信者が拉致・監禁され、ディプログラマー(脱会屋)から強制棄教を迫られる恐怖と胸痛む現実

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【詳細版】拉致監禁による強制棄教事件の歴史

 

戦後最大の人権侵害”と称される拉致監禁問題
その背景を貫く「左翼勢力の政治闘争」

 

“4300人以上の拉致監禁問題”に真摯に向き合う識者は、これを「戦後最大の人権侵害」あるいは「戦後最大の犯罪行為」と表現する。最初の拉致監禁が統一教会(現・家庭連合)が宗教法人格を取得した直後の1966年。そこから、歴史的にディプログラミング・ネットワークが構築され、高度なマニュアルが作成され、被害が急激に拡大していく。

約60年の歴史的概観は、次の4つの期間に区分できる。

第Ⅰ期1966年〜76年 福音派・森山諭牧師が「統一教会は異端」として改宗を強要
第Ⅱ期1976年〜87年 福音派から日本基督教団へ拡大、日本共産党が関与強める
第Ⅲ期1987年〜97年 スパイ防止法制定阻止へ全国弁連が結成、脱会者が原告に
第Ⅳ期1997年~    脱会屋が拉致監禁訴訟で敗訴、違法性・悪質性が明らかに
現在 安倍元総理銃撃事件、そして“新たな拉致監禁”の懸念高まる

そして、これらの背後に、日本共産党、旧社会党ら左翼政治勢力による、保守系宗教の家庭連合、勝共連合潰しという政治的意図が一貫して存在し続けていることを忘れてはならない。そのことが、2022年安倍元総理銃撃事件以降の家庭連合解散命令への政府の動向に大きく影をおとしている。

それでは、第Ⅰ期~第Ⅳ期まで、各期間について歴史を振り返る。

 

第Ⅰ期 福音派・森山諭牧師「統一教会は異端」(異宗教・他会派排除)

 

第I期が1966年〜76年までで、この期間は、故・森山諭牧師が福音派の立場から「統一教会(家庭連合)は異端」という動機を持って、強制改宗を始まった。76年3月4〜6日には、森山牧師が東京・八王子大学セミナーハウスで「統一協会問題対策セミナー」を開催し、監禁して説得する改宗法を他の牧師に伝授するまでになる(「クリスチャン新聞」1976年3月21日号)。

森山牧師は、キリスト教福音派の背景から自身と違う聖書解釈を許さず、「もし彼ら(統一教会)がキリスト教を名乗らなければ問題にする必要もない。しかし彼らがキリスト教を名乗り…聖書をでたらめに解釈して人々を惑わすので放っておけないのです」と語っている。実際、森山牧師は統一教会を「異端」と位置づけ、その教理批判の書物を早くから刊行した。

 

政治的背景

 

そもそもの事件の大きな転機は、森山牧師が強制改宗をはじめた翌年1967年7月7日に朝日新聞夕刊に載った「親泣かせ原理運動」の記事である。この記事を契機として、統一教会は純枠に宗教的関心事として取り上げられるよりはむしろ、社会的に異常な、あるいは不適当な、つまり不当な団体としてのイメージが定着していった。そこで入会した信者の親たちが心配と不安にかられ、この親心を刺激し利用したのが、キリスト教会社会党左派共産党であった。

社会党左派は、「朝日新聞」およびキリスト教左派の牧師と組んだ。社会党はもともとキリスト教社会主義から生まれたものであるから自然の成り行きであったといえる。キリスト教左派は社会派と呼ばれ、日本基督教団において戦争責任告白問題をめぐって紛糾し、ついに鈴木正久教団議長によって戦責告白を認めるという愚行を犯し、大阪万博問題をめぐっては、逆に暴力的手段に訴え教団を乗っ取ってしまった。これら一連の動きは社会党左派、共産党と結託して行われ、日本革命の一翼を担ってきたのである。これらのグループが親族に働きかけて彼らの不安を煽り、教唆に及び拉致監禁という犯罪行為を行わしめたのである。

 

旧ソ連の強制収容所まがいの精神病院収容

 

ところが、当時の反対運動は「統一教会員は、原理によって洗脳されているから、そこから脱会させるには逆洗脳しかない」と結論したのであり、したがって「何がなんでも取り返す」と考えたこれらの人々は、社会的常識も日本国憲法も目に入らず、ゆえにこれを無視し、精神病院を悪用して、ここに幽閉、拉致・監禁に及び、薬物を投与して、精神病院は文字どおり旧ソ連の強制収容所まがいの展開を示したのである。

