後藤徹氏の裁判資料 被告・宮村峻氏の拉致監禁・脱会強要、水茎会の組織的活動
後藤徹氏の12年5か月拉致監禁事件 民事訴訟の裁判記録
『拉致監禁by宮村の裁判記録』より一部紹介します。
内容
後藤徹氏の準備書面 第1 被告松永の拉致監禁・脱会強要活動~第2 被告宮村の拉致監禁・脱会強要活動 2 水茎会の組織的活動をアップ致します。
第1、第2は、松永牧師、宮村氏が拉致監禁・脱会強要活動をしていた証拠を陳述書、尋問から細かく丁寧に論証しています。※長文記事になります。
最終準備書面についてのマメ知識
「最終準備書面」は、当事者が最後に提出する「準備書面」で、単に「主張」だけを記載するのではなく、それまでの訴訟の経緯の中で提出された「証拠」を踏まえて、自己の「主張」が「証拠」によって「立証」され、相手の「証拠」が信用できず、相手の「主張」は「立証」されていないということを「論証」するものです。そのことによって自己の「主張」が正しいということを裁判所にアピールすることになります。
弁護士ドットコムより引用
第1 被告松永の拉致監禁・脱会強要活動
1.拉致監禁・脱会強要の手順
被告松永の統一教会信者に対する拉致監禁・脱会強要活動は,
②拉致監禁・脱会強要実行直前における父兄を対象とする個別指導・謀議,
③父兄による拉致監禁の実施,
④被告松永による脱会強要,
⑤被告松永による脱会判定,
⑥「リハビリ」の実施,
⑦新たな拉致監禁・脱会強要に向けた脱会者ら及び父兄らの動員,
という手順を踏んで行われる。
上記活動は新津教会を拠点に1980年代後半頃から開始し,その後,反復継続して行われてきたものであって,特に1988年4月以降は,同人が原対協の支部組織として元信者やその父兄等を取り込んで組織した新津地区原理対策協議会を通じて組織的に行われてきたものである。
被告松永は,こうした活動に従事することを通して自身の教会の信者獲得及び資金獲得に繋がることに目をつけ,統一教会信者を拉致監禁することの違法性を熟知しつつも,世間の統一教会に対する偏見や信者となった子弟を思う父兄の心配に乗じ,違法活動を積極的に推進してきたものであり,「保護」「救出」「話し合い」といった言葉を巧みに利用しつつ父兄や元信者を扇動し,悪質な人権侵害活動へと巻き込んできたものである。
被告松永の脱会説得の実態が拉致監禁・脱会強要であることは,同被告の拉致監禁指導ビデオ(甲101号証の1~3),及び同被告作成の拉致監禁マニュアル(甲98号証の3)によって明らかである。
2.拉致監禁指導ビデオ(甲101号証の1~3)
(1)玄関ドアの施錠
被告松永が統一教会信者を拉致監禁するよう父兄等に対して指導していた事実は,
指導ビデオにおける同被告の
「第1,電話をします。第2に逃げます。
今までの例でお風呂に入るふりをして逃げるとか,トイレに行った,トイレに行ったらトイレの窓から逃げるとか。
親というのはそこまで考えないですよ。トイレに行ったら窓があるわけでしょ。
だったらちゃんと窓を見張らにゃいかんですよね。
ドアのとこだけ,ドアなんて鍵をかけちゃえば終わりなんですよね。窓なんですね」
(甲101号証の3「ビデオ反訳書」13頁4行目以下)
との発言から明らかである。
この発言について被告松永は陳述書において,「ドアなんて鍵をかけちゃえば終わりなんですよね」のドアとは玄関ドアのことではなくてトイレのドアのことであり,この部分は信者がトイレに立てこもることを言っていると弁明する(乙ロ12号証20頁8行~12行)。
しかし,「トイレに行ったらトイレの窓から逃げる」とある以上,信者がトイレに立て籠もることへの対策を語っているものではあり得ず,信者の逃走防止対策を指導しているものに他ならない。
だとすれば,「ドアなんて鍵をかけちゃえば終わりなんですよね。窓なんですね」とは,「玄関ドアなんて内鍵を閉めれば玄関からの逃走防止策は完了するが,窓が開いていたら窓からの逃走を防げないから窓を見張らないといけない」という趣旨以外にあり得ない。
そもそも玄関ドアやベランダの窓が開いていれば信者は何もトイレの窓から逃走しなくても玄関やベランダから逃走すれば足りるのであるから,ここでは玄関ドアやベランダの窓が開閉不能となっていることが前提であることは自明である。
即ち,このビデオを視聴する父兄においては,玄関ドアやベランダの窓を開閉不能にすることなど常識となっているのであり,そのような父兄を相手に被告松永は,親が玄関ドアを施錠すべきは当然のことであり,のみならずトイレの窓まで見張らなければならないと指導しているのである。
(2)電話
被告松永は指導ビデオにて,
どういうふうにして逃げたらいいのか指示を受けます。
ですから報連相をされないようにしなきゃいけない」
(甲101号証の3「ビデオ反訳書」12頁8行~10行)
などと指導し,図解入りで電話線の外し方まで説明して電話させないように指導している(甲101号証の3「ビデオ反訳書」12頁末行~13頁4行)。
「どういうふうにして逃げたらいいのか指示を受けます」とある以上,身体拘束を受けていることはここでも当然の前提であるが,電話をさせないという点でも,監禁下にあることが前提となる。
部屋の外への出入りが自由なら,外に出て公衆電話から電話することができる以上,いくら部屋の中の電話線を外しても意味はないからである。また,24時間誰かが起きて見張ると言っても何ヶ月も続けることは不可能であり,玄関ドアや窓が物理的に開閉不能になってることは明らかである。
<ビデオ映像一部と反訳書>
(3)救出要請メモの室外への放出防止
被告松永は指導ビデオにて
私は何の誰べえです。今どこどこに監禁されています。電話,どこどこのどこどこの教会に電話して下さい,そういうことを書いて投げるわけですよ。親はそういうのを知らない」
と述べている(甲101号証の3「ビデオ反訳書」13頁28行以下)。
ここで語られる状況が監禁下であることは明らかであり,玄関ドアやベランダの窓などからの脱出が不可能であるためにやむなく,トイレの窓などから救出要請メモを外に投じることを意味しているのであり,それを防止しなければならないというのが被告松永の指導である。
このようなメモの放出まで防止しようとしたなら,信者を「保護」する部屋には紙一枚出せる隙間があってもいけないことになるのであるから,玄関ドアやベランダの窓が開閉不能であることは,ここでも当然の前提となる(ちなみに,被告松永に監禁された川嶋英雄は監禁中の日記に「まさに出口なし。である。ありの子がはい出ることも,できない。」と記している。甲19:38頁上段,同37頁部屋見取図)。
(4)拉致監禁の正当化
被告松永は指導ビデオで
これはですね親が責任を持って子供をですね,犯罪を犯さないように保護することなんですよ」
と述べている(甲101号証の3「ビデオ反訳書」13頁13行目以下)。
即ち,統一教会にいれば信者は犯罪を犯すから,「保護」と称して信者を拉致監禁しなければならないというのが,ここでの発言の趣旨であり,被告松永が如何に人権感覚に欠ける思想の持ち主であるかということが窺い知れる。
しかも被告松永はここでは「親が責任をもって」信者を拉致監禁すべきことを指導している。
即ち,被告松永は本人尋問では,「家族がしていること」「本人の意思に反しないようにしなければならないと言っている」などと繰り返し供述しているが,実際には,上記ビデオの通り,被告松永自身が信者の父兄に対して拉致監禁を指導し,その実行を迫っているものである。
(5)個別指導
被告松永は,指導ビデオでは,最後に
その他もう少し詳しいことは証の中や,あるいはこの実際的な具体的なこの話し合いの中でご相談していきたいと思っております」
と述べている(甲101号証の3「ビデオ反訳書」14頁23行目以下)。
