4300人の信者が「拉致監禁」され、強制棄教の恐怖と闘った 余りに過酷な現実

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拉致体験者の手記:喧嘩もしたことのない平凡な家庭だったのに

両親・親族による拉致、そして家族の葛藤

喧嘩もした事のない平凡な家庭だったのに

一連の脱会説得を背後で指示していたのは、TV局から紹介された〇〇でした

※この文章は、拉致被害者(女性)がXで綴った手記を、編集部で見出し等をつけたものです。
Xアカウント 「光と風」さん

 

夫と結婚直後に空港での拉致、両腕つかまれ逃げられず

 

私は1997年に米国で行われた4000万双国際合同祝福結婚式に参加して現在の夫と結婚しました。

米国から帰ってきた空港で、待ち構えていた家族と親族に荷物を奪われ、両腕をそれぞれ掴まれ逃げられない状態で抵抗もできずに準備していた車に乗せられました。

それは本当にそれぞれの役割分担がきちんと呑み込めていて、事前に練習でもしていたかのように短時間であっという間の事でした。私の両脇を固めたのは母と叔母でした。

空港出口で母と叔母がすぐに私を連れ出しましたが、その周りに兄や従兄弟、叔父も見張り役なのか? 何かあった時の助っ人役なのか? 待機していました。出迎えに来てくれていた青年部長も慌てて何か声をかけに来てくれましたが、叔父が何か言って対応している間に私は車に乗せられました。

私は家族らに出迎えは頼んでいなかったし、大きなスーツケースも一瞬で奪われ私の意に反して無理矢理空港を連れ出されたのだから、これは拉致です。しかし家族と親族に突如されたことで騒ぐ事はできませんでした。あの時もし、「助けてー !!」と騒ぎ立てていたらどうなったのだろうかと思います。

 

築きあげた大切な環境が壊され、今でも涙が出ます

私がこの拉致監禁(軟禁)に遭う前の状況を説明しておきます。

私は親とは別々の家に住んでいて、普段は一般企業で働いていました。私は家庭連合の結婚式に参加したいという事を数ヶ月前に両親に伝えたら、納得できないので説明しに来いと言われ、仕事帰りと休みの日も熱心に親元に通いました。私の誠意はいつかは両親に通じるだろうと信じていました。

しかし父との話し合いをいくら重ねても全然聞く耳を持ってはくれませんでした。「お前が通っている教会はカルトだ」「お前はマインドコントロールされているのだ」の一点張り。私は同じ信仰を持ち同じ価値観の人と結婚したいんだと言っても、「意味がわからん」と言われ、いつも平行線でした。

ある時、友人から電話が来ました。私の両親から娘の合同結婚式参加をやめるように頼まれたらしく、友人は複雑そうでした。友人は私が家庭連合の信者である事は全く知らなかったので、きっと驚いた事でしょう。そして両親のやった事に対して、なんて事をしてくれるんだ!と憤りを感じました。

職場の社長から呼び出しを食らい、仕事あがりに本部に会いに行くと、私が家庭連合信者であると両親から聞いた、家庭連合の合同結婚式に参加する事を考え直してはどうかと説教された事もあります。自分が大切にしている信仰について社長からなぜ言及されなければならないのか納得いきませんでした。

その後も職場の常務に昼休みに呼び出され、同じような説教。また別な日には可愛がってくれていた社長夫人からも仕事合間に一言二言言われました。「またか…」と正直思いました。両親からそうやって私の作った環境を一つ一つ破壊されていくように感じました。

職場で受けた内容を今振り返っていたら我知らず涙が出てきました。悔しかった思い、残念だった思いなどが蘇ったようです。あの頃は両親があれこれ騒ぎ立てる為に、私は仕事どころではなく毎日生きた心地がしませんでした。ストレスで身体も痩せてきました。

 

 

両親が私の信仰と結婚に反対、その葛藤のなかで

 

