4300人の信者が「拉致監禁」され、強制棄教の恐怖と闘った 余りに過酷な現実

Q&A 拉致監禁・強制改宗とは何か

「宗教を理由とした拉致監禁事件」が続出。その真相とは?

よくある質問 Q&A(まずはこちらをご覧ください)

家庭連合(旧統一教会)信者に対する拉致監禁・強制改宗とは、なんですか?

A:

家庭連合の信者にその信仰を捨てさせるため、外部との連絡がいっさい取れない場所に閉じ込め、説得し続ける行為のことです。中から外に出られないように細工されたマンションが利用されることが多く、短ければ数日、一般的には数週間から数カ月、場合によっては1年以上、監禁され続けることがあります。

1966年に最初の事件が起こって以来、今日までの被害者数は、家庭連合が把握している限りで約4300人。ほぼ全員が20歳を超えた成人です。

精神病院に収容され、薬物を投与されていたケース、脱会屋から強姦や性的暴行を受けていたケース、夫婦で別々の部屋に監禁され強制棄教を受けたケース、12年以上も監禁されていたケースなど劣悪極まる事件も起きています。

年間300人以上が家庭連合の信仰を理由に拉致監禁された時期があり、近年も信者が同様の被害に遭う事例があるのが現実です。

誰が、何のために拉致監禁・強制改宗を行っているのですか?

A:

拉致監禁を実際に行うのは、信者の家族や親族です。しかし、その家族たちに拉致監禁の必要性やノウハウを教育し、指導する専門家(脱会屋)がいます。その専門家の多くは、家庭連合を「異端」として反対する一部の過激なキリスト教牧師たちです。

脱会屋は、拉致監禁のことを「保護」、強制改宗(棄教)のことを「救出」と呼びます。信者の家族には「そのままでは本人は犯罪者になり、家族全体も不幸になる」と恐怖感を植え付け、拉致監禁以外には選択肢がないと思うように誘導し、拉致監禁の準備を教育・指導します。

信者家族は、子供(兄弟)を救い出したいという一心で、人権侵害であり犯罪行為でもある拉致監禁・強制改宗を決断し、脱会屋を先生と仰ぎ、謝礼を準備します。

1990年代より、家庭連合を非難する弁護士らが、このような形で脱会した元信者らを原告にたて、家庭連合に対する訴訟活動を展開し、多額の賠償金を回収。脱会屋や弁護士が獲得する報酬は増大し、一連の組織的な強制改宗システムは、“ビジネス”化しました。

監禁されるとどうなるのですか?

A:

監禁の形態は様々ですが、一般的には、マンションの一室に閉じ込められ、常時家族など数名により監視を受けます。

ドアや窓に近づくことも禁じられ、玄関ドアや窓が、南京錠や特殊な器具で固定されたり、窓に格子や板がはめられることも多々あります。多くの場合、部屋は4階以上にあり、窓から飛び降りることに危険を感じるようになっています。

家庭連合の信仰を失うまで外出が許されない旨が伝えられ、外部との連絡は一切遮断されます。そうした中、脱会を覚悟するまで、家族からはもちろん脱会説得の専門家や元信者などから一方的に家庭連合の批判や中傷を聞かされます。人によってはそれが1週間、1か月、1年にもおよび、ひどい例では12年以上監禁されていた人もいました。

最も信頼していた家族によって、良心・信条の自由を残酷に踏みにじられることにより、被害者は、程度の差はあれ、心に傷を負い障害を持つと言われています。共に傷ついた親子の信頼関係の回復は著しく難しくなり、拉致監禁による「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」などの精神被害を抱える被害者は、脱会した人々も含め相当数に上ると推測されています。

これは単なる「家族の問題」ではないのですか?

A:

ドメスティック・バイオレンスや児童虐待が単なる「家族の問題」と言えないように、拉致監禁・強制改宗問題も「家族の問題」ではなく、社会問題であり、犯罪です。

たとえ親や兄弟であっても、成人した信者本人の意思に反し、信教・良心の自由を奪う強制改宗は日本国の憲法および法律に反しています。しかも、強制的・暴力的に身体を拘束し、外部との連絡がいっさい取れない場所に閉じ込める拉致監禁行為は、明らかな犯罪行為です。

警察や行政の対応は?

A:

残念ながら、警察・司法当局の対応は極めて消極的です。「家族の問題」、「宗教の問題」、そして、「証拠(嫌疑)不十分」という理由で申し開きをすることが多いです。

拉致監禁の被害者が実行犯を刑事告訴しても、これまで警察は誰一人として逮捕せず、検察は一度も被疑者を起訴したことがありません。

2000年4月20日、国会答弁に立った田中節夫警察庁長官(当時)は「親子や親族であっても、刑罰に触れる行為があれば、何人に対しても法と証拠に照らして厳正に対処する」と明言しましたが、その後も警察は家庭連合信者に対する拉致監禁事件を見て見ぬ振りをしています。

警察・司法当局が、憲法で保障された国民の信教の自由を守り、これを脅かす人々を正しく取り締まるならば、拉致監禁事件はすぐにでも根絶することができるはずです。私たちは、警察・司法当局が当犯罪に対する姿勢を変えるよう要請し続けています。

マスコミが報道しないのはなぜですか?