即ち,拉致監禁・脱会強要の方法の詳細については,子弟の脱会に成功した父兄や脱会者の証(体験談)を聞いて学んで欲しいということと,家庭ごとの個別の相談会で指導を行うと言っているものである。
子弟の脱会に成功した父兄や脱会者の証(体験談)とは,CH<H家三女>のノート(甲44号証)<三女が被告松永の教会で行われた「父兄勉強会」や「2DAYS」参加したときのノート>に具体的に記されているような拉致監禁実行体験談のことを言っているものであり,家庭ごとの個別の相談会での指導とは,拉致監禁を直前に控えた父兄が被告松永との間で行う謀議・予行演習のことであり,そこでは被告松永の方から甲49号証添付資料4<被告松永の指導内容>や甲102号証のような計画書が提示され,父兄はその計画書に基づいて拉致監禁を実行するのである。
3.「ビデオを父兄には見せていない」との供述の嘘
被告松永は陳述書において,甲101号証のビデオを元信者や森山諭牧師等に見せたところ,「このままでは,無用の誤解を招きかねない」との意見があったため,統一教会の実態については元信者に体験談を話して貰うことにし,ビデオは見せないことにした述べ(乙ロ12号証21頁8行~13行),本人尋問では,その「誤解」とは,初めて相談に来た父兄が信者と話し合うに際し,信者の了解を取ることよりも具体的な方法論や外形的行為に頼りがちとなることだと供述し,その後は,元信者や父兄が実体験を話すようになったと供述する(被告松永調書28頁11行~29頁10行)。
しかし,そもそも最初に拉致監禁の手法を編み出したのは森山自身である(甲155の2「反訳書」13頁でAT牧師が証言)。
しかも,森山牧師の呼びかけで始まった原対協も,活動内容として,「救出活動」即ち統一教会信者に対する拉致監禁・脱会強要を「実施」することを挙げ(甲96号証の2「4」),マニュアルに基づく拉致監禁・脱会強要を奨励していたのであるから(甲98号証の3),森山牧師にとって具体的方法論を父兄に指導すべきは当然のことであり,もとより信者の了解など前提にしてはいない。
したがって,森山牧師が「このままでは,無用の誤解を招きかねない」などと意見を述べることなどあり得ない。
また,後述の通り,CH<H家三女>が被告松永が主催する父兄勉強会に参加したときに記録した講義ノート(甲44号証)9頁下段には,「体の救出」「移動」「説得」の3つについて「まず計画をたてる」などとして具体的な拉致監禁方法が指導され,21頁から22頁においては人身保護請求が出された場合の対処法を含む具体的な拉致監禁方法が指導されている反面,信者の了解をとることなど一切書かれていない。
したがって,無用の誤解を避けるためビデオにおける指導を避けたなどということは全くの虚偽弁解に過ぎない。
この点,小出浩久は本件裁判が始まるより遙か以前の1996年11月に発行した書籍にて,被告松永が拉致監禁の手ほどきを解説,講義したビデオを父兄勉強会にて何回も繰り返し見せた旨述べ(甲29号証152頁6行~15行),また,統一教会信者の娘を拉致監禁したSKは「勉強会に行くたびに拉致監禁の方法を指導するビデオを見せられました」と供述しているのであって(甲26号証6頁1行以下),被告松永が上記指導ビデオを父兄に見せていたことについては,言い逃れの余地などない。
4.拉致監禁マニュアル
甲98号証の3は,その構成及び内容から,拉致監禁・脱会強要を行うためのマニュアルであることが一目瞭然である。
被告松永はこれを認めず,不自然な供述に終始するが(被告松永調書18頁~25頁,45頁~48頁,51頁~54頁),聖職者でありながら事実を偽り見苦しい弁明を重ねる様は「偽善者」そのものである。
被告松永は甲98号証の3は,参加者が体験したり,日頃から考えていたことを内容とするもので,
ものだと述べる(乙ロ12号証3頁20行~23行)。
しかし,仮にそうであるなら,誰が発言したものか記録があっても良さそうなものであるが,甲98号証の3には発言者に関する記録は一切無い。
また,マニュアルは,統一教会信者をおびき出し,自宅以外のマンション等に連行して監禁し,完全に脱会するまで解放しないとの一貫した方針が貫かれ,項目立てて整理して記載されているものであって,参加者のランダムな発言をまとめたものなら,ここまで一貫し,整理されたものとなるはずがない。
そして何よりも,甲98号証の3は完全に指導の文体で記載されており,参加者各人が思い思いに語った意見や過去の体験談ではあり得ない。
また,各人のランダムな発言を記録したなら,ここまで一言一句正確には記録できないはずであって,むしろこれは各人が記録しやすいように黒板等に書かれた指導内容をメモしたものであることが推察される。
なお,被告松永は,この会議では「信者本人の了解を得ることが大事」という発言があったなどと述べ(乙ロ12号証14頁11行),そのような発言が記載されていないのは,「当然のこと」だからだと供述する(被告松永調書47頁12行~,54頁13行~)。あなたの陳述書では,この会議では信者本人の了承を得ることが大事という発言があったということを,信者の意思を尊重すべき発言が多々あったというふうに断定的に書いてあるんだけど,そんな発言あった。
もちろんです。
それが多々あったのに,何でここには何も書いてないの。あなたは拉致監禁にかかわるようなことばかり書いて,何でそれをここには書いてないの。一番大事なことじゃないの。
本人の意思を確認するとか,それは当然のことでしょう。
<松永牧師反対尋問より引用>しかしながら,原対協準備会後の1987年10月頃に録画された(被告松永調書25頁18行~19行)前記被告松永の指導ビデオでは,同被告はむしろ信者の意思を無視して拘束するのが当然のこと」であるとの姿勢で指導しているのであるから,実際には真逆であって,原対協においても,信者の意思を無視することを<「当然のこと」とした拉致監禁・脱会強要の指導・謀議が行われていたものに他ならない。ところで,被告松永自身,右も左も分からない試行錯誤の時期に準備会に参加したと主張し(松永準備書面(5)3頁24行~26行),当時は経験が不十分であったと述べる一方(乙ロ12号証3頁14行~15行),森山牧師については,「それまで多くの経験を持って」いたと述べる(乙ロ12号証7頁18行)。森山牧師は当時,『偽メシヤから真のメシヤへ』と題する著書を著すなど(被告宮村調書49頁6行~8行),統一教会信者に対する脱会説得の日本における「第一人者」であり(被告宮村調書5頁6行),森山及び被告宮村が荻窪栄光教会を拠点にして水茎会という組織を背景に行っていた拉致監禁・脱会強要活動が,日本国内では最も実績を納めていた。
また,被告宮村は被告松永から見ても,脱会説得の経験が豊富で統一教会の裏情報も含め統一教会のことに精通している人物であったのであり(被告■<後藤徹氏の兄嫁>調書34頁17行~35頁1行),被告松永が「統一教会の問題で宮村さん以上に詳しい人はいない」,「宮村さんの所に(説得のための)あらゆる資料が集まっている」などと言って被告宮村を高く評価していた事実は原告も陳述書にて述べる通りである(甲9号証24頁5行~9行)。要するに,原対協参加者らは森山及び被告宮村の手法を学ぶために全国からわざわざ東京の荻窪まで交通費を支払ってまで集まって来たものであり,被告松永もその中の1人であったのである。そして,YC事件において明らかな通り,被告宮村こそが,それまでの森山の手法に比べて飛躍的に厳重な拉致監禁,脱会強要の手法を荻窪栄光教会に導入した張本人であり,甲98号証の3は被告宮村が考案して指導した内容である。高澤守牧師は,かつて神戸地裁に証人出廷した際,1980年代後半から,統一教会信者の脱会説得に関わる全国の牧師等が信者の身体を拘束するようになった旨証言しているが(甲20号証の1,25頁),高澤自身も原対協に参加していた事実は被告松永及び被告宮村も認めるところである(被告松永調書57頁7行~10行,被告宮村調書60頁1行~6行)。神戸のOAのところで保護されていた■<後藤徹氏の兄>のところに,あなたも話に行ったということですけども,このOAと長年一緒にやっている神戸の高澤守牧師とは,長い付合いですね,あなたは。
