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拉致監禁 侵された信教の自由

1.12年余耐えた後藤徹さん

家族の背後に強制改宗屋 監禁で極度の衰弱、体重は半減

2009.6.23 世界日報紙掲載

「ここ荻窪で私は12年5カ月監禁されました」。5月下旬の日曜日、都内・荻窪駅前で、ハンドマイクを持った都内在住の後藤徹さん(45)が訴えた。「2重に施錠されたマンションの一室で、常時2人から4人に監視され身動きが取れなかった。この非道の事実を国民に知ってほしい」。


東京・JR荻窪駅前で、ハンドマイク片手に拉致監禁の非道を訴える後藤徹さん=5月24日

若い女性は、受け取ったビラを食い入るように見ていた。

後藤さんは、これまで2度拉致監禁されている。そのうち2度目は1995年、監禁場所は何カ所か移動し、この荻窪にあるマンションでは10年余り閉じ込められ、解放されるまで一歩も外に出られなかった。

最初の監禁は87年、後藤さんがあるゼネコンに勤務していた23歳の時だった。世界基督教統一神霊協会(統一教会)に入信した彼に対し、元信者の兄が両親を巻き込んで執拗に脱会を迫った。ホテルやアパートの一室に閉じ込め、外部環境を遮断して改宗を迫るやり方は、兄の場合と同じだった。ただ、この時は一瞬のスキを見て逃げ出し、難を逃れた。

そして2度目は95年の9月11日のことだ。西東京市の自宅に戻り食事をしていた後藤さんに向かって父親が、「徹、話がある」と話し掛けた。その瞬間、食卓を囲んでいた両親と兄妹、兄嫁ら家族の雰囲気が変わり固い表情になった。

いきなり兄と父に両脇を抱えられ引きずられながら、家の前に止めてあったワゴン車に押し込まれた。庭に抜け道があったが、逃走経路を断つように男が立っており、強制改宗屋の一人だった。

後に分かったが、行き着いた先は新潟市内のマンションの一室で、内側からも施錠できる玄関のドア。窓もすべて内側から施錠されており、兄は「この問題を解決するまでは絶対妥協しないし、この環境もこのままだ」と言い放った。

この間、新潟にある新津福音キリスト教会の松永堡智牧師が現れ、後藤さんに聖書の話や統一教会の問題点を指摘した上で「こういう機会はないだろうから、じっくり考えてほしい」と述べた。だが、拉致監禁された中で一方的に教え込まれる話は、到底納得できるものでなかった。

97年6月には荻窪に移りマンションの一室に監禁されたが、施錠の状況や監視が一日中付きっきりなのは変わらない。統一教会から「職業的脱会屋」と呼ばれる宮村峻・会社社長が元信者や社員5、6人を引き連れ、後藤さんを取り囲むようにして脱会説得を始める。だが後藤さんは元信者らに対し「皆さんは考えろと言いますが、監禁すること自体が犯罪であり、私のやるべきことは、こういう不当な監禁に対する抗議です」と一歩も引かない。

後藤さんは強い抗議の意思として30日間の断食を行う。しかし断食が終わっても、約70日間にわたり1日3回小皿に少々の重湯と、1リットルのポカリスエットだけという日がずっと続いた。事実上の“食事制裁”という状況だった。

さすがにこれは死ぬのではないかと思い、分からないように冷蔵庫から調味料をそっと取り出そうとしたが、見つかって調味料を全部隠された。生ゴミを捨てるところから、ニンジンの皮やキャベツの芯をそっと抜くのも見つかって隠されたりした。

(「宗教の自由」取材班)

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世界学生新聞 号外 1993.5.15
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