
信仰を理由に精神病院へ ― 私の強制棄教の記録【山椒さんの証言】
はじめに
1970年代後半、自宅通学の大学1年生で統一原理と出会い、1年後に親の反対が始まりました。卒業までは、放課後に通教し帰宅後に棄教説得を受け続けるしかないと思っていましたが、大学3年の秋、反対活動家の画策で精神病院に強制入院させられ、棄教説得の日々は突然1年半で終わりました。
今から10数年前、米本和弘氏の「火の粉を払え」ブログで精神病院での強制棄教について書きました。信者は洗脳(マインドコントロール)されているという汚名(虚構)を晴らす一助になればと、米本氏の筆によらず、自分で書いて3回寄稿しました。その機会を下さった米本氏に改めて感謝いたします。
1話:「精神病院で改宗を迫られて」と題して入信・親の反対・精神病院への強制入院 / 2話:反対活動家について / 3話:「母と私」と題して監禁後の親子修復について、計3回の寄稿でした。
これから、この寄稿文を1話から順番に、今の時代にあわせて個人情報等に配慮し直し、加筆修正して、ポストします。
1話「精神病院で改宗(棄教)を迫られて」
【1章入信~反対の経緯】1977年、自宅通学の大学1年の時、統一教会系の学生組織・原理研究会(以下、原研)のホーム(以下、教会と記す)に通い始めました。最初、私から学生寮と聞いた母は、夜に庭の筍や蕗を炊いて翌日タッパーで持たせてくれていました。
大学2年になる春休み、勧められて京都比叡山で21日修練会に参加しました。参加について母に伝えてはいましたが、娘の始めての長期外泊に不安を感じた様で、不在中に学生運動を疑ってマスコミ記事を調べ、『朝日』『赤旗』の「統一教会」「血分け」「KCIA」という記事に辿り着き、心配を深めました。
そして地元の福音系教会のM牧師や朝日新聞から紹介されて、当時「原理被害者更生会」の会長を名乗っていた後藤富五郎氏(故人/以下、後藤氏)に問い合わせました。その時から大学3年の秋までの1年半、私が教会に立ち寄って不在の時に、母は電話で後藤氏の指示を仰いでいました。
「放っておけば、子どもは廃人になるか行方不明になって死体で見つかるかです。そうなる前に早く洗脳を解かないと。そのためには嘘をついてもいいから精神病院に入れなさい!」
これが、70年代に後藤氏が親に監禁を決心させるために繰り返し語った言葉です。
マスコミ等から問題解決の専門家として後藤氏を紹介されて連絡した親は、後藤氏から「手遅れになると子どもは死ぬ」「娘は性被害の餌食になる」と繰り返し説明されるのです。これを聞いて焦らない親がいるでしょうか。私の母も後藤氏と連絡を取り、手遅れになる前にと追い詰められたのです。
そうとは知らない私は当時、教会から自宅に戻り、『赤旗』や反対本を前にして、「教会をやめなさい。さもないと行方不明になって親の死に目にも会えなくなるに違いない」「親の言うことが聞けないのか」「親を親とも思わなくなる宗教だ」と、毎晩、寝るまで嘆願と叱責を繰り返されて困惑していました。
鍵で閉ざされてはいませんが、我が家は、後に脱会屋や反対する牧師が「親子の話し合い」と呼ぶ場所と化していました。母から「きっと行方不明になる」と責められるので、家から逃げて「噂通りの恐ろしい教会だ」と家族に思わせてはいけないと自分に言い聞かせ、責められるための帰宅をしていました。
教会に行くと大変なことが起こると母から言われる度に、私は、「教会に行っていても、そんなことはしない。だから教会をやめる必要はない」と答えましたが、母には『教会をやめる』という行為を伴わない約束は、私の身の安全につながらないとの気持ちから受け入れてもらえませんでした。
母が不安視しているのは目の前で説得を聞いている私ではなく、後藤氏の話を元に妄想した『将来廃人になるか、行方不明の末に死んでいる私』でした。自分の未来像が貶められていることを知らなかった10代の私には、この母の思い込みを払拭することはできませんでした。
母は、毎夜、嘆願とも叱責ともつかない説得を続けましたが、それでも折れない私に対して心配と焦りを募らせ、いつしか恫喝するように「心中しよう」と言ってガス栓をひねったり、包丁を持っていたりする程にエスカレートしていました。
それまで、親子の間で大きな喧嘩もなく、手を挙げられた経験もなかった私は、心が通じなくなったことがただ悲しく、同時に見たこともない暴力的な母の姿に恐怖を感じはしましたが、(教会に通うなら心中だなんて意味が分からない…)としか思い至りませんでした。
反対が始まった頃、教会で20代の先輩から「お母さんは先祖の罪が深い。もっと悔い改めなさい」と言われました。大切な両親の人格を貶めるような反対の様子を葛藤しながら話した結果、罪深い親子と言われることは、自宅での棄教説得と同様に辛いことで、次第に異様な反対について話せなくなりました。
教会の現場指導者は、まだ20代の若者が多い時代でした。こうして誰にも話せず、解決策を見いだせないまま、影で後藤氏が介在した期間、私たち親子はどんどん険悪になり、後藤氏の指導で「心中」まで迫っても信仰をやめると言わない私に対しての、精神病院への強制入院計画が進められたのです。
第2章以降は山椒さんのポストよりご覧ください
【2章強制入院の日】 〈1-2-1家族を想っての上京〉大学3年の秋、いつものように授業の後で教会に立ち寄っていた時、突然、母から、「東京の姉が足をケガしてしまった。輸血が必要だから今から家族で上京するから、おまえも早く家に帰りなさい」と、慌てた感じの電話がありました。
— 山椒 (@EEoj99VD2X45379) May 17, 2025











