
🗞️不当な監禁~24時間監視の収容所の実態とは~【森山諭牧師、宮村峻氏】
以下の内容は当時新聞に掲載された「犯された信教の自由 ■ら致・監禁を強行する牧師・神父たち」をテキスト化したものです。
是非ご覧ください。
強制改宗に使用する場所5つの条件とは
東京にある荻窪栄光教会(日本イエス・キリスト教団)の森山諭牧師によって、「ら致(逮捕)監禁」の被害を受けた女性統一教会員によると、強制改宗に使用する場所には次の5つの条件がある。
①飛び降りて逃げられない3階以上のマンション
②叫んでも周囲に聞こえないよう防音装置がしてあること
③メモや手紙を投げたりできないよう窓が少ないこと
④立てこもったりできないようトイレの鍵(かぎ)は壊してあること
⑥本人を安心させるため実家の家具や食器類を備えておくこと
である。
この条件は本紙取材班が集めた37人の証言の中で多少の違いはあるものの、「逃げられない」「叫んでも周囲に聞こえない」「外部に連絡できない」などの点においてはまったく共通していた。

それは、たとえば「山奥のペンション」(長野県)、「鉄格子のはまったアパート」(北海道)、「1日1便の船しかない孤島の旅館」(兵庫県)、「田舎の別荘」(佐賀県)であったりする。
そのほか自宅、親せきの家という例もあったが、その場合も必ず部屋には外から鍵がかけられ、家族が24時間態勢で見張りをしている。
最近の例ではホテル、旅館を転々とする例もあった。
牧師たちが「親との話し合いの場所を提供しただけ」と口をそろえて言うその場所とは、実にこのような条件がそろった「場所」なのであり、こうした環境の中で、牧師たちの「説得」が連日連夜行われているのだ。

※この画像は拉致され2年間もの間、監禁の被害に遭った医師である小出浩久氏が実際に監禁されていた山荘
小林健志牧師により1週間監禁された女性の証言
佐賀県の日本基督教団武雄教会の小林健志牧師によって1週間監禁状態に置かれた林加代さん(仮名、30歳)が、同牧師に対して「今、私が暴力を受けていることをわかりませんか。一歩も外に出られない。窓という窓に外側からストッパーが掛けられている。ただ、私はここでごはんを食べさせてもらっているだけです。本当に神様のお仕事をされているんだったら、こんなこと見ておれないでしょう」と、訴えたのも無理からぬことだ。
森山諭牧師によって拉致・監禁された大学生の証言
東京大学2年の田中新一君(仮名、22歳)も、牧師によって「ら致・監禁」された被害者の一人。
牧師はやはり森山諭氏だ。
昨年7月19日午後、母親に「親せきの家に行こう」と誘われ、車で行った先が森山牧師の荻窪栄光教会だった。そこで2、30人の同教会のメンバーに取り囲まれ、そこから歩いて3~4分の「西央マンション」の301号室に監禁された。
そこで父、母、弟、それに森山牧師の教会員ら反対グループ十数人によって24時間監視された生活が1週間も続いた。

部屋中の窓の鍵には針金が幾重にも巻かれていた。また窓には外から見えないように障子紙のようなものが張られ、おまけに、板でしっかりと固定されていた。さらに2DKの部屋の玄関には長いすがドンと据えて、「常時、だれかが座り見張をしていた」(田中君)という。
そこへ、森山牧師とその片腕である宮村峻氏が朝、夕交互に訪れ、統一教会批判を1週間、繰り返した。
宮村峻氏の激しいののしりと脅迫
特に、宮村氏の言葉は汚く、統一教会を信仰していることに対して「お前はバカだ。どこの東大だ。港の灯台か」と激しくののしった上、「お前の両親が納得するまでここから出す訳にいかない。一日で終わる場合もあるし、1ヵ月、あるいは1年かかるかもしれない。あくまでもお前次第だ」と、脅迫までしているのだ。
この行為は刑法第220条「逮捕・監禁罪」に抵触するばかりか、憲法第20条の「信仰の自由」を踏みにじる行為であることは明白だ。
これについて宮村氏は本紙記者の取材に対し、「私は頼まれてやっているだけだ。頼んだ方に聞いてくれ」と逃げるばかりだった。
不当に監禁されていた田中君は、「僕が統一原理(統一教会の教理)を学ぶようになったのは自分の意思であり、だれにも強要されたことはない。しかし、森山牧師のやり方は強要以外の何ものでもない」と怒りを込めて語った。
そして一番苦しかったことは、すでに脱会させられた人たちが数人、以前はしていなかったタバコを吸い、酒を飲み、そして、自分が統一教会の弁護をするのを見て、嘲笑していたことです」と付け加えた。

40日以上監禁生活を強いられる例もある
被害者たちの証言によると、このような監禁生活は普通1週間ぐらい。長い場合40日間から2ヵ月も強いられる。
もちろん、その間の家賃、宿泊費は親が一切支払う。
そこで強制改宗牧師たちが使う巧妙な方法は、改宗する度合いに応じて徐々に自由を与えることだ。
たとえば、初め反抗的態度をとっていたのが、批判の書物に目を通したり、牧師の話にうなずくような素振りを見せると、「監視付きの散歩」「監視付きの礼拝参加」が許されるようになるといった具合だ。
しかし、逆に反抗的態度を取り続けるとロープや鎖が用意されるなど監禁の度合いは厳しくなる。
まさに、思想改造の「収容所」そのものである。こんな行為が、この法治国家日本の中で白昼堂々と、しかも聖職者たる牧師・神父らの指導の下に行われているのである。