親類も休みの日には説得に来たりもしました。私は自分の信仰ゆえに沢山の人を巻き込み大騒ぎになってしまっていることと、両親からの強い反対がとても苦しくなって「やっぱり結婚式に参加するのはもうやめることにした」と言いました。言わざるを得なかったのです。

すると、両親はとても安堵したように「そうか、じゃあもう話し合いはもう終わりにしよう」と束縛を解いてくれたような瞬間でした。これで私もやっと普通の生活に戻れると感じました。

それでも心の中は、祝福結婚式に参加したい気持ちは何一つ変わっていませんでした。前々から会社にも有給休暇申請済みだったし、親の気が緩んでいる僅かな数日で準備を整え、当日飛行機出発前に両親に電話でやはり行ってくると伝え、米国に出発しました。そして帰国後、空港で拉致されたのでした。

拉致され乗せられた車の運転席には父が座っていました。皆、普段と違う堅い表情で様子がおかしい。家族親族揃って私にいったい何をしようとしているのかという恐怖と、された事への憤りと戸惑いが入り混じっていました。そのまま両親の住む家に到着したので、「なんだ…」と胸をなでおろしました。

ちなみに車の後部座席に私が乗せられ、母と叔母が両脇に座って…これも逃げられないように打ち合わせされていたのかもしれません。家に上がってからは、居間で私と両親・兄・叔母とで話をしました。最初は叔母が差し障りのない話をしてくれたように思います。昔の事なので詳しくは思い出せませんが。

 

「仕事をやめろ」と理不尽な指示、そして脱会説得はじまる

 

その後父の話が始まりました。「お前は親に嘘をつくほど統一教会に洗脳されて変わってしまった。私はあと少し働いたら晴れて定年退職を迎えるが、そんな事よりも仕事を辞めてでも『親子の話し合い』をしようと思う。だからお前も仕事を辞めなさい。」あまりにも突然で一方的な話でした。

父は、普段から家庭内では厳格でワンマンなところがありました。そんな父と今までぶつかる事は無かったのですが、さすがに納得いかなかったので「急に仕事辞めるなんてできないよ!せめて今月いっぱいは働かせて欲しい!」と咄嗟に言い返すと、しばらく考えてから父は「わかった」と言いました。

しかし今考えてみると、なんで親子の話し合いの為に両者が仕事を辞めないといけないのかと感じます。仕事を続けながらでも親子で話をする事は可能なはず…おかしいですよね。あの時、親の方こそ判断力が狂ってしまっていたと思います。

そこから私は両親のほぼ監視下で過ごす生活になってしまいました。両親の家で寝泊まりをし、朝は父が車で職場まで送迎、仕事が終わると職場のすぐ近くに待機している父の車で帰宅、お風呂と夕飯が済むと父との『話し合い』が遅くまでありました。休日は丸一日家にいました。時々親戚が説得に来ました。

教会に行くこともできず、携帯電話のない時代なので教会に電話することもできなくなりました。もちろん夫とも連絡できない環境になってしまいました。完全に閉じ込められていた訳ではありませんでしたが、心理的には外とは完全にシャットアウトされてしまったような心境でした。

 

喧嘩もした事のない家庭だったのに、憎みあいたくないのに

 

ただ、家の中で2階の一部屋だけが「聖域」でした。そこで私は夜休んだり、多少は一人で過ごす事が許されました。この部屋があったお陰で、乱された心を落ち着かせる事ができました。両親に抗議する為、話し合いをせず部屋に籠もった事もあります。

父は私に「これを読め」と様々な本や、本の一部コピーを渡してきました。それらは全て『反教会側』の資料でした。父はこれを全て読んだのだろう。だから私に必死になって、目を覚ませと救いたい気持ちになってしまったのだろう。資料は一人で図書館で全部調べたと言っていたが、疑わしかった。