A:

心あるジャーナリストや一部の海外メディアは、この問題を事実に基づいて報道しています。しかし、日本の大手マスコミは拉致監禁問題を正面から取り上げていません。家庭連合に対する差別と偏見のためです。

当問題を取り上げた記者やメディアが、家庭連合に味方していると見なされ、バッシングを受けることがパターン化しています。大手メディアにとっては、家庭連合なので憲法で保障している「信教の自由」は及ばないという立場のようです。

日本以外でもこういった問題はあるのですか?

A:

米国やヨーロッパでも過去には拉致監禁・強制改宗が盛んに行われていました。

こうした活動の創始者であるテッド・パトリックはこれを「ディプログラミング」と呼び、「カルト警戒網」(CAN)という団体を立ち上げ、組織的に諸宗教の信者(カトリックの修道女も含む)を次々に拉致監禁し、棄教を強要しました。その手法が暴力的であったため、1974年、彼は米国コロラド州デンバーにおいて不法監禁罪で1年間の禁固刑を言い渡されます。

パトリックはその後も強制改宗活動を続けたため、85年までに合計7回の有罪判決を受け、「カルト警戒網」も96年に民事訴訟で約100万ドルの損害賠償を命じられ破産。このため、アメリカにおける強制改宗は1976年をピークに沈静化し、1980年代後半にはほぼ終息しました。

被害者の会は拉致監禁・強制改宗の問題を解決するために、どのような取り組みをしているのですか?

A:

拉致監禁・強制改宗という犯罪行為がなくなり、被害者の被害の回復を果たすために以下の活動を行っています。

1. 公的機関等に対する陳情や嘆願
2. インターネットや小冊子、ビラなどによる拉致監禁問題の広報活動
3. 拉致監禁・強制棄教に関与してきた人々への抗議
4. 被害者同士やカウンセラーとの交流の場を提供するなど、心のケア支援
5. 被害者が家族との信頼を回復するための支援

また、国内だけでなく、米国の政府機関や人権団体、スイス・ジュネーブの国連人権理事会などを訪問し、日本における拉致監禁問題の根絶に向けた理解と協力を要請しています。

より詳しいQ&A

家庭連合側は「拉致・監禁」と言いますが、全国弁連らは「保護・救出」であって、親族間における「話し合い」に過ぎないという主張があります。真相はどうなのでしょうか?

A:

親族らは、話し合いの環境づくりと称し、信者をマンションなどに監禁しますが、その本当の目的は、反対牧師と引き合わせ、家庭連合信者を脱会説得することにあります。“話し合い”というのは建前であって、脱会を成功させるための作戦の一環にすぎません。

脱会させることが目的なので、もし「こんな閉ざされた場所なんかで、反対牧師とは会いたくない」と拒めば、親族と共に無期限となり得る監禁生活が、延々と継続されることとなってしまうのです。

山崎浩子さんの場合、「(親族から)原理講論の解説をしてくれと言われて、必死で説明しても、ほんの最初の三行でつまずいてしまう。どうして、うちの親族は、こうも物わかりの悪い人間たちなのだろう」(『愛が偽りに終わるとき』185ページ)と嘆いていますが、これはほとんどのケースで用いられる作戦の一つです。親族は信者の考え方や統一原理を理解しようとする動機から講義を聞いているのではなく、初めから暗礁に乗り上げるよう教理論争のまねをし、最後には「やっぱり納得できない」と言って、牧師の介入のチャンスを得るため、本人からの承諾を得ようと仕向けているだけなのです。

本当に「話し合い」なら、自由な環境で行い、お互いの心が通じ合って完全に理解し合えるまで、徹底的に話し合うべきなのが常識的です。

ところが、やがて反対牧師(親族でない説得者)が介入すれば、浅見定雄氏が「親は、説得者と本人とのやりとりにあまり口を差し挟むべきではない」(『統一協会=原理運動』38ページ)と指導しているように、親族は事前の計画どおり、もっぱら“監視役”に退いてしまうのです。

浅見氏は、「本人が……分かってくれた(と私は信じた)のに、家へ帰ったあと再び統一協会へもどってしまったという痛恨の事例も幾つかある」(前掲書44 ページ)と述べ、説得した信者が、その後も家庭連合の信仰をもち続けるケースを「痛恨の事例」だと告白しています。

