
拉致監禁は「人権侵害の最も重い形態」であり、その核心はPTSD問題 ~20年取材した室生忠氏が語る~
拉致監禁問題の「罪悪の核心」は、外的な行為ではなく、被害者の内面を破壊するPTSD(心的外傷後ストレス障害)にあると言えます。この問題を「人権侵害の最も重い形態として国際的に認知させ、解決へと導かねばならない」という固い信念を持つに至ったジャーナリスト・室生忠氏へのインタビューを公開します。拉致監禁問題は単純な信仰の否定で済まされない。その本質は「人間の尊厳性の破壊」行為である。
罪悪の核心にPTSD問題/学術調査し結果を公にせよ
被害者の夫、婚約者も発症/親子問題の掘り下げを /内面的問題扱うメディア/心の問題嫌う官僚組織
拉致監禁被害におけるPTSD問題の重要性
ー拉致批判派と肯定派が拉致問題をめぐって論争する中で、被害者が苦しむPTSD(心的外傷後ストレス障害)の後遺症問題が重要だと思うがどうか。
拉致監禁、強制棄教の被害者がPTSDになり、後遺症を引きずる背景として、拉致監禁・強制棄教に伴う暴力性、アイデンティティの剥奪などの要因とともに、加害者が「親」であるという親子の問題が根底にある。
親、実家というのは親子関係のさまざまな葛藤を抱えながらも、やはり子供にとってはいちばん安心を与えてくれる、原体験の核になる部分であり領域だ。 そこのところが拉致監禁によって崩壊して、アイデンティティそのものが失われていくのは被害者、特に若い信者たちにとっては、非常に厳しい。
その一方で、PTSDや心的外傷は被害者本人、婚約 者、夫、その関係者だけでなく、加害者である両親にも発症している。人権NGO「国境なき人権」の拉致監禁リポートには、「自分を拉致した父親の人格が壊れ、父親は痴呆のようになった」という内容の見逃せない被害者証言が出ている。(第八章二『連載 国際人権NGO「国境なき人権」 レポートの衝撃』参照)
この問題は、どれだけ書いても書き尽くされるということはあり得ない。PTSDの被害というものは、それ 自体大きな包括的テーマになっているからだ。私は、強制棄教の根絶を目指す国際的な訴えの展開では、拉致監禁の行為そのものの違法性、残虐性の問題と並行して、 このPTSD問題を前面に出して、強く主張していくべきだと思う。
国際社会で「罪悪性」を問う回路:外形的な断罪から内面的なPTSDへ
ーなぜ、 そう思われるのか。
現実的に言うと、欧米では、法的な構成要件のレベルつまり外形的判断でディプログラミング (強制棄教)は 既に断罪され、警察・検察、司法レベルで 「ノー!」が出されてほぼ根絶されている。そういう中で、国際社会で「じゃあ、拉致監禁、強制棄教のとどのつまりの一番の罪悪性、罪は何なんだ」と問われるときに、国際社会が体験した第一義的な法的外形の断罪を通過して、初めてこのPTSD問題に行き着くという回路だ。
識者の間に、ディプログラミング被害とPTSDの「実態はこうなんですよ」ということが明らかになれば、国際社会が受ける衝撃は想像して余りある。
人間の内面を崩壊させるPTSDへの国際社会の反応は
ーどういう反響があると思うか。
一般的に言って、国際的な司法や社会の物の考え方の現状は、人間の内面を傷つけるとか、内面を崩壊させるという部分についての反応が、極めてビビッドだ。 アイデンティティが崩壊させられ、後遺症が長く続き、しかも親子関係を大きく損なわれていくなど、PTSDが人間の内面に及ぼす影響が甚大なことが明らかになれば、 国際社会は必ず「ノー!」という反応を示すはずだ。
国内の阻害要因を突き崩す可能性
ー国内的にも、それに沿うような形で、対応を検討すべき必要があるか。
拉致監禁、強制棄教の根絶を阻害している要因はいくつかあるが、メディア、検察・警察、それといつまでたっても「ノー」を明確に言わない司法、この三つが中心になっている。しかしPTSDの問題を取り上げることで、 その阻害の壁を突き崩していける可能性がある。