旧ソ連では反動分子とレッテルを貼られた人間に思想改造が行われたのであるが、日本の監禁施設では統一教会員であるだけの理由で、信者への暴力的な強制棄教が狂信的、感情むき出しの態度で行われたのである。この頃の事件の顛末は「日本版収容所列島」に詳しい(第三部資料編参照) 。

東京久留米ケ丘病院、香川県、愛知県、栃木県、宮崎県、青森県、北海道の苫小牧の精神病院が悪用された。

反対グループがこのように旧ソ連の強制収容所まがいの拉致・監禁、幽閉、薬物投与、洗脳に及んだもう―つの理由は、文鮮明師提唱による1968年の国際勝共連合の設立(以下勝共と呼ぶ)であり、70年の世界反共連盟(WACL)の世界大会であった。武道館に3万人を動員した大会と日常の外宣活動は内外に衝撃を与えた。このことが共産党と社会党、そして容共的キリスト教左派の牧師たちをして連合戦線を組ましめ、表面に反対父母のグループを立てて活動を強化してきた理由である。

かくして、反統一教会運動は政治性を帯びた複雑で複合的な様相を呈すことになる。表面上は親子問題として扱われ、親たちは統一教会が反社会的であり、犯罪集団であると信じ、あるいは思い込まされ、子供を返せと叫ぶことになる。

 

日本特有の新宗教への違和感

 

そこにはまた宗教的伏線、つまり新しい信仰に入れられることへの違和感と不安と嫌悪感があったことも否めない。これらの違和感と不安と嫌悪感は、過去の日本の歴史においても同様に表れている。イエズス会が日本に布教に来た時、また明治期にプロテスタントが布教に来た時も同様に扱われており、迫害された。敗戦後ですら同様の問題が起きており、そこへ統一教会が宣教に来たのであるから、ほぼ同様の対応を示したことはいうまでもない。

歴史的に、仏教も儒教も、そしてキリスト教も、日本に土浩化、定着化される為に、「絶対的な存在(超越者)」「普遍的な真理(超越性)」という要素が排除される傾向があり、現代日本人が持つ新宗教に対するアレルギーも同様ではないか。このような宗教的土壌を、政治的に巧みに利用したのが反統一教会キャンペーンとも言える。

 

共産党の支援で反対父母の会が発足

 

具体的には1967年7月7日の「朝日新聞」の夕刊以来、興味半分で取り上げられたマスコミの報道により不安に駆られた親族らによって、個別的に反対運動は展開された。

なかには過激な反応を示す者もいた。秋田県の本間テル子氏(統一教会信者の母)は、共産党との接触を深め、1973年「統一教会被害者父母の会・陽光会」を設立するに至る。そして75年、荒井荒雄氏、本間テル子氏ら20名で「原理運動対策父母の会」(通称「反対父母の会」)を結成(これらの結成は共産党の応援による)した。

1975年7月には、二か月にわたる東京久留米ケ丘病院における監禁事件発生。76年、後藤富五郎氏丸山隆氏らと共に「原理被害者更生会」を発足した。

ところが後藤氏や丸山氏らのやり方は悪辣過ぎたため、のちに人身保護請求裁判などで崩壊することになる。特に丸山氏は拉致・監禁した青年女性教会員の強姦にまで及んだ。この頃、国会でも攻撃を開始。共産党の米原昶議員、社会党の石橋政嗣書記長横山利秋議員、共産党の正森成二、神谷信之助両議員がそれである。

 

第Ⅱ期 福音派から日本基督教団へ、背後で日本共産党が関与

 

第Ⅱ期は1976年〜87年までで、この期間は森山諭牧師のほか、船田武雄牧師高澤守牧師和賀真也牧師村上密牧師などの福音派牧師が多数加わり、事件が増えた。

この時期、見逃せないのが日本共産党の動きである。

共産党は78年の京都府知事選に敗れるまでは、まだ本格的には統一教会・勝共連合潰し、拉致監禁・強制棄教に乗り出してはいなかった。統一教会をそこまで大きな存在とは思っていなかったことを示している。しかし京都府知事選に敗れてからは、「赤旗」において連日、統一教会反対キャンペーンを張ることになる。