また、川崎経子牧師も「説得について二、三の注意」として、「(牧師と会わせる際に)絶対に妥協して期限を切ってはなりません。期限つき説得は、成功しません。期限を切った時に、すでに勝敗は決定的です。……裏を返せば『一週間我慢して自己防衛すれば……原理に帰ることができるのだよ』と、子どもを励ましていることになるのです」、「複数(2人)の説得者の利点は……A牧師の説明では不十分だったことを、B牧師の言葉によって補うことができるからです。……異なった目で見ることによって“偽装脱会”を見抜けることです」(『統一協会の素顔』191~193ページ)とし、信者が脱会を決意した後も、「落ち込み、ゆれ戻しは必ずやってきます。まだ安心はできません」(同195ページ)などと述べています。このように、牧師は「期限つき説得」を強く戒め、脱会に至るまで無期限の脱会説得をするよう指導しているのです。

その上で、念を押すように「ツメが甘くなっていませんか」(196~197ページ)と強調し、家庭連合の信仰を“根こそぎなくす”ための指導を徹底させています。これらの発言から分かるように、反対派の眼中には、家庭連合信者を「脱会させる」ことしかありません。信者の信仰を尊重する配慮などないのです。 “ツメ”が甘いかどうか、あるいは“勝敗”を云々すること自体、それが尋常な話し合いの場ではなく、“信仰(思想)の破壊工作”の場であるとしか言いようがありません。

このように、家庭連合信者の脱会を徹底させるその姿勢は冷酷そのもので、彼らの言う「話し合い」なるものを終えるには、“脱会”という選択肢しか与えられていないため、家庭連合信者は、それこそ地獄の苦しみを味わうこととなります。

明確に脱会を拒んだ後藤徹氏のケースでは、監禁期間が12年5か月の長期に及んでいます。この監禁の長期化は、脱会しない限り監禁から解放しないためであり、このようなやり方が「話し合い」と呼べるはずがありません。

拉致監禁がきっかけで、PTSDを発症し、苦しみ続ける人がいると聞きました。PTSDなどの後遺症で苦しむ人はどのくらいの割合にのぼるのでしょうか?

A:

家庭連合側が把握している拉致監禁の被害者数は、1966年から現在までの43年間で、4000人を超えています。なお、ジャーナリストの米本和広氏の取材に対し、反対派の人物が「最低でも5000人はいる」(「月刊現代」04年11月号、289ページ)と回答しており、家庭連合が把握できていない水面下で、被害を受けていた人がいるものと考えられます。

ちなみに、山崎浩子さん失踪事件(1993年3月)が起こった前後、マスコミの家庭連合批判報道が激しかった頃に事件が激増し、91年に302人、92年に375人、93年に360人と、わずか3年間で1000人を超える被害者が出ています。

PTSD被害はかなりの割合に上ると考えられますが、監禁は、信者が脱会するまで無期限で続けられ、被害に遭った信者の約7割が脱会しているため、把握できません。また、自力で監禁から脱出してきた約3割の人の中に、深刻な精神的ダメージを受けている人を見かけますが、そのような人に対しても、2度目、3度目と拉致監禁が繰り返され、脱会へと追い込まれてしまうことから、その後の経過が不明であり、把握できない状況です。

ただし、偽装脱会等によって難を逃れ、家庭連合に戻ってきた人の証言によると、偽装脱会中に、接することのできた元信者の中に、意味不明な言葉を発する人、自殺未遂、人間不信、無気力、社会復帰ができない人など、深刻な精神的ダメージを受けている人を複数見かけたとのことです。また、偽装脱会して家庭連合に逃げ帰ってきた人も、悪夢にうなされるなどの症状が見られるため、PTSD被害はかなりの割合にのぼると見られます。

ちなみに、米国の宗教学者デビット・ブロムリーとジェームス・ルイスが調査した「カルト脱会シンドローム・誤った原因の帰属」(1987年)によると、脱会者のうち、強制的方法で脱会させられた人の61%に「意識の浮遊や変成状態」がみられ(強制的でない人の場合11%)、その他、悪夢47%(強制的でない人の場合11%)、健忘症・記憶喪失58%(強制的でない人の場合8%)、幻覚・幻影36%(強制的でない人の場合4%)、単調な精神的リズム56%(強制的でない人の場合3%)、激しい感情的爆発42%(強制的でない人の場合9%)、自殺・自己破壊的傾向31%(強制的でない人の場合9%)という調査報告がなされています。この調査から、強制的脱会説得が、いかに大きな精神的ダメージを与えていることが分かります。


元信者は「家庭連合にだまされた」と発言することがありますが、何をもって「だまされた」と言うのでしょうか。家庭連合は本当に人をだましているのでしょうか?