28年前。あの時毎日毎日、親子でどんな会話を重ねたのだろう。テーブルを挟んで父「お前は間違っている」「カルト宗教に洗脳されている」「マインドコントロールされている」「心が弱いから宗教に走るのだ」「この親より文鮮明の方が真の親なのか!?」など…

ある日、話し合いにならないので居間から出て行こうとした時、母が感情的になって後ろから走ってきて、出て行きたい私と揉み合いになったりもしました。喧嘩もした事のない平凡だった家族が、いつしか互いに憎しみ合うような関係に変わってしまいました。

「親子での話し合い」とは言うものの、娘の話に対して全く譲歩の姿勢はなく、束縛状態で否定と押し付けばかりの親の態度にストレスが溜まっていたので、怒りを表すのに父の前でテーブルを強く叩きました。その態度に両親は驚き「今までそんな事をした事がないのに娘は洗脳され変わってしまった」とまで言っていました。

 

 

唯一、中立の立場で接してくれた叔父の存在

 

休みの日、A家の叔父(拉致現場にいた)、B家の叔母が別々に来ました。叔母は教会を辞めたという息子まで連れて来ました。その息子は「教会の教えはいい事言ってると思ったが自分は合わないと思ったから辞めた」と話しました。

A家の叔父は中立の立場で唯一話をしてくれる方だったので、私の部屋に入れてじっくり話をする事もありました。叔父は、親身になって「両親に祝福してもらえる結婚になるように時間をかけて誠意を見せるべきだ」と忠告してくれました。

 

私の信仰と結婚を両親に喜んでもらいたかった

 

頼みもしないのに、父に職場まで送迎される事も嫌でした。ある朝、父の車に乗るのを拒否し「もういい、歩いて行くから!」と歩き出しました。父は足が不自由なので無理ですが、気付いたら母が離れた距離でずっと尾行してきたので驚きました。腹が立って走って振り切りました。

明けても暮れても教会や私の批判ばかりされて、誰も助けてはくれない孤独な闘いに精神的に参ってきました。信仰者として私は未熟でした。両親を愛そうだなんてとても思えず、なんて酷い親だ!としか思えませんでした。そして、両親に祝福してもらえない結婚をした事も悲しく気弱になっていきました。

こんな大ごとにまでなりながら自分の信仰や結婚を押し通す事は本当に正しいのか。私のワガママなのではないか。私が一旦結婚も信仰もやめて、一からやり直して両親にも受け入れてもらえるまで私が努力していかないといけないのではないかと考えたりもしました。

私が信仰する事を両親に喜んでもらえたら良かったのに。世界平和目指していい事をやっているはずが、全く理解されず、家族間に悲しみ、苦しみ、憎しみを生み出し、世間体を気にする親から蔑視される始末…

 

従姉がくれたチャンス、教会の先輩に一本の電話

 

そんなどん底の心境の時にA家の叔父が外に連れ出してくれ、私の兄と従姉(いとこ)と3人での食事の場を持ってくれました。楽しむ気持ちになれませんでしたが、二次会でも行きなさいと、その後従姉と2人きりになりました。いろいろ話した後で「誰かに電話したいんじゃないの?」とチャンスをくれました。

私は、韓国に住んでいる霊の親の親(信仰の家系でいう呼び方。導きの親は既に教会から離れてしまっていたので親代りの立場の方)に公衆電話から電話しました。今の心境を吐露したら、「神様の苦労を考えなさい。最悪、家を出る事を考えたら」と言われ、冷水をかけられたように背筋が正される思いになりました。

その後、遠い所から現在の夫が我が家まで来てくれたのです。インターホン越しに父が「これは私と娘の『親子問題』であって、貴方には一切関係ありません、お帰りください。」と言っているのが聞こえました。私は気持ちが弱っていたので、何もできず耳をそばだてているしかできませんでした。

私は自分の部屋で一人怒っていました。夫がはるばる両親に会いに来たのに向き合おうともせず門前払いとは。これ以上親子の話し合いはもうできないと思い、一晩寝ずにじっくり考えて、家を出る決意をしました。

