
🗞️親子の絆を引き裂き人間不信を生み出すディプログラマー達
以下の内容は当時新聞に掲載された「犯された信教の自由 ■ら致・監禁を強行する牧師・神父たち ⑩」をテキスト化したものです。
※日付に関するものは新聞に掲載された当時のものです。
親心を政治的に利用
「片よった見方ばかりを教え込まれて親もかわいそうなんです」ーー。
都内に住む統一教会員、上村明美さん(仮名、25歳)は兵庫県淡路島に住む両親を思い浮かべながらそっとこう語った。明美さんは58年2月2日、120日間にわたって監禁されていた自宅を飛び出した。以来4年間、一度も両親の元に帰っていない。両親の頑とした反対と「帰ればまた監禁される」という恐怖心から帰郷できないでいるのだ。
明美さんが、「ら致・監禁」されたのは(昭和)57年1月5日、京都で学生生活を送っていたころである。その日、母親から突然の呼び出しを受け地下鉄の北大路駅で待ち合わせした。多少の不信感を抱きながらも「まさかうちの親にかぎって非人間的なことはしないだろう」と待ち合わせ場所に向かった。
すると、両親によって無理やりタクシーに乗せられ、そのまま自宅へ。以後、自宅監禁の生活が続いた。もともと親子の関係はそれほど悪いものではなかった。裸一貫から店を築き上げてきた苦労人の両親は「子供たちが幸福になれる道ならいいのではない か」と一時は理解を示していたころもあった。また、自分の信仰を理解してもらおうと明美さんは何度か父兄懇談会に誘ったこともあった。

本間テル子氏や村上密牧師などの強制改宗牧師の巧みな働きかけ
しかし、事態はその後急変。そこには親心を政治的に利用する全国原理運動被害者父母の会(本間テル子会長)や強制改宗牧師の巧みな働きかけがあったのだ。
窓には鉄格子、すべての戸は外からくぎで打ちつけられた部屋での監禁生活が約1週間過ぎたころ、1人の牧師が訪問してきた。関西地方を中心に活動する改宗牧師の1人、村上密氏(日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団)である。閉ざされた部屋でのひと通り後の”説得”を終えて、同牧師は「かなり難しいタイプです。ずっとこの状態で外部と完全に遮断し、冷静に自分を見つめるのがよいでしょう」と父母に監禁を奨励した。
村上牧師によって引き裂かれた親子の絆(きずな)は、4年たった今もちぎれたままである。
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なにも知らない親を利用するディプログラマーへの怒り
一方、札幌市に住む白河真澄さん(仮名、27歳)はあの日のことを恐れ、1人で外出できないでいる。
あの日とは昨年12月22日、「原理運動を憂慮する北海道の会」(戸田実津男会長、以下「憂慮する会」)のメンバーに通りの真ん中で襲われた日のことである。屈強な男性3人で体を持ち上げられ、腕と足をつかまれ横倒しのまま押し込められた車中で、真澄さ んは、「怖くて怖くてガタガ震えていた」という。
真澄さんは、監視のスキを見て鉄格子のすきまから脱出、雪道をはだしで逃げ帰った。脱出後、自宅に連絡した時父親が、「本当にすまなかった。あのようなことはもう絶対にしない」と謝った。だが、これも「憂慮する会」の子供を油断させる手口だと判明。
強制改宗牧師たちは父兄たちに「ら致」の手段として平気で子供をだますことを指導している。そのことはだます側の親、だまされる側の子供の心に深い傷を残し、親子関係の基本的信頼まで破壊している。
森山諭牧師が新聞で語った信仰喪失の喪失感
被害者のインタビューの中でも「親に裏切られたことが一番ショックでした」「自分の子供の言葉より牧師や第三者の人間の言葉を信用する親は信じられない」と親に対する不信をあらわにする声もあった。もっとも悲惨な例は、改宗牧師によって強制的に信仰を奪われ、親も信じられなくなり生きる目的も失い孤独に暮らす人がいることである。
そのことは強制改宗牧師の1人森山諭氏も指摘しており、クリスチャン新聞(62年1月25日付)で「統一教会員は、素直でまじめで真剣な若者が入会するので、それだけに彼らの教えに命がけである。それから救出(脱会)されると、人生の目的を失って夢遊病者のようになる」と語っている。
親子の絆を断ち切り、ひいては人間不信、宗教不信を生み出す改宗牧師たち。人の魂を救うはずの牧師によって、こうした被害者が生まれていることはキリスト教界にとって大きな問題だ。(宗教問題取材班)















