4300人の信者が「拉致監禁」され、強制棄教の恐怖と闘った 余りに過酷な現実

得て我らの不快な隣人 統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇(米本和広氏 著)
第六章 引き裂かれた家族  1.気が狂うほど痒い

拉致監禁によるPTSD被害の実態 を知っていただくため
許可を得て、書籍本文の一部をご紹介します。


第六章 引き裂かれた家族(1)

気が狂うほど痒い

麻子は戸塚のアパートに移り住んでからすぐに、群馬時代から出始めたアトピー湿疹に悩まされるようになった。

あれほど長く待ち望んでいた”安全な場所”を手に入れたというのに、自由を謳歌する余裕すらないほど、痒くてたまらなかった。

皮膚科に通ったが、症状はいっこうに良くならず、次第に副作用の強いステロイド剤に頼るようになった。ステロイドを塗るとすぐに改善されるが、しばらくすると、また広がってしまう。量が増えるにつれ耐性がつき、効用時間はますます短くなっていく。ピーク時には一ヶ月間に20本ものステロイドのチューブが処方されていたというから、すさまじいの一言に尽きる。

翌97年の春と夏に、1週間ずつ入院した。

退院するときには少しばかり改善されたが、またすぐに3センチ大の赤い炎症が物凄い痒みをともなって身体のあちこちにできた。狂ったように掻きむしるが、痒みはいっこうに収まらず、気が変になりそうだった。

悪循環を断ち切るために、98年7月に思い切ってステロイドをやめた。

今度はリバウンドである。一挙に顔からくるぶし、お腹から背中まで、湿疹が全身に広がった。

援助を受けるのは嫌だったが、母親を頼らざるを得なかった。週に5日アパートに来てもらい、父親の車で脱ステロイドをサポートする医師のところに通い始めた。皮膚は蛇肌、5ミリ四方のカサカサになった鱗状の皮が剥がれ落ちると、そのあとからまたじゅくじゅくした”新鮮なアトピー湿疹”が出てくるといった有り様だった。鏡を見ると、顔は真っ赤に腫れ、目はつぶれたようになっている。まるで別人のようだった。

湿疹が広がるのと平行して、悪夢にうなされるようになった。

悪夢のパターンは三通りあった。

一つは、出口のない密室で、モンスターに追いかけられる夢だ。必死で逃げ回るが最後にはつかまってしまう。

もう一つは、目に見えない得体の知れないものが、寝ている麻子の耳元で嫌がらせの言葉を吐き、背中を小突いたり、ペタッとくっついてくる。不快感と恐怖心から逃れようとするが、金縛りにあって動けない。

三つめは、家族から執拗に精神的な苛めを受ける夢だ。反論もできず、怒りと屈辱感でいっぱいになる。なぜか、場面はいつも家だった。

目が覚めると、全身汗びっしょり。身体はいまにもベッドから落ちそうになっている。真ん中に戻ろうとするが、金縛りにあって動くことができない。

夢の中での出来事は麻子にとってはリアルそのもので、目覚めてからも動悸はとまらず、一日中、不快な気分を引きずった。

馬時代から始めた飲酒も続き、眠いのに頭が覚醒し高回転状態がとまらないときはウィスキーを飲んだ。一瓶を空けるのに最初の頃は1ヶ月はかかっていたが、次第に量が増え、2週間、1週間、4日間と間隔は狭まり、2000年には2日で一瓶を空けるまでになっていた。

睡眠と覚醒の間隔に、規則性はまるでなく、異常としか言いようのない状態が続いた。たとえば、00年1月の1週間の覚醒と睡眠時間は次のような具合である。

23日 午前4時から午前8時まで     睡眠(4時間)
23日 午前8時から24日午前5時まで  覚醒(21時間)
24日 午前5時から午後3時まで     睡眠(10時間)
24日 午後3時から25日午前10時まで 覚醒(19時間)
25日 午前10時から午後3時まで    睡眠(5時間)
25日 午後3時から26日正午12時まで 覚醒(21時間)
26日 正午12時から午後6時まで    睡眠(6時間)
26日 午後6時から27日午後10時まで 覚醒(28時間)
27日 午後10時から28日午後5時まで 睡眠(19時間)
28日 午後5時から29日正午12時まで 覚醒(19時間)
29日 正午12時から午後6時まで    睡眠(6時間)

