4300人の信者が「拉致監禁」され、強制棄教の恐怖と闘った 余りに過酷な現実

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久留米ヶ丘病院 監禁脱会強要事件 鉄格子の精神病棟に87日間、強制入院

鉄格子の精神病棟に87日間、強制入院

 

美馬 秀夫氏
●1972年 慶應義塾大学商学部卒業、このころ、信仰の道に出会う。 1979年、親族らによって精神病院に強制入院させられ、棄教を迫られた被害者。
●拉致・監禁を主導した反対活動家の後藤富五郎と久留米ヶ丘病院の落良江院長に対する裁判で勝訴。
●統一地方選挙で徳島市議に当選(2024年現在7期目)、2006年度第75代徳島市議会副議長を務める

 

知人との食事中、家族が現れ手錠をかけられ麻酔薬を注射を打たれる

 

1979年12月、当時27歳の美馬秀夫氏は徳島市の実家から会社勤めをしていた。

母の知人から食事に誘われて行ったところ、突然、家族が現れ、手錠をかけられると同時に麻酔薬の注射を打たれ(美馬氏の弟は脳外科医)、意識を失った。

気がつくと、美馬氏は中央道を走る車中にあり、到着したのは都内にある久留米ヶ丘病院(落 良江院長)だった。

当時の久留米ヶ丘病院

 

精神病棟への強制入院

 

精神病院の鉄格子

美馬氏は、鉄格子のある精神病棟に強制的に入院させられ、毎日、注射を打たれ、安定剤などの薬の服用を強要された。

薬をちゃんと飲み込んだか、医師と看護師により口内の検査まで受けた。

嫌がる美馬氏に毎日薬が投与された

精神病院で使われた薬は精神安定剤など副作用のもつ強力な劇薬であった

美馬氏が入所した時には、美馬氏の他、すでに統一教会信者3名が強制入院させられていた。
精神病院は、院長の許可がなければ退院できない。

美馬氏はこのとき、「この精神病院で一生過ごすことになるのでは」との絶望感に襲われた。

 

首謀者の登場

 

この事件は、落院長らが後藤富五郎氏(全国原理被害者更正会会長)と事前に打ち合わせ、家族を巻き込み、計画的に美馬氏を拉致、監禁したことが明らかになっている。

後藤氏は、たびたび病棟に現れ、美馬氏に対し、時に罵声を浴びせながら棄教を迫った。

後藤富五郎氏(「全国原理被害者更正会」会長)

人身保護請求裁判で釈放判決 1980年2月22日、教会側が東京高等裁判所に人身保護救済を請求。

これを受け、東京高裁は3月4日、美馬氏の釈放を命じる判決を下し、美馬氏は87日ぶりに解放された。

1980年3月5日付の毎日新聞は、「統一教会入信の息子を強制入院」「精神障害なし」「両親は釈放を!」との見出しで東京高裁の判決を大々的に報じた。

同日付の世界日報は「恐怖の〝思想改造〟」と報じた。

 

民事裁判で勝訴

 

その後、久留米ヶ丘病院に強制入院させられた美馬氏ほか教会員2名は、落良江院長に損害賠償を求めて民事提訴。

東京地裁は1986年2月、落院長に総額250万円の支払いを命じ、美馬氏らが勝訴した。

 

後遺症に苦しむ

 

大量の薬投与は、嘔吐、手の震え、頭痛などの後遺症を引き起こした

精神病院からの解放後、美馬氏は衰弱していた体調を整えるために都内の病院に1週間入院。

しかし、退院後も大量の薬物投与による副作用で、嘔吐、手の震え、頭痛などの後遺症に苦しんだ。

 

監禁脱会強要は精神病院からマンションへ

 

美馬氏の両親は、脱会強要に携わった者たちに「随分とカネを支払わされた」と小言を言うこともあった。

美馬氏らの勝訴判決が出て以降、精神病院での監禁脱会強要は下火となっていった。

しかし、その後は監禁場所が特定されないようにマンションなどを利用する拉致監禁、脱会強要が横行するようになり、被害者が急増していった。

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