いや,普通のお付合いです。
原対協の集まりとかで,顔を合わせているということだね。
はい。
<宮村氏反対尋問より引用>
先ほど,原対協が,そういった会合を新宿西教会でやってたことについてあなたは否認してましたけども,栄光教会以外でどこでやってましたか,東京で。
・・・東京の・・・教会だったり会館だったりしたので,ちょっと私,いつかどこだが記憶してません。
88年7月に森山牧師が倒れて,また,宮村も扶を分かって出ていったんですけど,それ以降は栄光教会じゃないはずですよね。どこですか。分からない,覚えていない。
・・・一応,いろんなところでやってましたね。
そこに高澤は来てましたね。
いらっしゃったりいらっしゃらなかったりしたと思います。
来てたことは来てたということね。
はい。
<松永牧師反対尋問より引用>
したがって,1980年代後半から,統一教会信者の脱会説得に関わる全国の牧師等が信者の身体を拘束するようになったというのは甲98号証の3の拉致監禁指導マニュアルを元にした原対協における被告宮村の指導結果に他ならない。5.原対協と全国霊感商法対策協議会との関係荻窪栄光教会にて森山牧師の呼びかけで始まった原対協,即ち「原理運動対策キリスト者全国連絡協議会」は,「キリスト者」を中心とする集まりであったが,「キリスト者」以外からも広く参加を募るために原対協は「全国霊感商法対策協議会」に名称変更した。原告準備書面(11)で詳述した通り,前記高澤守は統一教会を被告とする裁判の証人として神戸地裁に出廷し,被拘束下の複数の統一教会信者に対し包丁を示して脱会説得を行っていた事実を証言すると同時に,全国霊感商法対策協議会についても詳細に証言しているが(甲20号証の2の51頁7行~58頁末行),高澤によると,同協議会の会員数は40人ぐらいで年2回ほど必要に応じて会合がもたれ,東京で行うときは日本基督教団新宿西教会のフロアで行い,会合では,統一教会の状況や,「騙されて逃げられていく」こと,即ち統一教会信者が偽装脱会によって監禁から脱出することを防ぐにはどうしたらいいかといったことなどが話し合われていたという。まさに「マニュアル」6枚目の「判定規準」のことが話し合われていたものであり,偽装脱会を見抜いてでも監禁を継続し,真に脱会するまで解放しないというのであるから,同協議会では拉致監禁,脱会強要の謀議が行われていたものに他ならない。高澤牧師は同協議会によく参加する人物として被告宮村,被告松永,OA<後藤徹氏兄を説得した牧師>を挙げるが(甲20号証の2の56頁8行~11行,57頁11行~58頁4行),高澤がこうした証言を行った1996年7月9日は,原告が新潟のパレスマンション多門に監禁されていた時であり,そのことは極めて重要である。被告宮村も被告松永も,こうした会合に参加していた事実を認めることが自分達の立場を危うくすることを十二分に承知しているがために,被告宮村は準備書面(第4)において同協議会について,「何かの思い違い」であるとか,「実在しない団体」などと主張する(4頁6行~9行)。また,被告松永は反対尋問において,原対協が2000年くらいまで続いたこと,及び高澤牧師が原対協に参加していた事実を認めつつも,名称変更したことを知らないなどと述べ,東京の新宿西教会で会合をもったことを否定する(被告松永調書44頁7行~45頁3行,56頁24行~57頁10行)。しかしながら,東京で会合が開催される際の開催場所として高澤が証言する日本基督教団新宿西教会は,被告宮村が一時期提携していたAT牧師<宮村氏が脱会説得した(元)信者をケアしていた>が主任牧師を務めていた教会であり,当時水茎会の勉強会の会場として利用していた場所であるから,被告宮村が同協議会について知らないはずはない。この点,被告宮村は反対尋問においては,原対協の会合を新宿西教会で開催していた事実は認めるに至った(被告宮村調書62頁5行~17行)。高澤証言によると,新宿西教会でも,この会合を開いて,あなたや松永も参加していたというふうに言っているんですが,それは事実ですね。
新宿西教会で,そういう会合を開いたことはあります。
<宮村氏反対尋問より引用>さらに,新宿西教会のAT牧師は,2012年10月26日に証人MK及びYSと会った際,全国霊感商法対策協議会について,荻窪栄光教会でやっていたもの(原対協)を引き継いだ組織だと述べている(甲155号証の2の18頁13行~16行)。
したがって,原対協が「全国霊感商法対策協議会」に名称変更した事実,水茎会が荻窪栄光教会と決裂後に原対協ないし全国霊感商法対策協議会の会合が新宿西教会で開かれた事実,同会合に被告宮村,被告松永、及び高澤等が参加し,偽装脱会の見破り方等,拉致監禁,脱会強要に関する意見交換・情報交換を重ねていた事実はもはや争いの余地がない。原対協の会合の趣旨は,統一教会信者の「救出」に向けて,「同志が緊密かつ,迅速に連絡しあい,協力しあって,これからの対策を積極的に推進」することにあり(甲95号証1枚目挨拶文),原対協自体が活動内容として,「救出活動」,即ち統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要を「実施」することを方針としていたものであるが(甲96号証の2「4」),こうした方針に則り,被告宮村,被告松永,OA,高澤守らは,原対協から「全国霊感商法対策協議会」への名称変更の前後を通じ一貫して,「緊密かつ,迅速」に連絡を取り合い,協力し合って拉致監禁,脱会強要を行ってきたものである。現に,原告を荻窪フラワーホーム804号室に監禁中,被告宮村は,高澤牧師の協力要請で大阪を訪れ,鳥取教会襲撃事件で拉致監禁された富澤裕子に脱会強要を行っているのみならず,高澤もまた後日,被告宮村の案内で荻窪フラワーホーム804号室に赴き,監禁下の原告と面談し(被告宮村調書112頁5行~24行),相互に連携しているのである。6.被告松永による勉強会被告松永は新津教会にて統一教会信者の父兄を対象とする勉強会を開催し,その中で「統一教会の実態」と称して,統一教会及び信者の活動を誹謗中傷し,父兄を不安に陥れ,信者を脱会させることの必要性を説き,拉致監禁を手段とする脱会強要を扇動してきたものであり,また,実際に信者を拉致監禁し脱会させた父兄や,拉致監禁により脱会した信者の体験談などを語らせることにより具体例を通した指導を行ってきたものである。このことは,既述の拉致監禁指導ビデオ(甲101号証の1,及び3)から十分に窺えるが,更に,「リハビリ」に従事させられていた間に講義に参加し,講師までさせられた小出浩久の書籍(甲29号証),陳述書(甲27号証,甲45号証),及び被告松永の講義に参加したCH<H家三女>が記したノート(甲44号証)からより明らかになる。被告松永は元信者が父兄勉強会を行っていたかのごとく供述するが,実際には,「父兄勉強会」及び「2DAYSセミナー」の主催者は被告松永であり,いつ,誰が,どのような話をするか等,集会全体を統括し,指導監督していたのも被告松永であって,元信者は被告松永の指示を受けスタッフとして手伝っただけである。また,「父兄勉強会」及び「2DAYSセミナー」で父兄に対して行う講義及び講話の殆どは被告松永が担当し,父兄にビデオを見せる際も,どのようなビデオを見せるかということは被告松永が指示しており,ビデオの内容も,被告松永の講義をビデオ撮りしたものが殆どで,特に,拉致監禁の具体的指導の説明は,被告松永が担当し,他の人物が行うことはなかったものである(甲29号証151頁~161頁,甲27号証23頁~28頁,甲45号証2頁18行~33行)。