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2011年12月18日

“拉致監禁”の連鎖 パートⅣ、Ⅴを終えて(1) 論理が矛盾する判決文


紛れ込んだ二重基準

 「小児科医自殺で和解成立」「最高裁、異例の勧告」

 昨年7月9日の新聞各紙社会面にはこのような見出しが並んだ(写真)。

 自殺は過労が原因だとして、小児科医の男性(当時44)が勤務していた病院を遺族が訴えた裁判で、最高裁和解が成立した内容を報じる記事だ。

 各紙は最高裁での和解を「異例」として大々的に扱った。

 この記事を見て、いまも拉致監禁の後遺症に苦しむ今利理絵さん、智也さん夫妻は「私たちの最高裁和解にマスコミは何の反応もなかったのにね」と複雑な心境をのぞかせた。

 拉致監禁の差し止め請求や精神的苦痛の損害賠償などを求めて民事提訴した今利さん夫妻。地裁と高裁では訴えが棄却されたが、最高裁はそれを覆す判断を下した。

 冒頭記事の裁判も一審二審と訴えが認められなかったが、最高裁で和解したものだ。

 連載「拉致監禁の連鎖」パートⅣでは、今利さん夫妻が訴えた裁判が「異例」の最高裁和解に至った経緯を綴った。

 上告したとき、原告側は下級審の判決理由に大きな疑問を投げかけていた。

 なぜなら、判決文を読むと、事実認定と「訴え棄却」の結論が結びつかず、矛盾した内容が誰の目にも明らかだったからだ。

 東京高裁(森脇勝裁判長)は、被告らが理絵さんを無理やり連れて行き、「南京錠を取り付け」るなど「逃げ出すことを防ぐための細工」をした部屋で監視。「自由な精神的・身体的活動を制約するような生活環境の下に少なくない期間にわたって留め」置いたとして、監禁行為があったことを認めている。にも関わらず、訴えを退けた。

 判決文は「制約を逃れるために暴れるなどして抵抗した様子はうかがわれない」「(両親らは)危害を加えてでも改心させようとする意思は全くうかがわれない」などが訴えを棄却する理由だとしている。

 このような判断は妥当なのか-。

 これが連載のテーマの一つだった。

 「監禁時に相手が暴れなかったら犯罪性はなくなる」。こうした判断は、監禁された人が「相手に暴行されるかもしれない」と考えておとなしくしたら、監禁した側は罪に問われないと言っているに等しい。

 9年2カ月にわたって監禁された「新潟少女監禁事件」では、少女が暴れ散らかして逃げようとしなかったどころか、スタンガンで打たれることを自ら受諾した。

 だが、これをもって「監禁罪に当たらない」「罪が軽減される」などとはされていない。当然の判断である。

 また今利さん裁判では、監禁時に両親らが「危害を加えようとしなかったこと」が訴え棄却の理由になるとされたことも、法に照らし合わせた正当な判断とは言いがたい。

 監禁状態に置いたこと自体が犯罪だ。そこからさらに発展して暴力を振るったかどうかは、罪が加算されこそすれ、軽減されることは決してない。

 逮捕・監禁罪(刑法220条)には、「親が子供を監禁したら罪に問われない」とか「監禁時に相手が抵抗しなかったら監禁と認められない」などという但し書きや二重基準はないのである。

 今利さん裁判の高裁判決文には、あるはずのないこうした二重基準が、いつの間にか紛れ込んでいるのだ。

 判決が論理的におかしいことが自明な以上、「結論ありきの判決だ」(宗教ジャーナリスト・室生忠氏)と指摘されても仕方がない内容だったといえる。

(「宗教の自由」取材班)

過去の記事は世界日報社ホームページでも閲覧できます。
http://www.worldtimes.co.jp/special2/ratikankin/main.html

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