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拉致監禁 侵された信教の自由
4.後遺症に苦しむ野副牧人さん
3階から飛び降り脱出 一時、下半身不随の宣告も
2009.6.26 世界日報紙掲載
東京・三鷹に住む野副牧人さん(49)の背骨の一番下・第一腰椎は砕けたままだ。拉致監禁された場所から脱け出そうとして負傷した時の後遺症だ。そのため身長は174センチから171・5センチに、約3センチも縮んだ。
棄教のための拉致・監禁被害者がこれ以上でないように強く訴える野副牧人さん
野副さんが拉致監禁されたのは平成4年9月中旬、既に17年の歳月を経たことになるが、その時の思いはまざまざと蘇よみがえってくる。キリスト教の牧師だった母親の元に久しぶりに帰省した時だった。そこに待ち受けていた親族たち。突然腕をつかまれ、引きずられるようにして強引に車に乗せられた。力任せに振り払って逃れようとしたが、大勢に囲まれ全く歯が立たなかった。「とてつもない恐怖心に駆られた」。慎重に言葉を選びながら語る。
連れて行かれたのがマンションの一室。母親宅のあった埼玉県大里郡寄居町から高速に乗って1時間半ほどのところだったとの認識はあるが、野副さんは今も正確な場所を知らない。
部屋の中の異様さに気付くのに時間はかからなかった。窓という窓に板張りが施され、入り口のドアは内側から暗証番号式のロックが掛けられるようになっていた。いわば密室状態だった。その細工を一つ一つ確認するたびに、「気持ちが追い込まれ、心がふさがれて絶望的な思い」になっていった。
何日かすると、大宮福音キリスト教会(現在のさいたま福音キリスト教会)で働いているという坂下章太郎牧師が訪ねてきたが、以来、同牧師は、たびたび元信者を引き連れて来て、彼らと一緒になり統一教会批判を繰り返していった。
「とにかくこの場から出たい」。死地で活路を見いだすように、野副さんは、あえて信仰を捨てたと見せかける“偽装脱会”を試みた。反発していた態度を改めて、おとなしく話を聞いた。態度が変わったので家族は安心したのか、窓の板も取り外されるようになった。
だが、野副さんは「いつ窓から逃げ出そうか」と頭を巡らしていた。ある晩のこと、トイレに立って行き、ハッと気付いた。いつも誰かが付いて来て用を足す間も監視していたのに、その時は、誰も起きてこなかった。
「今だ!」
気付かれないようそろりと窓を開け、ベランダに出た。そのまま柵の上に立ち、覚悟を決めて3階から飛び降りたのだ。「やった!」と思った次の瞬間、気を失ってしまった。数時間後に意識を取り戻した時は、すでに夜が明けかかっていた。
「とにかく、早くどこかに行かなければ」と、立ち上がろうとした時、腰のあたりにこれまで体験したこともない激痛が走った。飛び降りた際に腰を痛めたらしく、立つこともできなかった。
痛みに耐えながら、野副さんは監禁場所の周辺を覆っていた薄暗い林の中を這って前進した。見つかるのではないかという不安と激痛からその時間がとてつもなく長く感じられた。やっとの思いで道路に出、偶然通りかかったタクシーに乗り、東京の自宅にたどりついた。23日間の監禁から解放された朝だった。
だが、脱出の際、第一腰椎が砕けたことが分かった。医師から「再生は不可能。下半身不随になるかもしれない」と告げられ、大きなショックを受けたが、こみあげてくる解放の喜びのほうが勝っていたという。全く動かなかった足は1週間後、少し動き出し、さらに3カ月間リハビリを続け、ようやく普段と変わりない動きを取り戻した。担当医も「奇跡だ」と驚いていたという。
野副さんはキリスト教の牧師だった母親から監禁されたことに、今でも強い憤りと当惑を感じている。現在、妻と子供2人の家族。「あの時は、体と同時に心も完全に封じ込められた状態だった。もう自分のように苦しむ人が出ないようにしなければ」。なお後遺症に苦しみながら、これ以上の犠牲者が出ないようにと祈る日々だ。
(「宗教の自由」取材班)