CHの講義ノート(甲44号証)は平成5年(1993年)1月31日ないし同7月25日の間に記録されたものであり,主に毎週土曜日に開催された父兄勉強会と,当時新津教会において1泊2日の日程で行われた「2DAYSセミナー」の2種類の勉強会における指導内容を記録したものである。甲45号証から下記の事実が明らかになる(以下,講義ノートの頁数は,甲45号証の添付資料に付された頁数で表す)。(1)被告松永による拉致監禁指導 講義ノート9頁下段には,具体的な拉致監禁の方法について被告松永が板書したものが記録されている。被告松永はここで,「体の救出」,「移動」,「説得」の「3つを先ず計画」することの重要性を説いている。「体の救出」,「移動」とは統一教会信者を拉致して監禁場所まで移動することであり,「何時どこで誰がどのように」とある通り,被告松永は講義において,拉致の時間,場所,人数,具体的行動など予め綿密な計画を立てるよう指導していたものである。「移動」については,「車二台以上」で行くこととあるのは,信者を乗せた車が故障した時など不測の事態に備えるためであり,「コースを決め」るのは,目的地まで迷わずに行くためと,二台目の車がはぐれても追い付けるようにするためである。「トイレの問題」とは,連行中に信者がトイレに行きたいと言ったときの対処のことで,外のトイレに行かせれば逃走される危険があるので,逃げられないように車内にポータブルトイレを用意することなど準備が必要だという指導である。
「料金所を通過する時」とは,高速道路の料金所を通過する時に信者が騒いで係員に救出を求め,騒ぎにならないよう注意するようにとの意味であり,「乗せ方降ろし方」とは,信者を連行する車に乗せる時と下ろす時に,逃げられないよう,周りを大勢で取り囲むべきことなどを意味している。「乗せ方」においては,被告松永作成の計画書(甲102号証)1枚目の図にもあるように,信者を座席の中央に座らせ両脇を親族が挟んで窓からの逃走を阻むように,といったことも指導される。
「説得」については,監禁中,「本人から目を離さない」こと,「ドア・窓の前に人を立たせる」ことなど,信者の脱出を阻むべきことが入念に指導される。
また,「1親と子,2脱会者と子,3牧師と子の順に話し合う」とは,脱会説得のため信者と話す者の順番のことであるが,被告松永はこのようなことまで事細かに指導しているのである。被告松永作成の計画書(甲102号)3枚目にも「(1)親子」「(2)元会員」「(3)牧師」と全く同じ順番で脱会説得すべきことが記されており,実際には被告松永自身がこうした講義を行っていた事実が明らかである。
「見極め」とは,信者が脱会を表明した際,真に統一教会の信仰を失ったか否かの判断のことであり,「偽装脱会されぬように」するための基準として「①内容」及び「②血統圏(霊の子)」が例示されている。「①内容」とは,脱会理由として信者がどのような内容を挙げるかの意味であり,「②血統圏(霊の子)」とは,本人が伝道した人(霊の子)や,本人を伝道した人(霊の親),同じ霊の親から伝道された人(霊の兄弟)などの人達(血統圏)の名前などの情報をどれだけ被告松永等に開示するかを意味している。これらはマニュアル(甲98号証の3)6枚目「判定規準」にも正に同様の内容が記されているものである。 講義ノートの平成5年3月21日付記載(20頁~22頁)にも被告松永による拉致監禁の具体的指導が記されている。 20頁では,「何の為に脱会させるのか」ということと「何としてもあきらめない」という意志の重要性が記されており,被告松永が統一教会信者脱会に向け父兄を鼓舞・扇動しているのである。 21頁には,「何故窓にカギがかかってるの?」と聞かれたら「新聞やTVで5階から飛び下りてケガをした子がいて,心配だからだよ」と回答すべきことが記されている。これは,信者が監禁下に置かれていることに抗議した際の弁明の仕方を指導したものであるが,玄関から脱出できない状況を前提としたやりとりとなっている。ちなみに,1994年に高澤守牧師のもとで監禁された信者がベランダから転落して瀕死の重傷を負った事件があるが(甲20号証の1高澤調書50頁11行以下),これとても,高澤自身の証言通り(同51頁11行~13行),玄関ドアは開閉できなくされていたという事例である。結局のとこと,被告松永はマンションの一室等における物理的監禁状態を踏まえた指導を行っていたものである。 また21頁には「だいたい1週間位は興奮が収まらないし文句ばかりいってる」との記載があり,22頁には,信者が暴れた場合の対処として,「こうしなければ話し合いできなかった」などと弁明すべきことが記されているが,これらも,信者本人が監禁されていることを前提とした指導である。
また22頁には,「家で1時間話すのが原則」とか「『ラチがあかないから・・・』といってやや強引につれてくる方が,ウソついて連れてくるよりずっとまし」といった記載があるが,被告松永はここでは信者を騙して連れてくるよりも暴力的に拉致すべきことを指導している。
更に22頁には,「人身保護願いが出されたら・・・?留守宅に届けられたら留守人が郵便局に返す。(受取人がいないため)」との記載があるが,ここでは人身保護法や裁判所からの呼び出しを無視して監禁を継続すべきことを指導しているものであり,極めて悪質である。 上記記載につき被告松永は,父兄の体験と言うが,上記記載は過去の体験談の文体で書かれてはおらず,指導内容として書かれている。人身保護請求に基づく裁判所からの呼出状が送達された場合,信者の親族としては監禁の事実がないなら,むしろ信者を裁判所に出頭させて監禁の事実がない旨証言させれば済むのであるから,上記指導は,信者を実際に監禁していることが前提となっている。 被告松永は,人身保護請求に応じて裁判所に出頭し,自ら監禁されていない旨供述した信者もいた旨供述する(被告松永調書73頁3行以下)。誰が経験したの。
それは,ちゃんとそれは,新潟の場合は私,記憶がちょっと定かでないんですけども,ちゃんと裁判所に出て,自分は監禁されていませんと,話し合っていたんですと。
<松永牧師反対尋問より引用>
仮にそのような事実があるのだとしたら,結局のところ小出浩久のように脱会していない信者は裁判所には出頭させず(甲27号証8頁6行~15行,甲29号証41頁3行~14行,甲32号証の1~10),脱会が確実となった信者についてのみ法廷に出頭させ,監禁されていない旨供述させるという,実に巧妙な使い分けが行われていたと言えるのである。
被告松永はこのような指導に関し「これは元信者や父兄の方がいろいろな体験をここでも話し合ってることですので,私はそのことを一つ一つ確認してるわけじゃないんです」などと供述し(被告松永調書63頁19行~20行),自身の関与を殊更に否定しようとする。
しかし,これら記載は次項で述べる体験談とは異なり,明らかに「指導」として記されている。
(2)元信者及び父兄の証(体験談)※尋問録を何か所か引用 父兄勉強会では子弟の脱会説得に成功した父兄や脱会した元信者の証(体験談)の発表も行われるが,被告松永は指導ビデオにおいて,拉致監禁・脱会強要の方法の詳細についてはこうした証を聞いて学んで欲しいと説いており(甲101号証の3,14頁23行~25行),父兄及び脱会者の証もまた,被告松永が参加父兄等に対し拉致監禁・脱会強要の具体的方法を指導する材料としていたものである。 講義ノート11頁には,Fという元信者の体験談が記されているが「断食1ヶ月」「黙まり 1ヶ月」「偽装脱会作戦で資料を読み始めて1ヶ月」との記載がある通り,1ヶ月間の断食や1ヶ月間の会話拒否など,監禁に対して必死の抵抗をしたことが明らかである。 講義ノート12頁には,MYという元信者の体験談が記されている。