A:

元信者が「だまされた」と発言している理由の一つに、教理問題が深くかかわっていることを知る必要があります。元信者は反対牧師から脱会説得を受けた結果、家庭連合の教えが信じられなくなり、「だまされた」と発言しているのであって、家庭連合が人をだましているわけではありません。

反対牧師の反家庭連合の動機には、聖書をどう解釈するかという宗教上の教理問題があります。その最も大きなものは、キリスト教の教えの根幹にある「十字架贖罪」の問題です。

統一原理では、十字架は本来あるべきではなかったと主張します。神様の願いは、イエスが生きて勝利し、理想家庭、地上天国を築くことであったが、当時のユダヤ教の不信によって十字架で殺害された結果、霊的救いのみで終わったとするのです。反対牧師はこの教えを、「十字架に敵対」(ピリピ3章18節)する “サタンの教え”と批判してきました。

キリスト教が十字架にこだわる理由は、救いの根拠を十字架に置くためです。その十字架を取り除けば、救いの根拠が全くなくなってしまうため、家庭連合の存在自体をサタン視するのです。

反対牧師は聖書を用いながら「十字架は絶対予定だ。あなたはだまされている」と家庭連合信者を説得し、脱会を迫ってきました。

従来のキリスト教がどのような観点で十字架の救いを信じているのかを知らないまま家庭連合と出合い、信仰をもった信者の場合、反対牧師の、聖書を用いて行う教理批判に耐えられる人はほとんどいないでしょう。なぜなら新約聖書を素直な気持ちで読めば、「十字架は絶対予定である」という従来のキリスト教の考え方に影響されてしまうからです。

実際、福音書には、イエス自らが十字架を予告し、その十字架の死は人類を救うためであると述べた聖句が多く記されています。家庭連合の十字架解釈と真っ向から対立すると思われる記述です。反対牧師は、そのような聖句を用いて痛烈な教理批判をぶつけてくるのです。ほとんどの信者は、反対牧師の攻撃をかわし切れず、どう解釈したらいいのか混沌とさせられ、やがて脱会に追い込まれてしまうのです。

こうして、牧師の説得で「私はだまされていた」と判断するようになった元信者は、「家庭連合の背後にサタンがいる」とまで思うようになります。

ところで、キリスト教では、19世紀以降、「イエス伝研究」が急速に進み、福音書に書かれたイエスの生涯は、「歴史的事実に則して忠実に書かれたものではなく、それはケリュグマ(宣教)のイエス像に他ならない」というのが聖書批評学における常識となっています。

すなわち、十字架が絶対予定であるという記述は、“十字架贖罪”を明確に述べていく必要性から、イエスに関する伝承を集めた福音書記者が、十字架の後でその出来事を回想し、イエスの受難の生涯を弁証的に論証しながら書き上げた“事後預言”にほかならないと言うのです。そのことを知らない信者の場合には、反対牧師の巧みな説得によって脱会に追い込まれるケースが多くあり、それが「だまされていた」という発言へとつながっているのです。これは宗教上の教理論争の問題であり、決して家庭連合が人をだまそうとしているのではありません。

しかし、元信者が「だまされた」と発言し、それがマスコミで報道されることで、家庭連合は怖いというイメージと相まって、どんな人をも騙してしまう「マインド・コントロール」という特殊手法を用いている、得体の知れない集団であると思われてしまうのです。

この十字架をめぐる教理論争の問題については、太田朝久著『踏みにじられた信教の自由』(光言社)231~245ページに論じられていますので、参照してください。

全国弁連は、「霊感商法」問題について積極的に取り上げ、家庭連合批判を展開しています。マスコミは積極的に取り上げましたが、この団体設立の背景を教えてください。

A:

家庭連合の友好団体である国際勝共連合は、1960年代から共産主義・社会主義の間違いを訴え、日本の共産化・社会主義化を阻止する運動を展開しました。また、勝共連合の友好団体「スパイ防止法制定促進国民会議」は、日本の共産化のために暗躍するスパイや工作員らを法的に取り締まるため、「スパイ防止法」制定推進の運動を進めていました。全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)は、これらの国民運動を阻止しようとして設立された政治的意図をもつ団体です。

1978年、京都府知事選挙で、28年間にわたった共産党府政が敗北したことは左翼勢力に大きな衝撃を与えましたが、さらに彼らが危機感を募らせたのが「レフチェンコ事件」でした。1979年にアメリカに亡命していたレフチェンコ氏が、82年12月、ワシントンで日本におけるソ連の秘密情報機関KGBのスパイ活動、および工作員に関する衝撃的な証言をしたのです。

83年から国際勝共連合と社会党(現、社民党)との間で「レフチェンコ事件裁判」が始まりました。この裁判は、レフチェンコ証言はCIAと国際勝共連合の謀略であると「社会新報」に記載されたことに対し、国際勝共連合が社会党を名誉毀損で訴えたものです(94年に、社会党が国際勝共連合に解決金200万円を支払うことで和解)。この裁判の社会党側の代理人弁護士の一人が、全国弁連の山口広弁護士です。「スパイ防止法」制定に危機感を募らせた左翼勢力が、国際勝共連合および家庭連合をつぶそうと躍起になって乗り出したのは、86年11月26日の「スパイ防止法案」の再提出からです。

