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韓国に来た統一教会の日本女性7千人、拉致の恐怖

駐韓日本大使館に嘆願「1966年、最初の拉致事件後、4,300人被害」

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ムン・イルソク記者 moonilsuk@korea.com

統一教会の国際合同結婚式を通じて韓国に嫁入りし、暮らしている日本女性たちの数字は、7千人余りに達する。これら日本女性たちの中で、母国である日本で拉致監禁される事件が頻発、日本の新種の社会問題になっている。「日本の統一教会員拉致監禁による韓国人権被害者対策委員会」の代表、日本婦人50人余りは、3月23日午後2時、日本大使館の前で日本の伝統衣装であるキモノを着て、拉致監禁に対する恐怖によって日本に行くことができない切迫した状況を解決してくれという嘆願書を、駐韓日本大使館に提出した。

「日本の統一教会員拉致監禁による韓国人権被害者対策委員会」によれば、信仰が違うという理由で、日本の一部キリスト教牧師と事業を目的とする弁護士、左翼強制改宗業者らが主導しての統一教会信者を対象にした拉致監禁などと関連した事件の被害者は、1966 年、最初の拉致事件が発生して以来、4,300人余りに達しているとのこと。

「日本の統一教会員拉致監禁による韓国人権被害者対策委員会」が公開した最悪の拉致監禁事件は、後藤徹さんの事件。対策委関係者は、「監禁されて脱出した後藤徹さんは、身長が182cmであった。 彼は脱出当時、体重が39kgだった。 死ぬ直前だった。 彼は12年と5か月もの間、拉致監禁された。彼は2008年に脱出して病院に入院した。 がっちりした体重だったものが、小学五年生の体重である39 kgしかなかった。監獄のような部屋の中で、毎日むち打たれ、非難され、何もできない生活は生き地獄だった。この事件を契機として、拉致監禁による人権問題を本格的に提起することになった」と強調した。

▲写真説明;拉致被害者、後藤徹さん

対策委関係者は、「韓国人男性と結婚して幸せな結婚生活を営んでいたのに、日本の実家に帰っていた間に拉致監禁され、結局、絶望して自ら命を絶った27歳の日本婦人も存在した。また、ある妊婦は監禁場所で、『統一教会の信仰を捨てれば、胎児を堕胎させてやる』という恐怖感を体験し、10年を経過した今でも、後遺症に苦しんでいる。監禁されたアパートの6階から飛び降り、記憶を喪失した人もいる。 はなはだしくは、改宗してくれと要請した両親が、改宗専門業者によって、自分の娘が強姦されたという話を聞き、自殺した両親もいる。彼らは大部分、 PTSD(心的外傷後ストレス障害:強烈な恐怖を伴った体験ののちに起きる精神的な混乱状態)やうつ病などの後遺症に苦しめられていて、こういう不法で非道徳的行為は、消すことのできない傷として残っている」と付け加えた。

「在韓日本人拉致監禁被害者会(代表=田中志佳子ほか323人)」は、在大韓民国日本大使の前に提出した要請文で、「私たちは日本から韓国に嫁入りした日本人であり、韓国社会の一員として生活している統一教会の信者たちだ。現在、韓国の地で韓国人の夫と家庭を築いて暮らしている日本婦人の数は約7千人だ」としながら、「私たちの中には、舅と姑によく仕え、模範的に立派な嫁であり、家庭人だということで、地域の自治団体から誇らしい『孝婦賞』を受賞した人が100人以上にのぼる。各種社会団体や奉仕活動に参加し、テレビや新聞などのマスコミの注目をあびることもあった。私たちはそのたびに、私たちの新しい祖国である韓国の社会に献身することは、韓国の人々が祖国日本の真実の姿を理解するようになることと、日韓友好に少しでも助けになることを感じて、今日まで努力してきた」と明かした。続いて、「私たちは今まで、私たちが日本で信仰のために受けてきた不当な迫害、そして今も続いている被害の実情をお知らせして、私たちの人権を保護してくれるように望む気持ちで、ここに嘆願書を準備した」と表明した。

「日本の統一教会員拉致監禁による韓国人権被害者対策委員会(委員長=江利川安栄は、「拉致監禁による強制改宗をなくすための」内容を入れた嘆願書で「統一教会の信者として日本から韓国に嫁入りした日本人女性約7千人が、韓国社会の一員として生活している。私たちはこのほど、日本において統一教会信者である後藤徹さんが、信仰を捨てさせることを目的に、12年5か月にわたり拉致監禁された事件に対して知ることになった。拉致監禁とは、統一教会に反対するキリスト教牧師たち、奪回を請け負う改宗業者たち、弁護士、両親、兄弟などを動員して、「子供を保護する」「対話する」などを口実に、信者を強制的に拉致、脱会を表明する時まで、長期間にわたり監禁することだ。監禁現場を高層アパートの一部屋を使用し、あらゆる出入口を閉め、外出することを一切許さないまま、短くは数週間、長期の場合は数か月数年に至っている。文明国では考えられないおぞましい拉致監禁事件が、日本の地で起きている。そして韓国に嫁入りした日本人の中で何人かが拉致監禁の被害者になったことがあり、今後、新しい被害者になる可能性があって、日本に故郷訪問したくてもできない状況にある」と訴えた。