「49日に帰ってきた時に保護」とあるのは,四九日の法要で実家に帰った際に拉致監禁されたという意味である。最下行には「脱会後は脱力感と苦悩に悩まされる」とあり,被告松永の強引な脱会説得によって精神的におかしくされたことが明らかである。
講義ノートの24頁中程以下には,WKという元信者が拉致監禁された時の状況が下記引用の通り克明に記されている。 TVみておわったら,おじさんたちがゾロゾロ入ってきた。
父が目前にいて周りかこまれる。逃げようとしたら7~8人
にとりかこまれる。軍手してる。大声で文句いう。
車にのせられ両うでつかまえられる。
誰かがボロを出すまで質問ぶつける。
助手席にいるのはイトコ。運転は姉 足でける。頭を
ハンドルにぶつけつつ。
だまそうとしてシュンとする。(しかし スキがなかった。)
エレベーターにのる。6Fなのでとても高いと思った。
10人位と一緒に入る。親せきの人がいるので
あばれなかった。1週間すぎに,親の顔をみて
「ふけた」と,初めて感じる。
このころより話をききはじめる。
上記記載から,WKが自宅でテレビを見終わったとき,伯父達がぞろぞろと部屋に入って来たこと,逃げようとしたら軍手をした7~8人に周りを取り囲まれたこと,大声で抗議したが,車に乗せられ両腕を捕まれたこと,運転席はWKの姉が,助手席には従兄弟が座り,WKは姉を足で蹴って抵抗したこと,車を下ろされたWKは10人位の者達に囲まれてエレベーターに乗せられ,マンション6階の一室に監禁されたこと,親戚が大勢いて暴れようにも暴れることができなかった事実が明らかである。講義ノート27頁には,WKの家族の体験談が記されているが,そこには「8月には親せき会議を開く。しかし15日に帰ってくるはずの本人,いきなりキャンセルがっかり気落ち,諦めかけたが持ち直して,正月に保護」「父―窓 姉―ドア(交代)」「本人『仕事が始まるので出してほしい Telかけたい』でもダメ。逃げようとするがタックル」といった記載があり,WKの家族等が拉致監禁に向け前年の8月から親戚間で謀議をして準備をしていたこと,父親と姉が交代で窓と玄関ドアを見張ったこと,本人が「仕事が始まるので出して欲しい,電話をかけたい」と言っても禁止したこと,本人が逃げようとしたがタックルして逃走を防止したことが窺われる。7.家庭ごとの個別謀議※尋問録を何か所か引用既述の通り被告松永は指導ビデオの最後に「以上,統一教会の実態を知り,親が取り組むべき内容であります。その他もう少し詳しいことは証の中や,あるいはこの実際的な具体的なこの話し合いの中でご相談していきたいと思っております」と述べている(甲101号証の3「ビデオ反訳書」14頁23行目以下)。
「実際的な具体的なこの話し合い」とは各家庭ごとの個別の謀議を意味しており,特に拉致監禁を直前に控えた父兄が被告松永との間で行う謀議においては被告松永によって甲49号証添付資料4や甲102号証のような計画書が示され,父兄らはその計画書に従って拉致監禁を実行することとなる。甲49号証添付資料4について被告松永は,HY<H家の母>が依存的なところがあったため,本人が希望することをノートに書いてあげた旨供述する(被告松永調書67頁10行~)。しかしながら,依存的ならなおのこと,HYがこのような詳細な計画内容を自分で立案するはずはないのであって,同号証は被告松永が自ら記した計画書に他ならない。この点,HYも陳述書及びビデオで,次女HYuに対する拉致監禁・脱会強要が被告松永の主導で行われた旨認めており(甲41号証3頁1行~19行,同4頁1行~2行,同4頁17行~27行,同5頁28行~32行,甲105号証の2の13頁15行~20行,同14頁10行~12行,同15頁36行~16頁9行),被告松永に言い逃れの余地はない。甲102号証は,第2回朱光会事件によって親元に返されてより後に新潟県新津市(現新潟市秋葉区)のコーポ矢代田というアパ-トの2階の一室に監禁されたUH(乙ハ45号証の名簿欄右列6行目)に対して被告松永が拉致監禁・脱会強要を行った際の計画書である(甲162号証の1の5頁一覧表「UH」欄)。同計画書1枚目には「31日(土)」との記載があるが,当時の暦から1987年10月31日(土曜日)であると考えられる。同計画書に関し被告松永は,陳述書においては,父兄Aが一旦娘を北海道で脱会させたところ,まだ統一教会に戻ろうとしていたので今度は新津市矢代田にアパート(コーポ矢代田)を借りて「話し合い」を行いこれに被告松永も加わったが,その後,コーポ矢代田を借りようとした別の父兄(以下「父兄B」と言う)が父兄Aの話を聞きたいというので,父兄Bに説明したときに書いたメモが甲102号証であり,電話の時間帯の記載は,その父兄Bが被告松永に連絡する際の時間として書いたなどと極めて迂遠な経緯を述べる(乙ロ12号証22頁22行~24頁1行)。しかし,朱光会事件で新潟に返された6人のうちコーポ矢代田に連れて行かれたのはUHであるが,UHが北海道で「話し合い」をした事実はなく,他の5名も北海道で「話し合い」をした事実はない(甲162号証の1)。また,「救出」とある円の下に描かれた円には「多数」「5~6人」との記載の下に「誰を」との記載がある。
これは「最低でも5~6人の多数の人員が必要だ。『誰を』集めるか人選するように」と父兄に指示した際に記載したものであり,他の父兄の過去の体験談ではあり得ない。またその下のtelの語に×記が付されているのは,「電話をさせてはいけない」と指示した際に書いたものである。
その右に「1時間以内」とあるのは,監禁場所に連れて行くまでの話し合いは1時間以内に切り上げて,無理矢理にでも連れて行くようにとの指導を行ったとき記したメモである。右下に連絡時間として,「7:00-7:30」「9:00-10:00」とあるのは,毎日午前中であれば午前7時から午前7時半の間に,午後であれば午後9時から午後10時の間に連絡するようにとの指導を行った際,記載したメモである。信者を監禁中の父兄が被告松永に連絡を入れるべきことは,甲48号証の添付資料5の2枚目10行目に「報告の時」として信者の反応などを報告すべきことが記されていることからも明らかである(同号証9頁7行~11行)。また,同計画書2枚目の部屋の見取り図においては,4畳半の部屋の窓から外にカーブした矢印が書かれているが,これは,「この窓から飛び降りて逃げるので気を付けなければならない」と指導した際に書いたものである。
同計画書3枚目には,「(1)親子」「(2)元会員」「(3)牧師」との記載があるが,CH<H家三女>が記録した講義ノート(甲44号証)9頁下段の「説得」の項の2行目にも「1親と子,2脱会者と子,3牧師と子の順に話し合う」との記載があり,脱会説得の手順を説明した際,記したものと言える。また,上記講義ノート9頁下段の体の救出」「移動」「説得」の語の左には「この3つを先ず計画」と書いてあるが,被告松永はまさに「この3つを先ず計画」するとの指導方針に則って甲102号証を記したものである。したがって,甲102号証は父兄Aの過去の体験談を記載したものではなく,父兄Aがこれから拉致監禁・脱会強要を実行するという段階で,被告松永が父兄A(UHの父兄)に対して詳細な指示・指導を行った際,その場で作成した計画書に他ならない。被告松永は,反対尋問で甲102号証について聞かれた際,殆ど正面からまともに答えることができず,甲102号証の電話の時間帯の記載については,「話し合い」が終わった父兄A(UHの父)が被告松永に連絡すべき時間帯であるとの事実に即した供述をするに至った(被告松永調書48頁5行~51頁17行,78頁17行~79頁2行)。これはあなたに対する連絡じゃないのかと私は確認してるの。どうですか。
ですから,これ・・・。
違うんだったら違うと答えりゃいいじゃないですか。
これは私が,もし私に連絡するなら,この時間しか私は連絡とれませんよということです。
