
信仰を巡る拉致監禁の悲劇ーー6階から脱出試み転落…記憶喪失になってしまう大学生Oさん
6階の監禁場所から逃げようと落下し意識不明の重体という痛ましい事件が平成6年に起こりました。
幸い一命を取り留めましたが、被害者である当時大学生のOさんは記憶喪失になってしまいます。
Oさんの痛ましい事件を解説した動画と当時の新聞も合わせてご覧ください。
拉致監禁の悲惨な事例
拉致監禁場所から脱出するためにマンションの6階から脱出しようとし転落
当時大学生のOさんは、監禁された神戸の6階マンションのベランダから、下の階に逃げようとして10数メートル下まで転落してしまいます。このマンションは、ほかの教会員も過去、強制改宗された「改宗部屋」の一つだったと言います。
首謀者の神戸真教会とわずか1キロの距離。 Oさんの父親は神戸真教会の高澤守牧師に 「息子が死んだら、お前を殺し て自分も死ぬ」 と激怒する。
肋骨が何本も折れ緊急治療室に入って奇跡的に一命を取り留めますがOさんは記憶喪失になってしまいます。 中学・高校の記憶は戻ってきましたが統一原理を聞いた大学時代の記憶が戻らないまま、 家族はOさんが交通事故に遭い、その時に「あなたのために祈ってくれたのが神戸真教会の信者さんだ」と伝え、の神戸真教会(※)の信者にさせられてしまいます。
※神戸真教会(高澤守牧師)は統一教会を最も敵視する教会
命がけでマンションのベランダや窓から脱出を試みた被害者
マンションから脱出を試みたのは、当時大学生だったOさんだけでなく、他にも痛ましい事例が多く存在します。
3階から覚悟をきめ命がけの脱出
「明け方の3時ころ、気づかれないように窓を開け、ベランダに出ました。…部屋は3階でしたが、飛び降りた場合、地面に敷地を隔てるコンクリートの塀があることを想定し、なるべく遠くに飛ぼうと思いました。…私は監禁下で信仰が折れるよりは、ここで落ちて、もし死ぬようなことになっても後悔はない、と覚悟を決めました。…思いっきり遠くに飛びました。…『やった!』と思った瞬間、私は気を失ってしまいました」
隣室ベランダへ脱出
「ベランダに出てみると、地上ははるか下で、飛び降りれば間違いなく死ぬ高さだった。…ベランダの柵に上って立ち上がり、間仕切り壁の向こう側へ片足を伸ばした。この足が柵に届いたら、体全体を隣室側へ運んだ。なんとか隣室のベランダに下りることができた」
脱出と後遺症
ちなみに、その間、ANの失踪を知った夫のKは、来日してANの行方を捜す一方、1998年7月7日付けで米国務長官・オルブライト(当時)に手紙を書いて、米国務省が事件を調査して日本国政府に解決を迫ってくれるように依頼している。
Kのこの行動は、1998年9月15日の米国務省「海外における宗教の自由諮問委員会」におけるAN夫妻の証言、1999年6月の″鳥取〜大阪監禁事件″ の被害者・富澤と、3回にわたって監禁されたKらの陳述に基づく報告書の提出、さらに米国務省『国際宗教自由報告書 1998年版』への記載ヘと発展していく。
ANが両親の隙をついて、「GL ハイツ」202号室から脱出したのは、1998年7月26日朝だった。前日に留め金が外されていた南側のバルコニーに面した窓からベランダに出て、雨樋をつたって地面に降りたので
ある
その時、途中で雨樋が折れて落下、負傷するというアクシデントがあったが、ANは痛みをこらえて命懸けで逃走した。タクシーを使うなどして東京の統一教会施設にまでたどりつき、その日の午後、来日していた夫のKとようやく再会することができた。翌7月27日、ANが都内の病院で診察を受けたところ、左第一腰椎横突起骨折、右大腿部。右臀部打撲、左母指側副靭帯損傷で全治3週間と診断され、また、同年8月20日、都内の精神科医院で診察を受けた結果、強制的監禁による不安感、不眠、自律神経失調症状態が認められ、「外傷後ストレス障害(PTSD)」のためしばらく療養・通院治療が必要と診断された。
偽装脱会を試み3階から飛び降り脱出へ
拉致される際、大勢に囲まれ「とてつもない恐怖心に駆られた」野副牧人さん。
野副さんは、監禁されているこの場所から何としても脱出したいと思い、監禁中の態度を改めると家族の監視が緩み、窓の板も取り外されたと言います。この隙を突き、ある晩、監視の目がなくなったことを確認した野副さんは、3階のベランダから飛び降りることを決意します。
腰に激痛を抱え、林を這って逃げたと言います。
「もし地面がコンクリートで頭の打ち所が悪ければ死ぬかもしれないことも考えました。私は、監禁下で信仰が折れるよりは、ここで落ちて、もし死ぬようなことになっても後悔はない、と覚悟を決めました」
(野副さんの手記より)
バルコニーから飛び降りて重傷
バルコニーから飛び降りて重傷を負った。
雨樋を伝って脱出しようとして落下し、骨折。
電柱に飛び移ろうとしたが失敗し負傷。
いずれも、監禁の閉塞状況から逃れるための「命懸けの行為」として描かれています
窓から飛び降りて後遺症に苦しんだ
「窓から飛び降りて気を失った」
「飛び降りて重傷を負い、その後も後遺症に苦しんだ」
「頭部を打ちつけて命に関わる危険があった」
被害者の直接的な証言が収録されており、監禁空間の恐怖から「死ぬかもしれないが飛び降りるしかなかった」という切迫した心理が描かれています