現在のメディアは、人間の内面的崩壊の問題とか、人間の内で起きている被害の問題にビビッドに反応するようになっている。拉致監禁問題については、メディアの抵抗がいちばん手ごわいと思われたし、実際、そういう時代が長く続いてきた。しかし、PTSD的な世界を問題提起された時に最も早く崩れるのはメディアではないか。
それに対して、検察・警察などの官僚体制は人間の心の問題をいちばん嫌い、それを行政に反映させることを嫌がる。官僚たちの国会答弁を聞いているとよく分かるが、彼らは内面問題の影響に触れることを避けて、あくまでも外形的な部分で折り合いをつけようとする。
司法の場合は微妙だ。現代の司法は極力、被害者の感情や内面的な被害までを考慮して、判断しなければならない状況に置かれている。それらを審理を左右する要素として排除することはできなくなり、時代とともに、その傾向はますます強くなっている。
既に、刑事裁判には事実上の陪審員制度が導入されており、これには明らかに、市民感覚を重視していこうという考えが反映されている。司法もまたPTSD被害反対的な世界観をぶつけていくことによって、価値判断が 変わってくる可能性がある。
PTSDは社会的にも大問題/被害者は話すことが大事 /国際的にも説得が可能
PTSDに対する社会的な理解の深化
ーPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、ベトナム戦争の戦場から帰った米国兵士たちの間で起こってきた問題であり、日本では阪神淡路大震災、東日本大震災で被災者の救助に携わる警官、消防士のうちに発症している。そのため、この問題が一般的にもクロー ズアップされ、理解が進んできている。
まさにその通りだ。外国、特に米国で、PTSDやそれに近い領域についての理解がどんどん深まって、重視 されている。ベトナム戦争の帰還兵たちの内的な崩壊が あり、それが単に個々人の内部の問題にとどまらず、社会の中で、殺人や凶悪犯罪という暴走行為とつながって現れている。PTSDなど精神的ダメージの影響とその理解が社会に広がっているわけだ。 だからこそ、この部分に着目した専門的な研究の要請が高まってきている。
PTSDは通常の犯罪によっても生じるし、特に、虐待によって起こる。そうすると、単に、事件の概要や外形的な部分を追究して、それを解明するだけでは、個々の事件の全容を見極めることが難しいという認識が報道の側にも生まれてくる。 その場合、人間の心の中の要素を自覚的に加味したり、あるいはそれを中心に据えて考え、事件を解明し報道するという方向にならざるを得ない。
日本の司法も内面的な被害状況を考慮し始めている。 先日、最高裁判所は、東京都内のマンションなどに女性4人を次々に監禁して、監禁傷害などの罪に問われた被告について、「PTSDも傷害罪に当たる」と初めての判断を示した。
ディプログラミング (強制棄教)に関しても、我々がしなくてはいけないのも、こういう方向の取り組み方だろう。今回の最高裁の判断が、拉致監禁問題の訴訟に影 響を与えていく可能性もある。
被害者にとって「話すこと」が持つ解放の意味
ー拉致監禁被害者のIさんらが、PTSD問題について 『世界日報』の取材に応じてくれている。 また被害者の中でも脱会した人たち、あるいは脱会したが強制棄教をよしとする人たちには与していない、そのために一面では孤立した立場にある人たちの一人である宿谷麻子(下記画像)さんも取材に応じてくれている。 室生先生の今までの経験から、このような被害を受けた人たちに対してアドバイスがあるか。
既に統一教会を脱会して、教団に対して厳しい見方をしている人々もPTSD問題について、統一教会系の『世界日報』の取材に応じているというのは、逆に言うと、 元信者の人々が持つPTSDの苦しみがいかに大きく、その体験がどれほど過酷なものだったかということだ。 PTSDというものを正面からとらえ、その実態をきちんと書いてくれ、報道してくれるメディアであれば、統一教会系であろうが、 どこであろうが、話す、話させてしまうという、それほどの世界なのだ。