<松永牧師反対尋問より引用>これは,陳述書においては被告松永が真実とは遠くかけ離れた複雑な作り話をしていたため,それが記憶に基づいたものでないだけに,相手方の反対尋問を受けるや,陳述書の内容に沿った虚偽説明をすることができず,真の認識を答えてしまったのである。ちなみにコーポ矢代田は被告松永が継続して拉致監禁・脱会強要に用いていたアパートであり,本件以前の1988年5月1日付けで作成された甲142号証のOYの上申書によれば,同じ1987年7月にはAKという信者が同所に監禁され(17頁2行~3行),また同年8月2日から7日までOYが同所にて監禁されている(1頁2行~3行)。8.組織性※尋問録を何か所か引用被告松永は,1988年4月17日,脱会者や父兄等を集めて原対協の下部組織として新津地区原理対策協議会を結成するための会合を持った(甲100号証,甲129号証)。これは,相談件数の増加に伴い,「牧師の負担が大きすぎる」事態となったからにほかならず,「脱会者,父兄の協力を求め」組織的に取り組もうとしたからに他ならない。甲100号証の「2」「(3)」には「マンションの管理(シーツ,布団カバー)」とあるが,これは,拉致監禁用のマンション,アパートのシーツや布団カバーの交換要員のことを言っており,被告松永が,監禁用に複数のアパート・マンションを確保し,繰り返し使っていた事実を裏付ける記載である。同号証の「3.役員,係の選定」の「(2)脱会者」欄</bには,早速役員,係として選定された者達の氏名等が記されている。なお,右列に「説会者」とあるのは「説得者」と「牧会者」が入り交じった言葉であるが,「説得者」であり「牧会者」である被告松永を意味していると考えられ,「2」「(2)」の「救出計画の相談」,及び「2」「(4)」の「終了時の会計管理」を被告松永が「父兄」と共に担当するとの意と見られる。甲100号証に見られる組織化が進む中で作成されたのが甲99号証である。被告松永は甲99号証について,「父兄の誰かがこのようにしたら,ということで提案しようとしたものだったかも知れません」などと述べ,その記載内容については「知らない」と述べる(乙ロ12号証21頁20行~23行)。しかしながら,同じ陳述書の1頁では被告松永は,甲95号証ないし甲102号証は新津教会に保管しておいたもので,コピーも含めて他人に渡したことはないなどと述べ(乙ロ12号証1頁2行~7行),本人尋問でも同様の趣旨を述べる(被告松永調書29頁11行~17行)。甲99号証を含め保管しておいたと供述する以上,書面の内容は覚えているということに他ならない。
また,「コピーも含めて他人に渡したことはない」のだとしたら,そもそも父兄の誰かが作ったということ自体あり得ないことになる。被告松永は場当たり的な供述に終始しているために,供述相互間に矛盾をきたしているのである。
実際には,同号証は被告松永が作成し,父兄に配布してその内容を周知徹底していたものに他ならない。また,被告松永は,同号証上段の「相談依頼の手続きについて」「1」に「依頼者相談記録」に必要事項を記入し,最新の写真を添付して提出するよう記されていることに関し,反対尋問で父兄勉強会でこうした手続をとっていたかと聞かれた際,「私は直接かかわってなかったので,確かなことはちょっと言えません」などと供述し(被告松永調書60頁3行~8行),このような申込書があればカウンセリングの時確認しているのではないかとの質問に対しても「私は,覚えてないんですよね」などと供述する(同60頁9行~12行)。しかしながら,原対協参加者の発言については詳細な解説を行う被告松永が,その後自身の教会にて実際に行っていた父兄対象のカウンセリングにおいて,こうした申込書を見たかどうか「覚えていない」と供述すること自体,異常であり,自己に都合が悪いことは「覚えていない」と虚偽を述べているものである。更に,被告松永は,甲99号証に「4.救出後は『すみれ会』に加入し,最低6ヶ月は役員となり,毎月の父母会に参加し,また,毎週の学習会に参加し,未救出者の相談にのったり,積極的に協力すること」と記されていることに関し,被告松永の教会でこうしたことをしていたかについて聞かれても,答えをはぐらかし,甲100号証に「2.どのような協力ができるか」「(1)日曜日の午後の相談会に出席し,未救出者の相談にのる」「(2)脱会者+父兄で救出計画の相談をする」「3.役員,係の選定」といった記載がある旨指摘されても,「どこが共通してるんですか」などと反論して(同62頁7行~13行),正面からの回答を拒んでいる。こうした供述態度は全く誠意に欠けるものであり,被告松永の供述に信用性は皆無である。9.被告松永が関与した拉致監禁・脱会強要事例(1)KH拉致監禁事件KHは,1994年11月16日以降,被告松永らによって脱会説得を受け,信仰を失った元統一教会信者であるが,同人の日記(甲13号証)の記載から,同人が被告松永らによって拉致監禁され,監禁中に脱会していたことが明らかである。同号証13枚目「95.11.16(木)」欄には,昨年の今日僕はら致された。そして,今は当時考えてもいなかった。
反牧の息子さんの家庭教師。それから反牧の経営する幼稚園のバスの運転手になっている。僕は早く原理に戻るべきだ」と記され,同頁下から3行目には「だが言おう。僕は前の職場で責任があった。
そして公園の設計を頼まれていた。11月の下旬までには提出する予定だった」との記載があり,また,4枚目の「95.8.3」欄には,「汚ねえー,俺はマンションの中でうそをつかれて説得された。
すべて裏工作があった。牧師よ。
あんた,いったい何なんだ。早くここをおさらばしたい」との記載がある。こうした記載から,KHが統一教会の信仰を持ちつつも,一般の仕事にも従事し,公園の設計を頼まれるほどの立場にあって,1994年11月下旬までに設計図を提出しなければならなかったにもかかわらず,同月16日に被告松永と共謀した家族等によって拉致監禁され,被告松永による脱会強要を受けた事実が明らかである。「裏工作」とは,全て被告松永が仕組んでKHの家族を指揮命令して計画的・組織的に拉致監禁を行っていたにもかかわらず,監禁中には全て家族が行っているような装いをしていたことを意味しており,KHは脱会後にその絡繰りが分かって激怒しているものに他ならない。被告松永は陳述書において,KHの様子は,「フローテングの状態と言えるかも知れ」ないなどと述べ,統一教会の価値観と一般常識の間を行き来しながら悩んだとの推測を述べる(乙ロ1号証11頁24行~25行)。しかし,KHが統一教会が正しいか否かで悩もうが悩むまいが,拉致監禁されたか否か,被告松永が裏工作をしたか否かといった事実に関する認識に影響するはずはなく,被告松永が裏工作をしつつKHを拉致監禁していた事実は否定のしようがない。実は,ここで被告松永が言わんとしていることは,真に同被告の教育が浸透した元信者ならば,違法な拉致監禁と知っていても敢えて「保護」「説得」「親子の話し合い」と表現するはずであり,被告松永らが背後で指揮・指導していることを知っていても,「主体は家族である」と表現するはずなのに,KHは未だ教育が十分浸透していなかったというものに他ならない。(2)川嶋英雄拉致監禁事件川嶋英雄は1995年6月から同年10月まで,被告松永と共謀した家族等によって拉致監禁され,被告松永から脱会強要を受けた統一教会信者である。同人の日記(甲19号証32頁以下,甲118号証添付資料1)には,「まさに出口なし。である。ありの子がはい出ることもできない。」
(甲19号証38頁上段1行~2行)「『出して欲しい』と訴えても,家族は『牧師にきかないと分からない』と言い,牧師に言うと,『それは家族の問題だから』と逃げられる。ひどい話だ。」
(同号証43頁下段6行~10行)といった記載があり,同人が完全な監禁下に置かれていた事実は明らかである。ところが,被告松永は,この状況を「この話合いの主体はあくまでも家族なんです,私たちはそれを聞いて,少し資料を提供したりしながら,本人の家族のサポートをするだけです。
