁判の被告となっていて、その代理人の一人が山口広弁護士だった。】
黒鳥牧師が引用している『全国弁連通信』100号に掲載された山口広弁護士による『お粗末な内容の米本論文』と題したコラムは、米本和広氏が『月刊現代』2004年11月号に寄稿した『書かれざる「宗教監禁」の恐怖と悲劇』を批判したものだ。
【注:山口広弁護士のコラムは、米本氏のブログ『火の粉を払え』に掲載されている】
⇒http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-7.html
米本氏による『書かれざる「宗教監禁」の恐怖と悲劇』は、拉致監禁によって統一教会を脱会した宿谷麻子さん、中島裕美さん、高須美佐さんの元信者女性3人を中心に拉致監禁を告発した20ページの記事で、その後2008年に出版される『我らの不快な隣人』のダイジェスト版といった内容だ。
当時、おそらく山口広弁護士としては、係争中のこともあり拉致監禁の事実を暴露されるような記事は抹殺したかったに違いない。山口弁護士は、コラムの中で米本氏が3人の脱会者女性を実名で記したことを指摘して「少なくとも平常心で対外的に発信できる心理的状況にない脱会者の話を実名で中心に据えたことは彼の良心を疑わしめる」などと的外れな批判をした。米本氏から取材を受け、あえて実名公表することを承諾した彼女たちの気持ちを全く顧みること無く決めつけで書かれたこの一文は著者の米本氏を憤慨させたが、この山口弁護士の一文を追認する形で引用しつつ講話をした黒鳥牧師に対しては、黒鳥牧師から長期間に亘って脱会後のケアを受けていた告発記事の当人である元信者女性達を憤慨させた。
【注:この山口弁護士のコラムに対しては、米本氏のブログ『火の粉を払え』にて「弁護士山口氏のコラムを評す(10)」として反論している。】
⇒ http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-23.html
インターネット上で今も訴え続けている宿谷麻子さん
3人の元信者女性の一人、2012年10月15日に48歳の若さで亡くなった宿谷麻子さんは、今もインターネットの世界で自らの思いを綴ったホームページ「夜桜餡」(副題:人知れず拉致監禁のPTSDと闘う夜桜のHP)からその心の内を訴え続けている。
⇒ http://www5.plala.or.jp/hamahn-k/index.html
周知のとおり麻子さんも裕美さん同様、監禁下で黒鳥牧師から説得を受けて脱会し、その後拉致監禁を原因とするPTSDで長年に亘って苦しみ続けた。2005年、『全国弁連通信』に掲載された黒鳥牧師の講話記事『脱会後の自立と家族のかかわり』を読んで憤激した麻子さんは、黒鳥牧師へ11項目の質問状を送っていて、それが「夜桜餡」に掲載されている。
⇒ http://www5.plala.or.jp/hamahn-k/situmon1.htm
この中で麻子さんは黒鳥牧師への質問状の5項目「5.私自身の病状について」において黒鳥牧師による講話記事を引用しつつ、怒りを込めて次のように質問している。
-引用はじめ-
5.私自身の病状について
1 「山口弁護士の文言をお借りすれば、『平常心で対外的に発信できる心理状況にない脱会者の話を実名で中心にすえた事であり』に、心を二重、三重に痛めるものであります。」
同封した主治医の意見書にあるとおり、私は平常心で対外的に発信できる心理状態ではないと言うのは、明らかに誤りです。山口氏は弁護士であり、精神科医ではありません。山口氏は私の心理状態を知る立場にもありません。山口弁護士の文言をお借りしたとありますが、この文面では貴方もそのように判断した事になります。貴方は、何の根拠を持って、PTSD患者を「平常心で対外的発信できる心理状況にない」と判断したのですか。
2 これは、平常心で対外的に発信できる心理状態にある、全てのPTSD患者を侮辱する言葉です。私自身もこの発言には憤りを感じます。こうした怒りに、貴方はどのように思いますか。」
―引用終わりー
当時、麻子さん同様PTSDで苦しんでいた裕美さんは、黒鳥牧師の講演記事を読んで麻子さんと同様の憤りを感じたのだ。そこで、記事が載っている会報を持参して黒鳥牧師を訪ねて問いただした。
「先生は、私のことを平常心で対外的に話ができない人間と思って今までずっと対してこられたのですか」
それに対し、黒鳥牧師は「言いたくありません」と繰り返すのみで、全くらちがあかなかったという。裕美さんが黒鳥牧師と会ったのはこの時が最後だった。
今も続く拉致監禁被害者の苦悩
今回、裕美さんがテレビ画面で山口広弁護士ら全国弁連の記者会見の映像を見て精神に打撃を受け、病状が悪化したのは、2005年当時の悔しい無念な記憶がよみがえってきたからなのだ。
ファミレスで食事をしながら、裕美さんは私達に語気を強めて言った。
「(記者会見を放映していた)番組に、その影で監禁された後遺症で今も社会復帰できない被害者がいるということを知らせようかと思いました」
裕美さんの静かな怒りにふれ、彼女の心の傷の深さを感じた私は、この問題の根深さを改めて思い知らされた。
昨年2016年は、1966年にはじめて拉致監禁事件が起きて以来、50年ぶりに拉致監禁件数がゼロの年となった。しかし、拉致監禁によるPTSDで社会復帰もままならず、人知れず今も苦しみつづけている裕美さんのような被害者もいるのだ。拉致監禁の後遺症で苦しんでいるのは裕美さんだけではない。今も苦しみ続けている多くの拉致監禁被害者がいることを山口広弁護士はじめ全国弁連の諸氏には是非知っておいていただきたい。
当会代表 後藤徹
【おことわり:文中の「統一教会」は、現在「家庭連合」という名称ですが、便宜上、旧名称で表記してあります。】