素人がアドバイスというのは難しいが、基本的に、被害者の人は「話すこと」が大切だということだ。 「話すこと」は被害体験を思い出す、追体験するということで、 フラッシュバックを引き起しかねない、本人にとっては過酷なことだが、たくさんの被害者が取材に応じることで、心が解放されている。話せたということで解放された。なんとかして自分の受けた苦しみ、悲しみというも のを吐き出して共感を得る、それが基本なのだろうと感じている。
教団に求められる、語れないPTSD被害者への対処
ーなるほど。
被害者たちは、信仰仲間にはなかなか語りだせないでいる。信仰が原因で受けたダメージだから、信仰仲間に語れば、フラッシュバックやその他のダメージが誘発されやすい。また偽装脱会で解放されたという場合でも、脱会は脱会であり、自分の体験を信仰集団の中で話すと、信仰的な価値で見られてマイナス的に評価されてしまうという思いが被害者にあって、しかもそれが負い目になっている。
拉致監禁から解放され、戻ってきた被害者たちが癒やされ、快復の甚盤をつくるのに、教団としてどう対応すればいいのかということを真剣に考えるべきだ。これまで教団は、被害者たちの実態についてもあまり調べてこなかった。
だが、1960年代以降3,000人余りの強制棄教の被害者がいる中で、話したくても話せていない人がおそらく何百、何千人もいるはずだ。その人々は他人に語れないまま、いまもなおPTSDで苦しんでいる可能性が高い。話してしまい、本気で公にしている被害者よりも、医者にも信仰仲間にも話せないでPTSDを発症して苦しんでいる人のほうが多いだろう。
そういう人たちのことを教団は考え、貢任をもって対処していく必要がある。被害の実態をどう把握し、いまだに口に出せない人たちのPTSDをどのように癒やし、公にしていくかを研究すべきだ。
国際的な説得力を得るための「専門的な学術調査」
ーそのためにはどうすればいいか。
この問題で専門的な学術調査を行い、その調査結果を公にすることだ。さらに問題点を明らかにするには、学問的、臨床的、専門的な立場でPTSDの調査が実施される。そして、その調査結果が学会や専門家の世界で発表されて、オフィシャルなものとして広く認知されていく。拉致監禁・強制菜教に伴うPTSDというものがあって、これほど重要なものはないんだということの認識が、医者や学者たちの専門的な世界で深められていくことが大事だ。
そのことはまともな臨床現場の人であれば、すぐに理解されることだ。実際、そういった一部の理解ある臨床の専門家たちの存在が明らかになっている。彼らこそノーマルだ。
日本でも、学術的な専門家による拉致監禁の心理的な被害に関する調査が開始される、その流れにあるということを指摘しておきたい。専門的な領域、臨床の現場で、そういう知見が菩積されていくというのは、大変大きな力になる。
国際的な訴えを打開する新しい切り口
ー海外への働きかけについてはどうか。
PTSD問題についての国際的な訴えと周知を意識的に固ることだ。はっきり言うと、客観的に見て、今の拉致監禁、強制棄教についての国際的な訴えは手詰まり状態ではないか。いくら攻めても、いくら世界の識者に訴えても、反対派は拉致監禁はなかった、虚構だということで突っぱねているわけで、それを、あったじゃないかと押し問答を続けるのではなく、新しい切り口、新しい回路で攻めることがどうしても必要だ。その時にPTSD問題が大きな切り口になってくるということだ。
そのためにも専門家による客観的調査が不可欠になる。素人がいくらPTSDだ、被害が甚大だと主張しても限界がある。学術的な調査によってこういった事実が証明されていますよ、こういうデータがありますよという説明や主張があって、初めて国際的にも説得力があるし、注目もされる。そういう学術調査リポートが出ると、大変な衝撃になると思う。
この記事は日刊紙『世界日報』の長期連載「拉致監禁の連鎖」の番外編として、2012年7月23日号(上)、同30日号(下)に2回にわたって掲載されたもののなかから、PTSD問題に関連した部分をひとつにまとめたもので、日本宗教の闇より抜粋したものです。













