信者が拉致・監禁され、ディプログラマーから暴力的な強制棄教を迫られる胸痛む人権侵害

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『また会おうね』の直後に ― 27歳で経たれた若き女性の未来

拉致監禁・強制棄教の被害に遭い27歳という若さで亡くなったHTさんの事件を『日本収容列島(梶栗玄太郎編)』を抜粋しながらご紹介していきます。

27歳で絶たれた若き女性の未来

HTさんは1970年愛媛県に生まれました。短大で福祉を学び、将来は養護学校の先生を目指していました。明るく朗らかで、人の話を熱心に聞き、子どもが大好き。周囲から「笑顔を絶やさない人」と慕われていたそうです。

やがて統一教会の信仰と出会い、1995年には韓国の青年と合同結婚式で祝福を受けます。幸せな新婚生活は、まさに人生の新しい門出でした。

中央がHTさん

京都での監禁と突然の死

しかし、帰省したTさんに悲劇が訪れます。

京都市内のマンションで監禁され、トイレで自殺を図り、西陣病院で死亡した。享年27歳でした。
信仰を守りたい思いと、家族に理解してほしい願い。その狭間で彼女は苦しみ命を絶ちました。

Tさんが行方不明になり命を絶つまでの間、夫は懸命に妻であるTさんを探しますが、Tさんの家族は何も話してくれず、韓国領事館でも領事館の管轄外と言われ、警察に相談してもつれない返事しか返ってこなかったと言います。
遺体安置所でTさんと対面できたのは亡くなってから5日後。「妻がなぜこのようなことになったのか」と泣き崩れました。

 

霊の親の自責の声

 

霊の親であるIさんの元に「HTさんの葬式が14日に行われた」と訃報が届き、遺影を目の前に胸が張り裂けるような思いだったと言う。
表向きは脳梗塞で亡くなったと言われていたが、のちに自殺したということがわかります。

Tさんは帰国した際、I夫妻のもとを訪ね、笑顔で「また会おうね」と別れた直後に実家へ戻り、そこで監禁され、命を絶ちました。あまりに突然の別れでした。

彼女はインタビューでこう語っています。

「考えてもみてください。彼女は帰国して、私たち夫婦を訪ねてきて、一緒に楽しく語り合い、そして『また会おうね』と言って笑いながら別れたのです。でも、その直後、実家に戻った彼女は拉致監禁され、監禁場所で自殺してしまいました。彼女を助けてあげられなかった……。思い出すたびに沈み込み、幾度も幾度も泣きました。子どもがケガをすれば母親が自分を責めるものですが、自分も同じでした。悲しんで悲しんでばかりいました」

『日本収容列島(梶栗玄太郎編)』より抜粋

Iさんは何度も号泣しました。自分の心身を削るほどの深い悲しみを抱え、13年が過ぎてもなお、その苦しみから解放されることはありません。

一方で、両親は「親としてやるべきことをした、後悔はない」と語ったと記録されています。愛するはずの家族と娘の命のはざまで、残酷な断絶が横たわっていたことがわかります。

 

船田武雄牧師の拉致監禁・強制棄教の関与

 

さらに背後には、反対派牧師の影がありました。
監禁・説得に関わったとされるのは、日本イエス・キリスト教団の船田武雄牧師であったという。
船田牧師は取材に対しては次のように答えています。

船田牧師はこの件について、「回答するつもりはない。」と答えた。
『日本収容列島(梶栗玄太郎編)』より抜粋

この一言が、事件の責任を誰も取らない構造を象徴しているように思えてなりません。

 

社会に突きつけられた問い

 

HTさんの27年という短い人生は、単なる「親子の問題」に矮小化できるものではありません。監禁という違法な手段を用いながら、それを「保護」「話し合い」と言い換えて正当化した牧師や周囲の人々。そして、それを黙認してきた社会。

彼女の死は、強制棄教説得が命を奪った痛ましい事件であり、信教の自由と人権をどう守るかという問いを、今も私たちに突きつけています。

この内容は『日本収容所列島』梶栗玄太郎編から抜粋しまとめたものとなります。
同本にはHTさんの夫や霊の親であるIさんのことなどが掲載されています。是非ご覧ください。

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