1978年5月10日、第十四回党大会四中総で、統一教会に対する本格的攻撃態勢をとることを決議。6月5日は、宮本顕治委員長が党を挙げての統一教会攻撃を指令。78年6月13日付の「赤旗」には、宮本委員長自ら「勝共退治は歴史に刻む正義のたたかい」という見出しで論文を掲載し、これを「宮本委員長の結語」とまで表現している。国会においても正森成二、神谷信之助、安武洋子議員が連続して攻撃。また反対父母の会からは各政党に向けて、統一教会規制要望書を提出させている。

そして、11月3日には統一教会と対立関係にあった村井資長早稲田大学総長(当時)と、その夫人の育ての親であった岸千年日本ルーテル教会代表、および日本聖書協会理事長を前面に立てて「原理運動を憂慮する会」を発足させる。その中核には、左翼リベラリズムが立ち位置の浅見定雄教授を据えて、日本基督教団をはじめとしたキリスト教関係者に影響を与えていった。

憂慮する会は、教義批判や伝道方法の批判、スパイ防止法反対を表明

 

精神病院における拉致監禁事件が多発、全国的な組織に拡大

 

この頃、川崎経子牧師らが、浅見定雄教授と連携し、拉致監禁・脱会活動を拡大させていく。ここに共産党と社会党が背後にあって、表向きはキリスト教会対統一教会の図式をもって、反統一教会キャンペーンを張るのである。そうして78年から東京久留米ケ丘病院をはじめとする精神病院における監禁、幽閉事件が多発するのである。

一方、独自に反統一教会運動を展開していたセプンスデー・アドベンチスト教会の和賀真也氏は1980年「エクレシア会」を発足させたが、81年「憂慮する会」のメンバーが中心となって「エクレシア会を支える会」を結成するに及んで、全国的に強制改宗活動を展開した。

また86年には「憂慮する会」北海道支部ともいうべき「統一協会=原理運動=勝共連合の暗躍を憂慮する北海道の会」が本間テル子氏と橋本左内牧師の結びつきで発足している。このように共産党、社会党が中核となって、全国に反統一教会グループを結成していったのである。

1978〜86年、棄教目的で、家庭連合信者を共産党系の精神科病院に強制入院させる事件が多発していた。しかし86年2月、被害を受けた信者が民事裁判で勝訴し、精神科病院を使った方法がとれなくなる。そこで、施錠されたマンション等の密閉施設を舞台に、牧師(脱会屋)と親族が結託して行う監禁形態に移行し、さらに事件が増加することになる。

特にこの頃から大きな影響を与えた職業的ディプログラマーがいる。宮村峻氏である。1984年に本格的に参入し、監禁件数もそうだが、その内容が極端に悪質化している。①脱会するまで監禁 ②親を組織的、計画的かつ徹底的に指導教育して拉致監禁を実行させる ③高額報酬が取り沙汰される 等がそれだ。

また、宮村氏はジャーナリスト有田芳生氏やテレビ・週刊誌等のメディアにも強い影響を与えていくことになる。脱会させた元信者を、メディアに登場させ、統一教会の批判をさせるのだ。親に拉致監禁を実行させるための指導教育の内容や、有田芳生氏やメディアとの蜜月関係は小出浩久内科医師の 著書 「人さらいからの脱出」 に詳細に記載されている。

 

第Ⅲ期 スパイ防止法制定阻止へ全国弁連が結成、霊感商法キャンペーン

 

第Ⅲ期は、1987年〜97年まで。

拉致監禁・強制棄教の被害者数を飛躍的に増大させたのが全国霊感商法対策弁護士連絡会 (全国弁連 1987年発足)の霊感商法キャンペーンであった。 紀藤正樹弁護士山口広弁護士渡辺博弁護士らが主要な構成員。全国弁連は、勝共連合が進めていたスパイ防止法制定阻止の為、 左翼系弁護士達が立ち上げた。

「金は勝共連合の国家秘密法制定の策動の資金に流れている」 (山口広弁護士) 「まずは被害者の救済ということで発足させた。 そのためにはマスコミの協力が ないとだめ。 発足した時、 被害者は一人しかいなかったが、 弁護団を発足させ、 マスコミに取り上げてもらって被害者を発掘しようということになった」(1986/10/23共産党系日本ジャーナリスト会議にて)等の発言が確認されている。

彼らの思惑通り、全国弁連の母体が発足した1987年2月13日、その記者会見の 模様は夕方のTV番組が一斉に報道し、全国紙も翌日朝刊で大々的に報じた。この結果、弁連の受付電話は終日鳴りやまなかった。

