4300人の信者が「拉致監禁」され、強制棄教の恐怖と闘った 余りに過酷な現実

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医師 小出浩久さんの証言
監禁現場に現れた反統一教会集団「全国弁連・宮村峻氏・有田芳生氏」

「脱会したというなら、勤めていた病院を訴えろ」と紀藤正樹弁護士に訴訟を迫られました(医師 小出浩久さん)

信者を拉致監禁して脱会させ、さらには元信者として「反対活動家」に仕立てあげる脱会屋、全国弁連、監禁牧師
1992年から1994年にかけて拉致・監禁を経験した、医師の小出浩久さんの証言です。「反統一教会グループ」が、親族にどのようにして拉致・監禁の教育を行うのか、また、元信者は統一教会(現、家庭連合)から脱会した後、どのような生活を送るのかを、脱会後グループに所属しながら見聞きした、自身の経験を赤裸々にお話されました。

証言の中には、小出浩久さんが拉致監禁を通して関わらされた、全国弁連の中心的な弁護士である紀藤正樹氏、山口広氏、立憲民主党議員でジャーナリストの有田芳生氏、そして、有田芳生氏の紹介で立憲民主党ヒヤリングで講師を務めた脱会屋「宮村峻」氏らの実名がでてきます。

なお、同ヒヤリングの場で、有田芳生氏は脱会屋・宮村峻氏を「今メディア等で元信者が発言をしていることも、宮村さんの力が大きく働いている」と紹介しています。

https://cdp-japan.jp/article/20220818_4293

詳しくは、動画でご確認ください。

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小出浩久さんの証言(抜粋)

●私は昭和37年に東京で生まれ、自治医科大学医学部在学中に統一原理と出会い、進んで布教活動を行ってきました。

●平成4年6月、宮村氏をはじめとする脱会グループのメンバーによって拉致監禁され、2年間にわたり思想改造の弾圧を繰り返し受けたのちに、脱出しました。

●私は天理教の信仰に熱心な父に育てられ、一方の母方は学校の先生や医師が多く、宗教には否定的でした。子供の頃より神様を信じる世界と祈る世界を知りながら育ちました。

●29歳の時、家庭連合信者が経営に関わっている、都内の一般病院で働いていましたが、両親は私がそこで働くことに賛成しておらず、不安を抱いていました。やがて両親は宮村峻氏という脱会屋と接触することになり、私を家庭連合から引き離す計画を進めていました。

●1992年6月、実家に戻った際に親戚20名に囲まれ、ワンボックスカーに押し込められ、荻窪のマンションに運ばれました。そこでは窓ガラスも外から見えず、ドアにはチェーンがかけられており、逃げることは不可能でした。

●最初の頃は親戚10名が一緒に寝泊まりし、私は医者としての職業を強制的に放棄させられ、病院に連絡を入れることもできませんでした。

●親戚や脱会者たちから家庭連合の活動や私の信仰について説明を求められましたが、「基本的人権を無視した暴力的宗教迫害をやめてほしい」と叫び続けました。

●母方の親戚が不安になり、全国弁連の弁護士が監禁現場に来て親戚を説得しました。また、宮村峻氏の指示で、新潟県の松永牧師の元で監禁が続けられました。

●上越市では、監禁から逃げる最後の手段として「間違っていた」と言うことにしました(偽装脱会)が、それでも4か月間拘束が続き、精神的に追い詰められました。

●監禁中、宮村峻氏と連携している有田芳生氏が部屋に訪ねてきました。有田氏は拉致監禁現場の状況を知っている様子でした。


●その後、紀藤正樹弁護士と山口広弁護士が登場し、私を家庭連合の病院を訴えるように迫られました。監禁場所から出るためには、「踏み絵」としての裁判を強いられるのです。

●脱会を指導しているキリスト教会での勉強会で、親族が監禁の準備や模擬訓練を行いました。脱会説得には監禁された元信徒たちも駆り出されるのです。

●監禁された信者たちは、親族や脱会屋から暴力的に信仰を破壊され、人権の基本要件である「安心、安全、自信」を取り戻せずに今も苦しんでいます。