 

 

深夜に2階からシーツを使い外へ脱出

 

失いそうになって初めて、自分の中でこんなにも信仰が大切な存在となっていたのかと知りました。一旦は家族を、仕事も捨てるしかない。そして自分の部屋から脱出するしか方法はないと私の中では思い込む程にギリギリの心境だったと思います。玄関から逃げる発想にはならなかったのです。

シーツを裂き繋いだ物を窓の安全柵に結び、下りる事にしました。柵を越える時の高さの恐怖より自由になりたい一心でした。下りる途中、重さで手がなぜか離れて地上にドサッと落ちました。1階奥で寝ている両親にバレる恐怖を感じて、一目散で逃げ出しました。

2階の自分の部屋には祝福式で履いたハイヒールのパンプスしかなかったので、それを履いて走っていたら踵が折れたので、靴を脱いで靴下の状態で走りました。午前4時頃、暗くてひとけのない道を靴も履かずに全速力で走っている姿…さぞかし怪しかったろうと思います。

 

やっと手に入れた安全の確保

 

追ってこないのを確認して公衆電話から教会の青年部長に電話し、迎えに来てくれるまで建物の陰に隠れて待っていました。しばらくして青年部長が来てくれ、車に乗ってやっと安全を確保できました。そしてそのまま教会スタッフの寮に連れて行ってもらいました。玄関で出迎えてくれた姉妹達の顔を見てやっとホッとしました。履いていた白い靴下は、雪解けでぬかるみになった道を走ったせいで泥だらけでした。冷たくなった足をしばらく足湯させてもらいました。

そのまま眠らずに朝を迎えました。ちょうど同じ寮に宿泊させてもらっていた夫が起きてきて、私がいるのでポカンとしていました。気付くと胃痛が酷く薬を購入、片足首が腫れて痛むので病院へ。捻挫していました。数日間寮で療養しました。

 

お互いわだかまりを残しつつも両親に結婚の挨拶へ

 

この後、再度拉致されないように他府県に住居を変え、名前も変えて転々としながら生活しました。その間8ケ月くらいです。時々実家に電話をして、居場所は教えず「元気にやっています」と声だけは聞かせていました。

振り返るとあの時、何も無ければ退職まで2日ほどまだ仕事するはずでしたが、突然の夫訪問で流れが変わり、押し出されるように家を出て献身者のような生活をせざるを得なくなりました。

両親から帰って来て欲しいと懇願され、検討した後、教会に来てもらって親子で再会しました。間に教会長さんに入ってもらい、地元に戻る条件として私が教会で献身者として働く事を受け入れてもらう事を約束してもらって、また故郷で本名で堂々と生活できるようになりました。

地元に帰る事ができたので、時々両親の所に会いに行って交流を重ねました。私は拉致軟禁された心の傷があったので、両親に対してはなかなか受け入れ難い気持ちがあり、両親は私に対して教会を辞めて欲しい気持ちはずっと変わっていないので悪口を言われました。和解への道は簡単ではなかったです。

そのような生活を2年経て、まだまだ互いにわだかまりや様々な感情は残っていましたが、両親に挨拶も済ませ、私は夫と家庭出発する為に故郷を出発しました。

 

 

孫の誕生そして両親の変化

 

夫と家庭生活を始めて2年目、最初の子供を妊娠した時、電話で母は喜んで「里帰り出産をしなさい」と言ってくれました。実家に帰省しお世話になるのは感謝でしたが、両親は出産間近な私に向かって時々恨みをぶつけてくるのです。辛くなって発狂しそうな感情になったりしました。

それでも初孫が生まれ、両親はとても喜んで可愛がってくれました。新居に両親が遊びに来たりもしました。里帰り出産は2人目の出産の時もお世話になりました。その間、孫達と触れ合う中に両親は少しずつ変わっていきました。私も少しずつ安心感を持てるようになっていきました。

 