ですから,これは家族が決めることです」
などと供述する(被告松永調書70頁末行~71頁2行)。自分は主体ではないから責任を負わないとの趣旨であるが,実際には被告松永が全面的に指導して行っているのであり,見苦しい責任逃れとしか言いようがない。そもそも監禁という極めて異常な事態を,「これは家族が決めることです」などと,家族が決めさえすれば問題ではないかのごとく平然と供述できること自体,被告松永の人権感覚がいかに鈍磨しているかを如実に示す供述であると言える。(3)HYu-妊婦監禁事件(参照:松永牧師反対尋問の<H家族との関わり>の解説)統一教会信者のHYuは,1997年8月31日,嫁ぎ先の韓国から単身新潟の実家に一時帰国した際,妊娠5ヶ月であったにもかかわらず両親及び親戚達によって新潟市中央区のシテイパレス4階507号室に拉致され,同年11月末まで同室にて約3ヶ月間監禁され,同所にて被告松永から脱会強要を受けたものであるが,同室の玄関ドアは防犯チェーンとは別にチェーンが巻き付けられ南京錠で施錠されたものであり,また全ての窓は,特殊な鍵で施錠されて開閉不能にされ,特殊なフィルムが貼られ,全く外が見えない状態にされたのであった(甲40号証3頁14行~18行)。
これらは全て母HYら親族等が被告松永の指示・指導を受けて行ったものであり,親族といえども,被告松永の許可が無ければHYuを解放することはもとより,窓を開けることもできなかったものであり(甲41号証,甲44号証,甲45号証,甲48号証,甲49号証の1~5,甲104号証の1,4,甲105号証の1,2,甲119号証),更には被告松永の許可がなければ,親族といえども同室から外出することはできなかったものである(甲134号証の1の3頁18行~19行)。CH<H家三女>は陳述書において,HYの陳述書について本人が書いたものか疑わしいと述べるが(乙ロ5号証),HYはDVDにて本人が署名捺印した旨述べ,しかも陳述書における主要な点において同一の内容を真摯な態度で語っているのであるから,本人が書いたことを疑う余地はない(甲105号証の1,2)。CHは陳述書において,シテイパレス4階507号室は自身が住んでいた部屋だと述べる(乙ロ5号証11頁5行~7行)。しかし,HYuを監禁した当時,CHは同室には住んでおらず,CHが同室に転居したのは約2年後の1999年9月からである(甲104号証の3)。HYuが監禁された頃は同室は統一教会信者に対する拉致監禁・脱会強要のための専用の部屋として被告松永の配下の父兄の名義で借りるなどして同被告が常習的に用いていた部屋であって,CHはこの事実を隠すために,自身が住んでいたなどと虚偽の供述を行っているものである。また,CHは陳述書において,シテイパレス4階507号室のベランダに通じる窓にはシートは貼られていなかったと記しているが(乙ロ5号証12頁4行~7行),実際には,同窓(甲104号証の4写真左側)には白いシートが貼られ,外の景色を見ることができなくなっていたものであり,CHは陳述書では虚偽の供述を行っているものである。また,CHは陳述書において,高校生の頃,S市立図書館にて『淫教のメシヤ文鮮明伝』を始めとする統一教会批判の書籍を読んだと記載し(乙ロ5号証2頁28行~35行),HS<HYuのいとこ>の陳述書にもこれに沿う記載があるが(乙ロ7号証8頁23行~27行),当時同図書館には同書籍は存在せず,統一教会批判の書籍も存在していないのであって(甲104号証の2),CH及びHSは陳述書では虚偽の供述を行っているものである。被告松永は,当時妊娠中であったHYuに対する「保護」に反対しなかったのかと反対尋問で聞かれた際,素直に正面から答えようとはせず,裁判長からも尋問を受け,遂に反対した旨供述するに至った(被告松永調書64頁4行~22行)。
裁判長
家族の方はよろしいので,あなたが反対したかどうかだけをお答えください。
私は賛成ではなかった。だからそれはいけないとか,それは基本的には妊娠中の方を,それは私は反対です。反対しました。
反対した。
反対っていうか,これは・・・難しいですよと。こういうことしちゃいけないですよと。。
<松永牧師反対尋問より引用>
しかし,真に出入りが自由な場所で,本人がいつでも拒否できる状況で,本人の承諾のもとに話し合いが行われているなら,反対する必要はないはずである。ところが被告松永は,「こういうことしちゃいけないですよ」と言ったというのであるから(被告松永調書64頁23行~25行),被告松永が言う「保護」とか「話し合い」と言われるものが,実際には本人の意思に反して無理矢理拉致監禁して行われるものであることが明らかである。ところで,HY<HYuの母>は,HYuに対する拉致監禁・脱会強要を被告松永の指導で行ったと述べているのであるから(甲41号証3頁1行~19行,同4頁1行~2行,同4頁17行~27行,同5頁28行~32行,甲105号証の2の13頁15行~20行,同14頁10行~12行,同15頁36行~16頁9行),実際には被告松永は反対するどころか,HY等を唆して妊婦に対する拉致監禁,脱会強要を行い,HYuの心身に重大なダメージを与えると同時に,H家の家族関係を破壊したのである(甲40号証6頁24行~7頁23行,甲119号証15頁15行~31行,甲41号証4頁30行~5頁10行,5頁23行~27行,甲105号証の2の15頁17行~35行)。第2 被告宮村の拉致監禁・脱会強要活動
1.被告宮村が関与した最初の事例被告宮村は当初提出した陳述書(乙ハ2号証)においては,同被告が荻窪栄光教会及び統一教会信者に対する拉致監禁,脱会強要に関わるきっかけとなったYH<宮村氏の恩師>及びその娘のYCのことについて一切触れず,1984年冬頃(陳述書乙ハ2号証の「夏頃」は主尋問で「冬頃」に訂正,被告宮村調書1頁17行~19行)に脱会説得に関わったという別の家庭についてのみ言及していたものであるが(乙ハ2号証17頁~18頁),被告宮村自身本人尋問にて供述する通り,被告宮村は知人であるYHの娘,YCが統一教会に入ったということで相談を受けたため,1982年に荻窪栄光教会を訪れ,森山牧師のもとで聖書の勉強をするようになったものであり(被告宮村調書1頁末行~2頁12行),1984年8月にYHを説得してYCに対する拉致監禁,脱会強要を唆し(甲126号証の1水茎会受付簿「現在までの経過」欄),同年11月にYHらと共にYCに対する拉致監禁・脱会強要を実行したものである(甲125号証,)。
YCは陳述書(乙ハ28号証)において,YC手記(甲125号証)の筆跡は同人のものと異なり,「自分が書いたものではない」旨述べる(乙ハ28号証2頁10行)。しかしながら,YCも陳述書にて概ね認める通り,YC自身が1984年に荻窪栄光教会に1週間ほど滞在した後,自身の体験を元に手書きでレポートを書いたのであり,それが「あまりきれいな字では書けなかった」ために,別の信者が書き直したのがYC手記である(同2頁12行~19行)。YCは,「私が書いたものに加筆,訂正,歪曲が加えられているように思います」などと記す一方で,「今となっては具体的にどこと指摘することは不正確となるので差し控えさせていただきます」と述べるが(同2頁末行~3頁3行),これは,同手記がYCの作成したレポートを忠実に清書したものだからに他ならない。一方YCは,「少なくとも私は自分で納得して荻窪栄光教会にとどまって,そのあと自分の意思で原理研に戻りました」と述べる(同3頁3行~4行)。しかし,YCの父であるYHが書いた水茎会の受付簿(甲126号証の1)の「現在までの経過」欄には「強引に森山先生の所に連れてきて」との記載があり,連行経緯に関する限りYC名義の手記の記載が事実であることは明らかである。