全国弁連の発足の背景について、『「霊感商法」の真相』(世界日報社、206~207ページ)によれば、横浜弁護士会所属の小野毅弁護士が、86年10月 23日、日本ジャーナリスト会議のシンポジウムで、「発足した時、被害者は1人しかいなかったが、弁護団を発足させ、マスコミに取り上げてもらって被害者を発掘しようということになった」と語ると共に、全国弁連が、共産党系を核とする左翼的活動家弁護士の集団である青年法律家協会(青法協)を中心に、スパイ防止法阻止のために発足した経緯について述べています。

家庭連合の一部の信者が、独自の経済活動として開運商品や仏具等を販売していたことがあるのは事実です。しかしこのような販売行為はあくまで、販売員とその関係会社が行ったもので、家庭連合はそのような販売活動は一切しておりません。ところが、全国弁連の弁護士らは、「霊感商法の手口により集められた資金がスパイ防止法制定推進運動の資金とされている」と邪推し、左翼的マスコミと結託して「霊感商法」反対キャンペーンを展開したのです。

それから1年後の87年10月23日、「朝日ジャーナル」の伊藤正孝編集長は、東京・銀座の資生堂パーラーで、ごく近しい記者仲間たちを集め、「“霊感商法”とジャーナリズム」というテーマで講演し、次のように語っています。

「新聞やテレビは被害者、被害者というけれども、自分たちが売りつけた購入者の9割はみんな喜んでいる。彼らは9割9分と言いますが、みんな喜んでいる。それなのになぜたった1%ぐらいの反対者のことばかり報道するのか。こういう抗議が(彼らから)何度もまいりました。……確かに彼らの言うことには一理ありまして、『霊感商法』被害を訴えているのは、ほぼ5%未満であります。ある種の世論調査をわれわれが取ったのですが、大部分は今もですね、壺の効用を信じている」

伊藤編集長は、この日の集まりが、いわば“身内”の集まりだったため、批判キャンペーンには都合が悪いとして隠していたデータ(5%未満)を、ついポロリともらしたのです。

この伊藤編集長の発言からも分かるように、反対派は、事実に基づいて報道しようとするのではなく、何としてでも社会問題化し、家庭連合や国際勝共連合を窮地に追い込もうという特定の政治的意図をもって出発していたのが、いわゆる“霊感商法”キャンペーンであった事実を知っておく必要があります。

日本共産党は、家庭連合および国際勝共連合に対し敵意をむき出しにし、目の敵にしていますが、なぜでしょうか?

A:

家庭連合および国際勝共連合を壊滅させることは、左翼勢力の目標となっています。前述したように、1978年6月、日本共産党の宮本顕治委員長(当時)は、家庭連合の関連団体・国際勝共連合に対し、「勝共連合退治の先頭に立つ」(『赤旗』)と宣戦布告しますが、68年から78年までの10年間、勝共連合と共産党の間で、さまざまな攻防がありました。

日本の共産化の危機は、終戦以降、何度かあったと言われます。特に60年、70年安保闘争の頃は、学生や青年層に左翼勢力が浸透し、共産主義革命が実現しそうな勢いがありました。

この日本の危機的状況を打破しようと、68年に創設された国際勝共連合は、国内で勝共運動を推進しました。会員らは主要都市の駅前や街頭にくり出し、共産主義の間違いを訴え、啓蒙活動を展開していったのです。そして70年9月、武道館で2万数千人を集めて「WACL(世界反共連盟)世界大会」を開催し大成功を収めました。

また、72年4月、宮本委員長に12項目の「公開質問状」を送付しました。しかし返答がないため、6月6日、日本共産党本部に行って「公開討論会に応ぜよ」と要望書を手渡し、渋谷と新宿の駅頭で街頭討論会を準備して待ちました。しかし日本共産党は無視し続けたのです。

ところが6月22日、毎日テレビ放送(現在のテレビ東京)が『ドキュメント・トーク』という番組で、共産党と公開討論をやって欲しいと要望してきました。勝共連合はそれに応じますが、共産党はこれを拒否。結局、番組は流れてしまったのです。そればかりか、勝共連合が共産党員の必読教科書『共産主義読本』を批判すると、共産党は批判された個所の書き換えや削除をし、出版し直しました。なおも批判を続けると『共産主義読本』を絶版にして、共産党は理論戦で完全に敗北したことを自らの手で証明する結果となったのです。

以上の経緯から、共産党は78年3月、『原理運動と勝共連合』を出版し「日本の民主勢力は彼らを、理論的にも、実践的にも追いつめ、その活動の余地が存在しえないように追求していかなければならない」(131頁)と訴えるまでに至ったのです。その翌月、京都府知事選挙での共産党敗北があります。勝共連合によって、28年間にわたって支配してきた京都府政が倒れたため、宮本氏は「勝共連合退治」を呼びかけ、躍起になって乗り出したのです。