「日本の統一教会員拉致監禁による韓国人権被害者対策委員会」は、その事例も添付した。この会員たちは、嘆願書を通じて「1997年7月、韓国に嫁入りした藤田孝子さんは、仏教の法事のために韓国から愛媛県に帰国した時に拉致されたが、京都で監禁されている過程で追い詰められ、自殺するという悲惨な事件が発生した。韓国に残された夫の悲しみはどうだったのだろうか?ところが、警察はこれを監禁事件として捜索はせず、彼女を死に追いやった者たちが逮捕されたり、起訴されることはなかった」と明かした。それだけではなく「そのほかにも、韓国に嫁入りし、すでに家庭生活を営んでいた日本の婦人が故郷を訪問した時に拉致監禁され、その結果、離婚せざるを得なくなった例が、把握されたものだけでも3件は発生しているが、その中にはすでに妊娠していた場合もあった。このような状況では、出産のために日本の故郷訪問さえもできない」と説明した。

合わせて「2002年11月12日、韓国に嫁入りした元木恵美子さんは、夫、キム・トゥシクさんとともに故郷を訪問したが、13日の夜中に、二人は元木婦人の家族に襲撃されたあと、夫は秋田県にある土崎聖書キリスト教会に監禁された状態で、統一教会を脱退しろという話を松山裕牧師から聞いた。この時、夫キム・トゥシクさんは、仙台市にある韓国領事館に助けを求め、東京にある韓国大使館も動いた結果、山形警察署が出動して、11月25日に警察官などが元木婦人を釈放する事件が発生した。この問題は、韓国側から見るならば、韓国人の夫が拉致され、その家庭が破壊されるという重大な事件だ。日本政府がこれ以上この問題を放置する場合、日韓の間の重大な国際問題になることは明白だ」と強調した。

この日、原さゆりさんは、在大韓民国日本大使に提出した陳述書を通じて、「1989年4月1日、統一教会に入教して、大田教会に所属、伝道活動などに従事した。 まず、1992年6月から7月まで1か月間、2回目は、1992年11月25日から1993年6月24日まで7か月の間、総242日間監禁された」と明かした。彼女は最初の拉致監禁について、次のように明かした。

「1992年6月初め、二人の脱会者が両親を訪問し、さゆりさんを脱会させるのに協力してほしいと長時間母を説得した。母は黒鳥栄牧師に会いにいき、山梨県の日本キリスト教団谷村教会の川崎経子牧師を紹介された。1992年6月24日、私は山梨の本家に帰った時、外食後、帰宅するころ、車の後席に座らせられた。父が運転し、助手席には兄、後部座席の右側に母が座った。両親は「今から話したいから、一緒に行こう」と言った。家で話をすればいいじゃない」と言うと、「家では話せない」と答えた。そのまま山梨県の富士吉田にある「ビジネスホテル吉田」に連れていかれ、307号室に監禁された。吉田ホテルに到着した時、父の2番目の妹夫婦である、サガラ・ヒロ、スミコ夫婦が待っていて、父が右腕、叔父のサガラが左腕をつかんで、部屋に入った。両親は交代で一日に何度も牧師と連絡を取り、その指示を互いに伝えているということを、両親の対話で知ることになった。川崎経子牧師からここで4日間、合わせて10時間余り、統一教会脱会を強要された。ここは浴室とお手洗いが一緒になっていて、窓はなく、部屋の窓は1か所しかなくて、窓は少ししか開かなくなっていて、窓からは外に出ることはできなかった。 両親はいつもいたし、叔父と母方の叔父夫婦の計10人が交代で監視し、いつも5人程度いて、誰かがドアのそばを守っていた。途中、ほかのホテルに移されたが、1992年7月23日夜、両親が寝ている合間を利用し、そのホテルを抜け出して逃げた。

彼女が明かした2番目の拉致状況は次のようだ。

「1992年11月25日午前6時、明け方祈祷会に行っている間、突然、何人かの男性が現れて私を覆ってワゴン車に押し込もうとした。 一緒にいた友人石田かえこさんは、2、3人の見慣れない男性に地面に押さえつけられ、全然身動きができなくなった。私は『助けて』と大声を出して抵抗した。商店街の人々が何事かと、窓を開いて見回した。しかし見慣れない男性が「ああ、すみません。 家出した子供を連れていきます」と言って、そのままどこかに行ってしまった。 ワゴン車に私を強制的に押し込んだのは、私の父親と兄だった。車窓は開かないよう防止装置がついていて、父は私の腕をつかみ、後部座席には母と兄がいたので何もできなかった。見慣れないアパートに到着した時、「車から降りたくない'」と叫んで抵抗したが、強制的にワゴン車から引きずり下ろされた。私は車から降りる時、運転手と助手席に座っている若い女性に名前を尋ねた。運転手は「村松です」女性は「中田のぶこです」と答えた。「村松です」と答えた男性は黒鳥牧師の夫、黒鳥よしおみさんだ。「村松」と仮名を使ったのは、この拉致監禁の事実がばれれば良くないと考えたためだと思う。私が聞いたところでは、黒鳥よしおみさんは某高等学校の英語教師だそうだ。拉致監禁に教育者という人が協力したとすれば、信仰の自由を抑圧したりすることは決して許されないことだと考える」

一方で、「日本の統一教会員拉致監禁による韓国人権被害者対策委員会」関係者は、「全世界120か国余りで日本統一教会の拉致監禁事件に対して公式に問題を提起していて、自由の象徴米国では、ウォルター・フォントロイ牧師(前ワシントン下院議員)を中心に、日本の人権問題を解決するための活動が活発に進められている」と明かした。

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