叔父叔母が教えてくれた”両親と脱会屋牧師”とのつながり

 

A家の叔父叔母には、あの時は本当に迷惑をかけてしまい申し訳なく、里帰りする度に挨拶に行ったり、年賀状や中元や歳暮などを贈ったり交流していました。挨拶に行くと喜んで迎えてくれるようになりました。何年か過ぎたある日私が一人で挨拶に行った時に、初めて教えてくれた事があります。

「あの時あなたが祝福を受けるというので驚いたあなたの両親は、TV局に相談して紹介された牧師から指示されていたんだよ」と。「ある所に家があるのでそこで親子向き合って話し合いをする事を勧めてきたが、あなたのお父さんは『自分でやります』と言って断ったんだよ」と。

「その牧師から『娘さんは結婚したらそのまま海外に行かされ物売りをさせられたりで二度と会えない』と聞いたから何としても捕まえなくては!と必死だったんだよ…」と。牧師の存在と、デマによって不安を煽られていた事、そして監禁まで勧められていた事を知りました。

「親族が集められた場で『娘さんをひっくり返す為に…』って牧師の言い方がまるでゲーム感覚のように軽く違和感を感じた」と叔父は話してくれました。叔父は長年、老舗繁盛店経営をされてきて人望厚く私はいつも一目置いてきた方で、その叔父の言葉がとても的を得てると思いました。収益が得られるビジネスとして牧師がやっている事を叔父は直感で感じたのだと思います。

叔父叔母は姪である私の結婚後の家族や生活ぶりを身近に何年か見ながら、牧師の言っていた内容と違う事に気付いたので私に教えてくれたのではないかと感じます。私の事で騒ぎになり、かなり心配かけた事を涙ながらにお詫びしました。

叔父叔母も毎日商売が忙しかったのに、「姪の為に時間を削ったよ〜」と笑ってくれました。

 

父の他界と母の自責の念

 

家庭を持って24年。里帰りや電話などで交流し私達家族の生活ぶりをできるだけ見せ、両親に安心してもらえるよう努めてきました。今では何でも話せる関係にはなりましたが、教会関連の話をする事だけはずっと避けてきました。親に対しての配慮と、その話題に触れるのが私自身怖かったのもあります。

教会の事で親子共に地獄のような心境を二度と味わいたくないので、自然に封印してきました。だから叔父叔母から牧師の話を聞けても、両親には真実を確かめられずに時が過ぎていきました。そうこうしているうちに父が2021年病気で他界しました。

家族全員で父の葬儀に参加しました。

家族全員揃って帰省したのは久しぶりだったので、母も喜んでいました。A家の叔父は、母と兄家族と私の家族を店に招待してくれご馳走してくれました。そこで私達夫婦にこっそり「これからも応援してるよ」と声をかけてくださいました。

別な場面で叔母が母に「(私の名)ちゃんが家族幸せにやってるんだから、もういいんじゃない?」と言ってくれました。本当に有り難い事です。でも母は「いや、私の育て方が悪いんだ…」と自分を責めていました。時折、この言葉が出てきます。母はずっと自責の念でいるのです。

私は母が家庭連合への間違った情報を長年信じてきているので、そこが結局本当の親子和解ポイントなんだと考え、それをなんとか変えたかった。でも方法が見つからずそれが悩みでした。

 

YouTubeで中川牧師と岩本牧師の動画に出会う

 

2022年安倍元首相暗殺事件があり世の中が家庭連合バッシング一色となり、1992年の再来のような過激で偏ったメディア報道でした。また世間から強く迫害を受ける立場になってしまいました。私の中で封印してきた拉致軟禁時の辛い心情がまた呼び起こされたような感覚になりました。

そんな中、YouTubeでキリスト教牧師の #中川牧師 #岩本牧師 の、拉致監禁について取り上げ糾弾してくれている動画と出会いました。一般の牧師の立場で家庭連合を擁護してくれる事が夢のようでした。衝撃でありがた過ぎて泣きながら視聴しました。とても励まされました。