実は、京都府出身のジャーナリスト・有田芳生氏は、学生時代、共産党の学生組織・民主青年同盟(民青)に所属し、その後共産党に入党。有田氏の父は共産党京都府委員会副委員長で、89年の参院選で比例区名簿に名を連ねたほどの人物です。有田氏も大学卒業後、共産党系出版社に入社(77年)しており、親子2代続く熱心な共産主義活動家です。勝共連合および家庭連合を批判し続ける有田氏は、いわば宮本路線を踏襲しているのです。

また、反対牧師の脱会説得で棄教した元信者の裁判を担当する弁護士にも、左翼思想からくる政治的意図があることを知っておく必要があります。

家庭連合信者に対する脱会説得を担当するのは、キリスト教の牧師ですが、なぜここまで酷いことをしてきたのでしょうか。

A:

家庭連合の教え、および存在自体が、キリスト教の存亡にかかわる問題であると感じているからです。

“社会正義”のためにやっているかのように吹聴する反対牧師もいますが、彼らが反対活動をする動機の核心部分には、自分の信じるキリスト教の教理を守ろうとする“信仰”を懸けた闘いがあるのです。

家庭連合の教えは、神様の創造理想である「真の家庭」を築くことに救いの基準をおいています。理想家庭を築くことは万人共通の願いであるため、家庭連合は超宗教の視点に立つことができ、神道、仏教、儒教などの他宗教とも和合していくことが可能です。

ところが、キリスト教は、“十字架”を信じるところに唯一の信仰基準をおくため、“教条主義”に陥った場合には、十字架を信じない他宗教と和合していくことが困難になる側面があります。

2000年のキリスト教史を研究すれば分かるように、キリスト教は「十字架信仰」に敵対すると感じた宗教に対して、激しく攻撃してきました。十字軍戦争がその顕著な例です。

キリスト教の教えは、イエスは十字架で死ぬために来られたと信じます。ところが、家庭連合では、十字架は二次的な予定であり、神様の本来の願いではなかったとします。もし家庭連合の教えが正しいとすれば、2000年の伝統をもつキリスト教は、その教えの核心部分となる十字架の教理を変更しなければならなくなるのです。それは、キリスト教にとって絶対容認できないことであり、存亡をかけた闘いともなり得るものです。

実は、家庭連合の教えを日本に伝えるため、宣教師が遣わされたのが1958年7月15日でした。翌年10月2日、最初の礼拝が東京都新宿区で行われ、その後、わずかの期間で伝道が爆発的に進み、64年7月15日には、家庭連合は宗教法人の認証を受けて、日本社会に対し影響力を持つようになっていきました。

家庭連合の教えが社会に浸透することは、キリスト教にとって絶対容認できないことです。そのまま放置すれば、やがてキリスト教にとって脅威となる可能性があるという思いを、反対牧師らは募らせていったのです。

実は、森山諭牧師(日本イエス・キリスト教団)による最初の監禁事件が起こったのは66年早春です。穏便な話し合いで脱会させることが難しいため、強硬手段に出たのです。それは家庭連合の宗教法人の認証から、わずか1年半後のことです。反対牧師が取り組む動機には、キリスト教の信仰が深くかかわっているのです。

43年間で4000件を超える脱会説得事件が発生したことは極めて異常な事態です。それは、反対牧師に「家庭連合はキリスト教ではない」という正統異端論争と通じる宗教的動機が働いているためです。そのような動機がある限り、脱会説得事件は簡単に終息しません。

森山諭牧師は、その動機について「彼ら(家庭連合)がキリスト教を名乗らなければ、問題にする必要もありません。しかし、彼らがキリスト教を名乗り……聖書をでたらめに解釈して人々を惑わすので、放っておけないのです」と述べています。

拉致監禁には、キリスト教牧師と、左翼思想をもつジャーナリストや弁護士が密に連携しています。連携する理由は、どこにあるのでしょうか?

A:

家庭連合の宣教活動は、十字架解釈をめぐる教理論争の影響から、キリスト教圏においては、苦労を強いられることが多くあります。

しかし、キリスト教の基盤が小さく、人口の1%にも満たない日本社会においては、説得力ある家庭連合の教えであるがゆえに宣教が成功し、短期間のうちに基盤が爆発的に拡大しました。特に、70年代、80年代は、破竹の勢いでした。

そのような事態に、“危機感”を募らせたのが、日本の共産化を目論む左翼勢力であり、かつ、長年日本のキリスト教化を願いつつも、宣教がうまくいかなかったキリスト教なのです。両者は共に、ほぼ同時期(激しくなるのが70年代後半)に、反家庭連合活動に熱心に取り組んでいくようになりますが、それは単なる偶然ではありません。

1978年3月、日本共産党は、次のように宣言しています。

「日本の民主勢力はかれら(家庭連合と勝共連合)を、理論的にも、実践的にも追いつめ、その活動の余地が存在しえないように追求していかなければならない」(『原理運動と勝共連合』日本共産党中央委員会出版局、131ページ)

