
「縄で縛れ」と親に指示―― ディプログラミングの異常な現場【実態⑥】~小林 健志牧師~
冊子「私は拉致・監禁された!統一教会員の信徒の自由、基本的人権を奪う牧師の実態」(1988年刊行)に記載された、不法な拉致監禁・強制棄教の証言を順次紹介します。プライバシーへの配慮のため一部の固有名詞を仮名に変更したほか、状況説明が執筆当時のままになっている箇所があります。
高橋 美紀さん(仮名 32歳)の証言
高橋 美紀さん(仮名)は、小林 健志牧師らの教唆で拉致監禁されてしまった被害者の1人です。
被害に遭った高橋さんはもちろんですが、牧師の言いなりになった両親・家族も拉致監禁事件を通して、心に傷を残した出来事になったと語っています。
■教会の隣が監禁室! 壁一つ隔てた礼拝堂から賛美歌が聞こえる
1985年、統一教会の教義にふれた私は、86年3月10日で病院を退職し、本格的な統一原理の研修を受けようとしていました。事件は、そのころ起きたのです。
3月6日午前、病院の上司や同僚へのあいさつ、退職の事務処理をした後、検査室で友人と話をしていました。そこへ突然父親が飛び込んできました。見ると手にはロープが握りしめられていました。その後ろには母や弟、伯父の姿もありました。
父は制止しようとする友人の手を払いのけ、私の体をロープで幾重にも縛りました。私は隣接の駐車場に引っ張っていかれ、車の後部座席に押し込められたのです。そこには手錠やタオルまでが用意されていました。車の窓にはスモークが掛けられ、ガムテープで固定されていました。私は精神病院に入れられるのではないか、と恐ろしくてたまりませんでした。
連れて行かれた先は、佐賀県にある日本基督教団、武雄教会(小林健志牧師)に隣接した平屋建ての民家でした。すべての窓は外からしっかり固定されていました。
次の日、小林健志牧師と高木総平牧師(福岡弥生教会牧師)が来ました。今回のことは牧師の指示があったのだろうと思ったので、口を利かないようにしていました。すると牧師は、今日は忙しいのでまた来ると行って帰りました。
翌7日、父は玄関の鍵を新たに付け替え、ガラスにガムテープを貼りました。母は私の体中のアザにシップ薬を塗り、泣きました。
8日の夕方、二人の牧師がやって来て、「私は親子の対話の場を提供しただけです。親が力を振るったことは知りません。そんなことがあったら困るんですよね」と、平然と言うのです。私は「現在のこの状態が暴力ではないですか。話し合いではなくて監禁です。もし、この状態がおかしいと気づかれ、あなたが少なくとも神に仕える身ならば、私を出してください」と訴えました。しかし、私の言うことは全く取り合おうとせず、出て行きました。
9日の日曜日、壁一枚隔てた礼拝堂から賛美歌が聞こえてきました。その隣には私が監禁されているのです。とても恐ろしいことだと思い、神の悲しみを感じました。
父は「おまえたちが牧師先生の言うとおりにしないからいけないのだ」と、私を、そして母までもロープで殴りつけました。
13日午前、先の二人と菅原一夫牧師(日本基督教団、香椎教会牧師)がやって来て、統一教会に対する批判を一方的にまくし立てて出て行きました。私の信仰の火を強引に消そうとする牧師の姿に悲しくなりました。夕方、再びやって来て、いきなり父母に「今日中に出て言ってください」と言ったのです。
母と弟は、私と家族に対する非人間的な牧師の態度に「もう、こんな所は出ます」と怒りながら帰る準備をし、父は唖然としていました。皆それぞれに傷つき、そこを出ることになりました。そうして、私は解放され、自由の身になったのです。
一か月後、私の信仰を認めるようになった父が教会を訪ねて来ました。父は、監禁のすべては、小林牧師の指示であったことを明らかにしました。
今、この時間もだれかが、迫害され苦しんでいると思うとつらくてなりません。
※拉致監禁に関与した「キリスト教牧師」「脱会屋カウンセラー」は197名にのぼります(主なディプログラマー一覧)。さらに弁護士・ジャーナリスト・政治家・学者を含めた、一連の不法拉致監禁行為に関与、支援、利用してきたグループは現在「ディプログラミング・ネットワーク」と呼ばれています。その真相を究明し、社会的に明らかにすることが急務です(参照:宗教学者・大田俊寛氏 インタビュー記事)