甲125号証には,監禁中に警察官が来た際,両親を説得するため譲歩した経緯について記載があり(甲125号証32頁8行~36頁4行,甲151号証2頁30行~3頁11行),YCが自分の意思で留まったなどというのは,警察官の理解不足のためやむなく出た行動のことを言っているものに過ぎず,実際には真の自由意思から出た行動ではない。 被告宮村は甲125号証について,伊勢谷俊昭か誰かが作出したものなどと述べるが(宮村準備書面(第5)4頁14行),同号証には伊勢谷等,統一教会側の人物が知り得ず,YC本人にしか分からない内容が詳細に記されており,このことからも同号証の内容がYCの認識から出たものであることは間違いない(およそ他人が想像力を働かせて書ける内容ではないことは一目瞭然)。仮に,統一教会側の人物がYCの認識を度外視して書いたのだとしたら,当時統一教会信者に対する脱会説得で名の知れた森山をここまで美化した内容にはならなかったはずである。一方,たまたまY一家と知り合いであったために初めて脱会説得活動に関与したに過ぎぬ被告宮村について,統一教会側が殊更に事実を歪曲して悪く書くべき理由も存在しない。
したがって,甲125号証は,YC自身が書いたレポートを他人が忠実に清書したものに他ならず,その内容には信憑性がある。当時は統一教会信者が精神病院に違法に強制入院させられ人身保護請求手続により解放された事件や信者が鎖で繋がれ脱会強要を受ける事件など悪質な事件が多発しており(甲87号証の1~2,甲86号証添付資料2),原理研究会の法務担当をしていた伊勢谷俊昭らは弁護士に相談するなどしていたものであるが,YCの事件についても弁護士に相談するためYCにレポートを依頼したところ,YC自身認める通り,同人の字が「あまりきれいな字では書けなかった」ために,他の信者がYCのレポートを代筆したものと考えられる。弁護士の判断を仰ぐために作成した資料であった以上,甲125号証がYCのレポートを忠実に清書したものであることは間違いない。 原告準備書面(12)4~5頁で述べた通り,被告宮村が拉致監禁の手法に関し森山牧師に比べて飛躍的に厳重な手法を採ったため,被告宮村が本格的に拉致監禁活動に加わって以降は,ひと度監禁された信者が解放されるには,①真に脱会するか,②脱会を偽装するか(偽装脱会),③脱出するか,のいずれしかなくなったものであるが,被告宮村は偽装脱会(②)を見破るために極めて精巧な判断基準を確立した(甲98号証の3の6枚目)。こうした判定基準のもと,真の脱会(①)に至っていない者を頑として解放しないとの方針を採ったことから,監禁は必然的に厳重なものとなり,森山牧師が単独で行っていた時期(甲59号証273頁~275頁)に比べ監禁期間も格段に長期化したのである。2.水茎会の組織的活動原理研究会の伊勢谷俊昭が作成した「栄光教会アジト監禁場所」(甲127号証の2,及び同3)には荻窪界隈の複数のマンション,アパートが掲載されているが,1987年6月頃より水茎会の活動に参加するようになった被告■<後藤徹氏兄>は,当時水茎会では3,4箇所のマンション,アパートを「保護」に使い,10人くらいの元信者がボランティアで「保護」に協力していたと供述し(被告■<後藤徹氏兄>反対尋問調書7頁末行~8頁9行),「栄光教会アジト監禁場所」掲載の物件のうち,コスモマンション以外のマンション,アパート全てについて,「保護」に使われていた事実を認める(被告■<後藤徹氏兄>反対尋問調書12頁7行~21行)。被告■<後藤徹氏兄>は,荻窪フラワーホーム705号室について,この頃より繰り返し「保護」のために使用されてきた事実を認めるが,同室は原告が1997年12月以来監禁された804号室の1つ下の階の一室である。
保護に使うアパート,マンション,あなたが元信者として水茎会で活動してたときのことでいいですが,そういう保護のマンションは何ヵ所ぐらいありましたか,常時。
時期によって違うと思うんですが。
大体どれぐらい。
私が話合いの場に出た頃は,3ヵ所か4ヵ所,多いときでですね,あったときもあったと思います。
他方,元信者,行く人,ボランティアスタッフ,何人ぐらいおりましたか。あなたを含めて。大体でいいですよ。
10人ぐらいだったかなと思いますけど。
これらは,1998年頃,当時原理研究会のI氏が作成したリスト,そして撮影した写真なんですが,ここにコスモマンション,犬ねこマンション,フラワーホーム705号室と書いてあるんですけども,これらは,当時あなたが先ほど言ってた保護に使われてた部屋ですね。
コスモマンションというのが,ちょっと分かりません。
それ以外は知ってる。
それは知ってますね。
これは,保護に使われておったんですね。
うん,家族の話合いの場として使われてましたね。
ここでフラワーマンションが出てきてるんだけどね,88年。
はい。
ずっとこのフラワーマンションというのは,保護のために取っ替え引っ替え,新しい人,古い人,古い人が出たら新しい人と,こうやって使っておったね。
この頃から使われてたマンションだということではありますね。
<兄反対尋問より引用>
また,荻窪フラワーホーム505号室が1996年に証人OBや証人MKに対する「保護」に使用されていた事実は被告宮村も認めるところである(被告宮村調書30頁6行~8行)。ちなみに同マンションの505号室,705号室及び804号室は全て平面図上マンションの南端の同一位置にあり(甲9号証添付図面4,甲5号証写真4,甲11号証4頁25行~30行,MK調書6頁22行~25行),その特徴は玄関から奥の部屋までが細長く,奥の部屋に監禁された信者の逃走を親族等が容易に阻みうる点にある(甲43号証2頁39行~3頁1行)。
被告宮村は反対尋問にて,荻窪フラワーホームが頻繁に利用される理由に関して,「空き室がいっぱいある」,「交通の便もいい」,「家賃も安く」などといった理由を挙げるが(被告宮村調書30頁11行~16行),そうした理由であれば他のタイプの部屋が使われてもおかしくないはずであり,実際には上記3部屋が構造上,監禁に好都合であったからに他ならない。被告宮村は,荻窪栄光教会時代に相談に来た人のうち水茎会に通うようになるのは100人のうち5,6人であり,荻窪栄光教会から分かれた後の水茎会では100人のうち8,9,10人くらいだと供述し(被告宮村調書9頁9行~15行),新しく結成された水茎会で脱会説得に関与したのは25年間に80家庭強であり(同12頁20行~26行),他はよその牧師のところに相談に行ったのではないかなどと供述するが(同9頁22行~24行),事実を偽るものである。荻窪栄光教会が1988年9月15日に発行した「創立30周年記念誌」(甲128号証)5頁最下段には,1985年の水茎会発足を原因として礼拝参加者が激増し,1988年には400名を越えたことが2回あったと森山自身記しているが,巻末に報告されている「教勢と財勢」を見れば,1984年の礼拝参加人数は90名程度である。従って1985年3月の水茎会発足以降,1回の礼拝出席人数が約310名増加したことになる。
仮に荻窪栄光教会時代に相談に来た人のうち水茎会に通うようになるのは100人のうち5,6人であったというなら,1985年の水茎会発足(甲126号証の1の右上にある3.17との日付から3月頃と目される)から昭和63年(1988年)12月24日に受付のあった771人(甲126号証の9)のうち,残ったのは40人前後となるが,これでは,礼拝参加人数増加分の310名を到底説明することはできない。水茎会参加者には,山梨県,愛知県,長野県といった地方在住の者も相当の割合を占めており(甲126号証),必ずしも毎週日曜の礼拝に参加できるとは限らないことを考えれば,実際には水茎会で受付を行った家庭の多くが水茎会に残ったことが窺われる。
次回は、1週間後、「第3 被告らの供述の虚偽性、及び信憑性の欠如」 までアップします。