ウィスキーを毎日大量に胃に流し込み、身体は疲れているはずなのに、覚醒した状態が長時間続く毎日だった。

アパートでぽつねんとしていると突然、怒りや悲しみが心の中に侵入している。そうなると鬱々とした気分になり、また何の前触れもなしに監禁のことが蘇ってくると、頭は高回転し、興奮状態になった。

そのため、一つのことに意識を集中させたほうがいいだろうと、引っ越してから間もなく、部屋の内装に取りかかった。半年かけて、壁という壁を白のペンキで塗りまくり、障子も襖も取り替えた。それでも手を休めて休憩すると、負の感情が襲ってきた。唯一の慰めは、捨て猫のミーちゃんだった。

麻子が両親とともに戸塚教会に顔を出したのは、アパートに引っ越して間もなくのことだった。

牧師の黒鳥栄が満面の笑みを浮かべ、麻子を見やりながらみんなに紹介した。

「保護の期間は4ヶ月半だったけど、もっとやっても良かった。それぐらい、この人は強い人でした」

麻子は身体をブルッと震わせ、「とんでもありません」とつぶやいた。

麻子の両親は、他の家族から「お子さんが脱会してほんとに良かったね」と次々と祝福を受けた。数ヶ月前までは現役信者の家族として、脱会者の家族から指導やアドバイスを受ける立場だったが、今度は娘同席の逆の立場である。晴れ晴れしい気分だった。

麻子も戸塚教会に通い始めた。日曜日は礼拝と勉強会、水曜日も聖書研究会を名目とした勉強会である。勉強会の前半は、黒鳥を中心にみんなか輪を囲むように座る全体会。後半は脱会者、脱会に成功した家族、現役信者を抱える家族の3つのテーブルに分かれてミーティングや情報交換を行った。現役信者の父親が参加するのは、仕事の都合で日曜日が主だった。

勉強会で麻子が発言することはそう多くはなかったが、それでも統一教会の問題点を報告したり、個人的に信者家族の相談に乗ったりした。

妻が統一教会に入っているという男性からの相談に、麻子はこう諭した。

「保護をしなくても家で話せばいいじゃないですか。奥さんを信じていないのですか。信じる気持ちがあれば、感情的に反発したり、むやみに反対意見を述べたりせず、奥さんの存在をまるごと受け止め、奥さんか信じていることをじっくり聞いてあげることが大切だと思います。そのうえで疑問点を話し、お互いに話し合っていけばいいのではないでしょうか」

それから2ヶ月して、男性が喜びを隠しきれない表情で麻子に近寄ってきた。

「あなたの言う通りにしたら、すんなり脱会することができた。保護なんかしなくて良かった。ほんとうにありがとう」

その後、妻も教会に顔を出し、夫婦揃って感謝された。

麻子の教会通いは、97年春に入院するまでは毎回、アトピーで中断して以降は毎回ではないが99年の秋頃まで続いた。両親もその頃まで、以前と同じように、休むことなく週に2回通った。

勉強会に参加していた脱会者は20数人。そのうち何人かの脱会者は、やはり戸塚教会の近くのアパートで一人暮らしをしながら教会に通っていた。黒鳥は麻子のために自由な空間を保証すると約束したが、アパートを斡旋したのは麻子ばかりではなかった。いずれも親との同居を好まない人たちだった。

なぜ脱会したのに、教会に通う必要があるのか。

黒鳥が麻子や両親に説明したところによれば、主にこういう理由からである。

麻子たち元信者は、脱会しても統一教会の思考・行動スタイル、マインド・コントロールの影響が残っており、すぐに仕事に復帰したりすると、つまずき、精神に変調をきたすことがある。ゆっくり休養し、リハビリ生活を経てから社会に復帰したほうがよい。

また、信仰を棄てたことによる喪失感は大きく、精神的に不安定な状態にある。勉強会で元信者同士で語り合ったり、現役信者をかかえる家族にアドバイスしたりして、統一教会時代のことを自分なりに整理整頓し、脱会したことを心から納得することができるようになれば(反統一教会の立場になれば)、ぽっかり空いた心の空洞は次第に埋まり、精神は安定する――というわけである。

黒鳥の説明に従って麻子は勉強会に参加はしたが、”保護説得″のやり方にはどうしても納得することができなかった。今の苦しさは、統一教会の影響や心の空洞によるものではなく、フラッシュバックのたびに想起される拉致監禁が原因としか考えられなかった。そのため、折をみては監禁の苦しさを訴え、保護説得はやめるべきだと話した。

ただひとり同調したのは、第一章で登場した高須美佐であった。


第六章 引き裂かれた家族
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