この目標は、十字架神学にこだわりをもつキリスト教(特に反対牧師)の目標ともなっています。浅見定雄氏(日本基督教団)は、次のように述べています。「統一協会を崩壊させるもうひとつの道がある。それは……世論を高め、彼らが日本社会に居られなくすることである」(浅見定雄著『統一協会=原理運動』224ページ)。

この「日本社会におられなくする」ことが、両者の共通目標です。しかも、脱会説得によって得た元信者は、「その後、りっぱなクリスチャンとなり、逆に統一協会の信徒を救い出そうと伝道を始めるようになる」(森山牧師の弁、「クリスチャン新聞」76年3月21日号)というのです。

70年代末から80年代前半にかけて、共産党系の精神病院を使った強制改宗事件が多発しました。しかし、この精神病院を使った事件は、そこから逃れた家庭連合信者が民事の“損害賠償請求裁判”を起こし、86年2月28日、家庭連合信者が勝訴(東京地裁)することで終息しました。しかし、件数が年々増加していったのが、反対牧師と親族らが結託して行う監禁を伴った脱会説得事件です。精神病院を使った強制改宗が行えなくなった左翼勢力は、この頃からキリスト教関係者側を支援するかたちで、協力関係を築いていくようになります。

そして、80年代後半から、キリスト教関係者と左翼勢力とが協力しながら、脱会説得で得た元信者による裁判闘争を開始していきました。それが「青春を返せ裁判」「婚姻無効裁判」です。これらの裁判闘争は、「日本社会におられなくする」ことを目指し世論を高めていくための、彼らの活動の一環なのです。

 

全国弁連らは、信者が拉致監禁され、脱会説得を受けるという深刻な「人権侵害」を、なぜ長年にわたって黙殺しているのでしょうか?

A:

反対派の目的は家庭連合つぶしです。反対派はそれを目標に、長年取り組んできました。そのためにキリスト教関係者、元信者、左翼ジャーナリスト、反対派弁護士らは、家庭連合信者が拉致監禁されていることを知りつつ、その人権侵害の事実が知られないよう、黙殺してきたのです。

反対派の取り組む動機はさまざまです。最初の監禁事件は66年に起こり、以来、43年間で、把握できる事件で4000件を超えます。

監禁の手法をあみ出した森山諭牧師は、「家庭連合は異端である」という“魔女狩り”的な動機から取り組みを始めています。

しかし、聖書解釈となれば、ユダヤ教とキリスト教が2000年を経た今もなお、旧約聖書の解釈をめぐって対立していることからも分かるように、穏便な話し合いで脱会に追い込むことは至難のわざです。ゆえに強制力を伴うかたちで監禁し、脱会説得をするようになったのです。

やがて、同じ「家庭連合つぶし」の目標を掲げる左翼陣営が、反家庭連合活動に加わるようになります。左翼陣営は60年、70年安保闘争で盛り上がりをみせ、70年代末、遅くとも80年代初期には日本の共産化が果たせると踏んでいました。ところが、家庭連合の友好団体である「国際勝共連合」が68年に創立、勝共運動が社会に浸透していくと、日本赤化が難しい状況となっていきました。特に、左翼陣営が危機感を募らせたのが、78年4月の京都府知事選挙での共産党敗北です。

日本共産党の宮本顕治委員長(当時)は、共産党県・地区委員長会議で、「勝共連合との戦いは重大。大衆闘争、イデオロギー、国会、法律の各分野で、また被害を受けている勢力が共同して、全面的な戦いにしていく必要がある。自民党に対しては“勝共連合と一緒にやれば反撃をくって損だ”という状況をつくることが重要。“勝共連合退治”の先頭に立つことは、後世の歴史に記録される『聖なる戦い』である」(「赤旗」78年6月8日)と宣戦布告しました。

この頃、頻発したのが共産党系の精神病院を使った脱会説得事件です。しかし、前述したように、精神病院を使った方法は、人権侵害裁判で家庭連合信者が勝訴して終息します。それに引き替え、年々増加したのが、親族を巻き込んで、信者を監禁して行う脱会説得事件でした。

その説得で脱会した元信者が裁判を起こし、それをマスコミが報道することで、いわゆる「霊感商法」問題が騒がれるようになります(『踏みにじられた信教の自由』112~41頁、光言社)。そして、自民党などの家庭連合支持者に対しては「霊感商法を行う家庭連合に荷担するのか」と糾弾し、分断作戦をとってきたのです。いわゆる霊感商法問題は「勝共連合と一緒にやれば反撃をくって損だという状況をつくれ」との宮本路線を現実化したものとなっているのです。このような流れを継続させたいのが、“家庭連合つぶし”を目指す反対派の願いです。

