新聞・メディア情報
世界学生新聞 号外 1993.5.15
スティーヴン・ハッサン著「マインド・コントロールの恐怖」
反統一教会派の対策用マニュアル
都合の悪い存在だけに選別的適用
系統的半学術的な性格
本書はハツサン氏のこれまでの経験をもとにまとめられたも.ので、一連の反統教会報道を機とした反対運動の盛り上がりに時期を合わせて出版されたかに見える。
本書はスキャンダルの断片的暴露の集積といった従来の反カルト文献とは異なり、著者の回顧録であると同時に、理論と実践の一致を目標とした系統的半学術的性格を持っている。反対派の対策用のマニュアルということもできるだろう。
首尾よく構成された分かりやすさ、説明の親切さといった啓蒙的性格の反面、多様かつ微妙で一概には語れない入信から脱会に至るドラマを、公式化した枠組みで単純化して捉えようとする一面も持っている。そこに見られるのは、それなりに個人的に教会内部で経験を積み、苦労を経た生の元信者の顔というよりも、むしろすっかり理論的にも実践的にも板についた反対活動家のそれのようにも思われる。彼は統一教会からの脱会を経て、反カルト思想に入信、献身したのであるから、いわゆる自由な立場から虚心に振り返った元信者の回顧録と同列ではないのは当然かもしれない。
このことは、強制改宗問題を契機とした今回の一連のマスコミ報道の在り方を知る上でも示唆的だろう。
反統一教会の「広告塔」
強制改宗で脱会した山埼浩子さんの口から「マインド・コントロール」という見慣れぬ言葉が出てきて、けげんに思った視聴者も少なくないはずである。メディアに出てこない期間は、一面では精神的落ち着きを取り戻す期間であろうが、一面では反統一教会の広告塔として、反対派の期待に首尾よくかなう、板についた語り口を修得する期間ではなかったか。
マインド・コントロールは、反対派にコミットしている学者は別だが、正規のアカデミズムの受け入れる学説では全くない。本書が依拠するリフトンやシャインの古典的な学説が、以後どのように受け止められ議論されたかも重要になる。
ここでは、そこまで立ち入る必要はないが、?いったん、この概念を認めると強制改宗からメディアの批判報道、さらには公教育まで皆多かれ少なかれマインド・コントロールになってしまうこと?そのため当事者にとって都合の悪い存在だけに選別的に適用される概念であること(例えば、反対派はは布教過程を洗脳だとし、統一教会は強制改宗こそ洗脳だと言うこと)ーの二点は確認しておきたい。
この種の議論は容カルトと反カルトの対立を離れた学術的見地からも興味深いことである。ただし、これまでも種々の洗脳理論が、しぱしば信教の自由を脅かす正当化の根拠となってきただけに、この概念が代弁する利害および立場性には注意が求められる。
統.一教会をはじめとする、新宗教の迫害の事情を扱ったアメリカからの訳出は、プロムリL/シュウプ『アメリカ宗教事情』(ジャプラン出版、87)、統]教会内部の研究者であるジョン・ビアマンズ『現代の宗教迫害史』(光言社、88)などが出されている。