全国弁連が発足した1987年から、 拉致監禁件数が急増している(下図)。 脱会した元信者が、別の信者の強制棄教に協力させられると共に、 裁判の原告に仕立て上げられたのだ。この期間、拉致監禁で脱会させられた元信者を原告として、監禁牧師、そして全国弁連弁護士らと結束し、家庭連合潰しのための裁判「青春を返せ裁判」「婚姻無効裁判」を展開された。

さらに、日本基督教団は88年3月、「統一教会問題を宣教課題に」(「キリスト新聞」同年4月9日号)の方針で、反家庭連合活動に教団として取り組むことを決議(呼びかけ人は桑原重夫牧師)し、それ以降、事件が激増した。93年3月の山崎浩子さんの失踪事件の頃には、年間300件を超える事件が発生している。

 

第Ⅳ期 拉致監禁訴訟で勝訴、脱会屋の違法性・悪質性が明らかに

 

第Ⅳ期は1997年以降。強制棄教の暴挙を諌める者が誰もいない中で、97年、鳥取教会襲撃事件、路上での拉致事件、監禁された女性が自殺する事件など、悪質な事件が発生した。

これに対し、鳥取教会を襲撃され、1年3カ月間の長期監禁被害に遭つたT・Hさん、および路上拉致の被害に遭ったI・Rさんらが牧師を相手に提訴し、これを機に事件の件数が徐々に減少していく。

T・Hさんの民事裁判は、牧師も監禁事実を認め、勝訴した。しかし、I・Rさんらの民事裁判は、牧師が監禁事実を否認し、敗訴することになる(I・Rさんの裁判では、最高裁が親族に対して異例の和解勧告をし和解)。事件は終息せず、その後も起こり続ける。

そうした中、2008年2月10日、後藤徹氏が12年5ヵ月もの長期監禁から逃れてくる。その後、後藤徹氏は民事裁判の訴えを起こし、地裁、高裁、最高裁で勝訴するに至った。

 

安倍元総理銃撃事件と家庭連合解散命令請求、そして拉致監禁の懸念再び

 

2022年7月の安倍晋三元総理銃撃事件を契機に、旧統一教会(現・家庭連合)に対する世論が急激に悪化し、文部科学省による質問権の行使、さらには宗教法人法に基づく解散命令請求にまで至るという、かつてない国家的対応が進められた。ここには①立憲民主党がヒヤリングとして宮村峻を講師招聘、②消費者庁が宮村峻と親密な紀藤正樹弁護士を霊感商法検討会委員に入れる、③文科省が解散命令請求のため提出した民事判決の原告の過半数が強制棄教により造成された原告 等の信じがたい現象が伴っている。

国家機関が宗教法人に対して極めて強い行政処分を下そうとするなか、拉致監禁(保護説得)が“公的支援”という名のもとにぶりかえすのではないかとの懸念がぬぐえない。たとえば、家族の訴えに基づき福祉施設への一時入所や精神科的介入が推奨されたり、「支援者」とされる団体が本人の意思確認を曖昧にしたまま接触を試みたりするようなケースがあるとすれば、それは、過去の拉致監禁の延長線上にあると言わざるを得ない。

これまで見てきたように、いま注目されるべきは、こうした活動が特定の個人や家族の行動にとどまらず、「ディプログラミング・ネットワーク」とも呼ばれる広域的・構造的な脱会支援の仕組みに支えられてきたという事実だ。そこには、宗教者(牧師)、弁護士、元信者、カウンセラー、精神科医、メディアなどが緩やかに連携しながら、全国規模で脱会工作に関与してきた実態が存在している。

さらに、この「拉致監禁」犯罪あるいは悪質な人権侵害に対し、警察・政府・行政機関が抑止力として十分機能せず、この社会の“闇”が大きくなったことも、付け加えなければならない。

 

拉致監禁被害4300人以上の“歴史的教訓”を生かせ

 

過去には4,300人を超える信者が、ディプログラマーに不安を煽られた家族の手によって信仰の自由を奪われ、監禁・棄教を強いられてきた。親心が歪な形で弄ばれ、あまりに凄惨な歴史が築かれた。その歴史を絶対に繰り返してはならない。今こそ拉致監禁問題に対し、社会全体が冷静な目で見つめ直すべき時である。

 

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