人は自分の活動実績を確認したいものです。霊感商法問題を積極的に取り上げて報道してきたジャーナリスト・有田芳生氏は、自民党議員から「霊感商法でしょ。あれからきっぱりと関係を絶ちました」との返答を聞いて、宮本路線の実績確認を取っています(有田芳生の『酔醒漫録』06年9月23日)。

これらの人々にとっては、霊感商法問題は積極的に報道すべきものですが、拉致監禁による強制改宗事件は、取り上げる必要のないものなのです。

欧米諸国においては拉致監禁などありえず、厳しく取り締まるようになったと聞きます。欧米諸国において「信教の自由」が確立していった歴史的背景を教えてください。

A:

「信教の自由」が人類史上、初めて成文化されたのが1791年11月3日、アメリカで制定された「憲法修正第一条」でした。この憲法修正第一条は、信教の自由を語るうえで絶対に欠かせないものです。

「憲法修正第一条」は、国家と教会の分離を規定しており、それを簡潔に言えば、少数派の権利を守るために、

国家は特定の宗教を公認してはならない(注:もし特定の宗教だけを公認すれば、非公認の宗教は弾圧の対象となり得る)
国家は、宗教上の礼拝、言論や出版の自由などを禁じたり、人民が平穏に集会する権利を侵害したりする法律を定めてはならない
とするものです。

この「憲法修正第一条」が制定されるようになった背景には、思想・言論・結社などの自由をめぐって、カトリック教会、イギリス国教会、プロテスタント教会が互いに排斥、弾圧し合い、場合によっては、親族間で信仰問題をめぐって争い合うという悲劇が起こったからでした。そのような歴史的過ちを、二度と繰り返してはならないという深い反省から来ているのです。

例えば、ピューリタン(清教徒)が胎動し始めた16~17世紀のイギリスでは、「首長令」を出したヘンリー8世以降、王位継承権争いに信仰問題がかかわり、王室内で王族らを中心に、カトリックか、プロテスタントか、あるいは中道(国教会)か、をめぐって各陣営が火花を散らす争いをしました。特にメアリ一世(1553~58在位)の治下で起こった、プロテスタント指導者らに対する「スミスフィールドの虐殺」は、凄惨な事件でした。

また、ヨーロッパ大陸に目を向けると、ドイツでは、カトリックとプロテスタントによる「三十年戦争」で多数の国民が犠牲となり、人口は約1600万から600万人にまで減少しました(ウォーカー著『キリスト教史③宗教改革』202ページ)。フランスでは、ユグノー(カルヴァン主義者)を弾圧する「ユグノー戦争」で国土は荒廃、特に1572年8月の「聖バルトロマイ祭日の虐殺」では、約1万人が虐殺されたと言われます。

正統異端論争に伴った宗教弾圧によって、行き場を失った人々は、信教の自由を求め、スイスやオランダ、イギリスなどに亡命したのです。しかし、その地も、彼らにとって安住の地ではありませんでした。やがて、それらの人々の中から新大陸アメリカへ移住し始めるグループが現れるのです。

その代表者がメイフラワー号のピルグリムファーザーズたちです。それ以外にも、続々とヨーロッパ各地から、信教の自由を求めてアメリカに渡った集団がありました。彼らは多種多様で、カトリックから弾圧されたプロテスタント以外に、逆にプロテスタントから弾圧されたカトリック教徒も含まれ、さらにはメソジスト派、バプテスト派、クェーカー派、メノー派、そしてユダヤ教徒など、さまざまな宗派の人が移住し、アメリカは宗教のるつぼと化していきました。

ところが、信教の自由を求めてアメリカに移住した彼らであったにもかわらず、そのアメリカの地で、またもや悲しむべき事件が起こりました。それが17世紀の「セイラムの魔女狩り」です。最も激しかった1692年、わずか3か月間で20名の人間と2匹の犬が、魔女として処刑されたのです(曽根暁彦著『アメリカ教会史』69ページ)。

真の愛によってお互いが信頼し尊重し合えれば良いのですが、教理面だけを先立たせてしまえば、やがて醜い宗教間の争いとなって、異端審問、魔女狩りとなってしまうのです。それゆえ、たとえ親族間であったとしても、思想、信教の違いによって争い合うことがないよう、少数派の権利を守るために定められたのが「憲法修正第一条」であったというわけです。

イエスが、「今から後は、一家の内で5人が相分かれて、3人はふたりに、ふたりは3人に対立し、また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」(ルカによる福音書12章52~53節)と語られているように、キリスト教信仰においては、その可否をめぐって親族間でさえも争いや対立が起こり得るものです。

私たちは、過去の歴史を学んで、同じような悲劇が二度と繰り返されることがないように、たとえ親族間であっても、棄教目的で拉致監禁するのは許されざる行為である点を明確にし、善処すべきであると言えます。

4000件を超える被害者がいるにもかかわらず、いまだに見て見ぬふりをする日本国家は、国際社会のリーダー国の一員としての資質を、大きな疑念をもって見られていくに違いありません。