米本和広氏著 我ら不快な隣人2022年7月に安倍元総理を殺害した犯人から手紙が届いたとして注目を集めた米本和広氏。 統一教会をカルト教団として批判してきた米本氏が、“反カルト陣営”側の問題点に気づき、拉致監禁の実態を暴いて社会に衝撃を与えた一冊がこの『我らの不快な隣人』でした。忘れられ...
第六章 引き裂かれた家族 2.美佐の物語
拉致監禁によるPTSD被害の実態 を知っていただくため
許可を得て、書籍本文の一部をご紹介します。
第六章 引き裂かれた家族(2)
美佐の物語
麻子の物語から離れて、美佐が戸塚教会にやってくるまでの経緯を書いておく。
美佐(当時27)は、88年の終わり頃から統一教会のセミナーに顔を出すようになったが、教団で禁じられていた他の宗教団体や自己啓発セミナーに顔を出したり、教団の指示に従わなかったりするなど、教団からすれば模範的な信者ではなかった。合同結婚式にはまるで興味がなかった。
94年に統一教会の関連団体である「世界平和女性連合」に組織替えとなり、11月からフィジーに宣教に出かけた。表向きは女性連合のボランティア活動だが実質は統一教会の布教である。翌年の5月に日本に戻り、実家で数日間過ごしたあと、派遣会社に出向き、仕事の再開を申し出た。
美佐は、フィジーでの体験から統一教会に疑問が生まれ、〈仕事に復帰すればもう教団に戻ることはないかもしれない〉と漠然と思っていた。
その派遣会社からの帰り道のこと。駅まで迎えにきてくれた両親の車に乗ると、自宅に戻る道とは違ったところを走る。理由を尋ねると、「妹がアパートを新しく借りたのでそこに行く」という。
アパートに近づくに連れ、蕁麻疹ができ、身体が痒くなった。嫌な感じがした。
部屋に入り、妹のアパートにしてはどうも様子がおかしいと思っていると、両親がいきなり言い出した。
「ここで統一教会のことで話し合いがしたい。家だといろいろ邪魔が入るので……」
部屋の中を見ると、元々あった鍵のほかに新しい鍵がつけられている。トイレの鍵は閉じこもれないようにするためか外されていた。あまりのショックでパニック状態となり、数日間は話どころか食事をとることもできず、寝込んでしまった。
美佐が閉じ込められたのは、麻子が監禁されたのと同じ弥生台駅前のアパート、部屋も同じであった。順番でいえば、95年5月に美佐、11月に麻子が”入居”させられたというわけだ。美佐の前には別の女性が監禁されていた。
監禁から3ヶ月後に黒鳥が現れたときは恐怖で身体の震えがとまらず、硬直してしまった。黒鳥はそんな美佐の様子に頓着することなく、笑みを浮かべながらゼリーを差し出し、猫なで声で「一緒に食べましょう」と語りかけてきた。
美佐が身体を固くしたままにしていると、いきなり態度を変え、険しい顔つきになって、持参してきた”反対本”を机の上にどんと置いて、「これ、読んでちょうだい」と言ったあと、統一教会のスキャンダラスな悪口を言い立て、帰っていった。
それから1ヶ月半後、黒鳥は元信者と一緒にやってきて、別の場所に移動することを告げた。麻子のときのように納得ずくではなかった。美佐は抵抗したが、両親ら4人の前ではなす術もなく、強引に部屋から引きずり出され、群馬のマンションに移送された。移送には先導車がついた。
群馬のマンションに監禁された翌日の夜中に、太田八幡教会の牧師清水与志雄が六人の脱会者を連れてやってきた。
美佐はショックと同時に気力を失い、この日から16日間にわたって食事を口にしなくなる。母親がガリガリに痩せ細っていく娘の様子を心配そうに話すと、清水は美佐本人を前にして平然と言った。
「いざとなったら病院に連れて行って点滴するから大丈夫ですよ」
一度だけ、”断食対策”のためか黒鳥がやってきたことがある。願いごとがあったら何でも聞くから教えてと語りかけてきたので、「ここから出たい。自由に考えられる環境か欲しい」と訴えたが「それだけはできない」とにべもなく断られた。
次第に美佐は、食欲なくふさぎ込んでいる自分が馬鹿馬鹿しく思えるようなった。
それは、何をするのでも牧師にお伺いを立てている両親の姿を見せつけられたからである。「親子の話し合いがしたい」と何度も口にしておきながら、実際には子どもよりも牧師の言葉がすべてだった。もう親に何を話しても無駄だと悟った。
美佐はそれから居直った気分で、数ヶ月間無視してきた”反対本”をひとり読み漁った。統一教会に感じていたいくつかの疑問に対する、納得できる答えが書かれていた。
脱会表明後、麻子と同じように太田八幡教会に通い、監禁現場にも同行するようになった。2週間ほどすると「新しい信者がここに入ってくるので、家に戻ってくれ」と追い出された。
美佐は実家に戻らず、東京でアパートを借り、派遣社員として働くようになった。
しかし、監禁現場で見た信者たちの、感情を押し殺した能面のような表情が忘れられなかった。そこで、週末になると群馬に通った。脱会説得ではなく、なんとか監禁の恐怖心を和らげてあげたいと思ったからだ。
東京から群馬に2ヶ月余り通ったあと、今度は母親が通っていた戸塚教会の勉強会に顔を出すようになった。「拉致監禁はもうやめるべきだ」と、黒鳥を説得しようと思ったからだ。東京のアパートを引き払い、わざわざ戸塚教会そばに引っ越してきた。それだけ真剣だった。
麻子がやってきたのはそれから数ヶ月後のことである。
第六章 引き裂かれた家族(クリックで本文へリンク)