
家庭連合信者の夫婦拉致監禁事件(上)拉致方法は北朝鮮とほぼ同じ
11年前の2014年7月、広島市内で世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)信者の40代夫婦(当時)が親族らの手により拘束され、大阪府のマンション一室に閉じ込められる事件が発生した。広島高裁は20年、夫婦を監禁したキリスト教関係者や親族らに約170万円の支払いを命じている。妻の金森百合絵さん(50代、仮名)は世界日報の取材に応じ、当時の状況について語った。
タオルで口をふさがれ、手足を縛り、ワゴン車に
現れた牧師らが脱会説得
幼い子供と引き離し5日間
「最初、何が起きているか分からなかった」
実家に帰省中、拉致監禁された金森さんはそう振り返る。
家庭連合の信者が、脱会屋(職業的ディプログラマー)や一部のキリスト教牧師などから指導を受けた親族により拉致監禁され、棄教や教団からの脱会を強要される事件は、これまで多数発生している。
金森さんが市内の実家に帰省していたのは、14年7月26日午後のことだった。当日は別の用事もあったが、金森さんの母親が同日に帰るよう強く勧めたため、金森さんは母の希望に沿って当時8歳の長女と3歳の長男を連れて帰省。実家には両親のほかに、妹夫婦や母側の叔父夫婦なども来ていた。
夜8時になると、親族に不審な動きが見え始めた。母親が妹と一緒に長女を誘って買い物へと出掛けたが、金森さんは「なぜこんな時間に買い物に行くのか」と不思議に思ったという。後から考えると、金森さんと子供たちを引き離すための方便だった。
その時、金森さんは既に疲れて寝てしまった長男の傍らにいたが、父親から一緒に話そうと誘われ、父親や叔父夫婦、妹の夫である義弟のいる部屋に移動。しばらく会話していたところ、急に後ろから義弟に組み伏せられた。
タオルで口をふさがれ、手足も縛られそうになり、金森さんは棄教目的の「拉致監禁」に遭っていることに気付いて必死に抵抗。いつの間にか義弟の両親もその部屋の中に入ってきていた。
「子供に二度と会えなくなるかもしれない」という恐怖から大声で叫んだが、その間、帰宅していた妹がCDプレーヤーで音楽を流していた。拘束時の騒音が近所に聞こえないよう、あらかじめ準備されていたのだ。
格闘の末、金森さんは手足を縛られただけでなく寝袋に押し込まれ、そのままワゴン車で運ばれた。あたかも北朝鮮による日本人拉致の光景さながらである。そして日付も変わった27日午前1時半ごろ、大阪市内のマンションに到着。その一室には、既に自分の夫も連れてこられていた。
夫は金森さんたちの帰省していた26日午後、危篤の叔父の見舞いに行くため親族と病院に行ったはずだったが、それは夫側の親族の嘘(うそ)で、そのままマンションまで連行されたのだという。
監禁中の金森夫婦のところに、キリスト教神戸真教会(プロテスタント教会)の高澤守牧師(事件後に自殺)と西日本福音ルーテル青谷教会執事の尾島淳義氏が訪問してきた。家庭連合を批判して脱会説得を行ったが、夫婦はハンガーストライキを実施して牧師らの要求を拒否した。
その間も夫婦で情報交換しながら、監禁場所を特定しようと周囲を観察した。金森さんはガスの元栓に「大阪ガス」という文字を見つけ、広島市内から大阪に移動したことを把握。また、親族同士の会話から、マンションの部屋が「501号室」だということも判明した。
携帯電話などの荷物は取り上げられていたので、金森さんは31日午前2時、眠っている親族の携帯電話を使用し、知り合いの信者に宛てて分かる限りでの自分たちの居場所の情報と、警察への通報を求めるメッセージをショートメールで送信。駆け付けた警察官によって夫婦は解放された。
26日夜に拘束され、31日未明に広島へ帰還することができたが、その間子供たちは金森さんの母親や妹が預かっていた。金森さんは「広島に戻った日の夜、妹夫婦が自宅まで連れてきてくれた。子供たちは玄関で私の顔を見るなり、大号泣していた」と話す。
子供たちは「お父さんとお母さんは仕事に行った」と聞かされたようだったが、親と無理やり引き離されたためか、特に長女には悪影響が出ていた。それまで使用したこともない自宅のチェーンロックを毎晩必ずかけるようになり、「夜が怖い」とそれまで一切なかった激しい夜泣きをするようになった。
「子供たちの心を傷つけたことが一番許せない」。金森さんはやるせない思いを吐露した。
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広島の夫婦拉致監禁事件 裁判結果
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