 

天の八衢の会を通した母と向き合うきっかけ

 

昨年 #天の八衢(やちまた)の会 という親子関係修復の会がある事を知り、連絡相談しました。その後、八衢の会の #猿田彦さん と #ウズメさん が母の所へ訪問してくださいました。私は行けないので事前に母に長い手紙を書き、拉致軟禁後の長い間触れる事ができなかった内容を初めて伝える事ができました。

母と向き合うきっかけと勇気を与えていただき感謝です。ずっと自分一人で親を何とかしなければと思ってきたので、第三者が間に入ってくださった事が感謝でした。母は意外と2時間も交流し「娘とは仲良くやってるので心配な事は何もないですよ」と話していたと教えてもらいました。

その後私から電話して母と話しました。空港で拉致した事、私が米国に行って来た事を思い出せない様子でした。それだけ年数も経って、親は年老いてしまっていたという現実を見せられました。日本基督教団の竹迫之牧師に相談していたという事は母の口から聞く事ができました。

あの頃の感情が自然と湧いてきて、私は少し語気が強くなる場面がありました。母も感情的になって私を叱りつける場面もありました。「いつまでお前は昔の事を根に持っているのか。もっと強く生きていきなさい!」「私が躊躇していたからお前は逃げてしまった。私がもっと強く縛り付けていたら良かった」

母は私が逃げた後、お前がしっかりしないからだと母の兄から叱られたそうです。私が家庭連合信者になったのと、軟禁中に逃げられたのは自分のせいだと自分を責めていました。心が痛みました。お互いに思い出したくないくらいの過去なのです。

 

いま持てる親子の時間を大切に過ごす日々

 

私は母が可哀想になって「ごめん、もうこの話は二度としないから」と言葉をかけました。「お前が逃げなければ次の日に牧師に会う予定だったがキャンセルになった」と母は言いました。私が仕事も辞めるので次の監禁も視野に入れた話になったのだろうと思います。あの時逃げて良かった。後で知った真実です。

牧師にお金は幾らか払ったかという質問に母は「払ってない」と答えていましたが、亡き父が中心となっていて母の記憶力もあやふやなので、これは確実性のない情報です。母は牧師に会った事がないと言っていましたが、前の叔父叔母の証言と一致しない事になります。検証するにも年月が経ち過ぎました…

とても長くなりましたが、私の主な体験を記録しました。私なりにですが、考えながら行動してきたつもりです。やるだけやってみて思うのは、私達親子は過去は互いに傷付いてきましたが、今持てる親子の時間を大切に交流していきたいという事です。

 

最後に知っていただきたい真実

 

親が首謀で娘への拉致軟禁強制棄教をした。自由に外出させずほぼ監視下に置いた。電話一本もできない環境、第三者(夫、青年部長)も介入させなかった。親子対立関係(長年影響)になった。娘の信教の自由を侵害し名誉を傷付けた。正社員の仕事を辞めさせた。娘の安心して生活できる場を壊して、娘の訴えは全く受け止めず、教会批判と娘の人格攻撃ばかりを連日言ってきた。「マインドコントロール   」「洗脳」  「カルト」という言葉の繰り返し。これが牧師のアドバイスによって親がやった事です。

家庭連合には拉致監禁・強制棄教被害者が多数います。戦後最大の人権侵害と言われていますがマスコミは未だに報道しません。どうか多くの方々に真実を知ってほしいです。親の不安を煽り、嘘の情報を吹き込み、脱会ビジネスをしてきた反対牧師、脱会屋、その擁護者の左翼弁護士の存在と共に。

追記1)家を出て県外の青年教会員の寮でお世話になっていた時、新しく青年女性が同居することになりました。その方も拉致監禁から逃げたという事でした。他人の事情に触れるほどあの時の私は余裕が無かった。もっと話を聞いてあげれば良かったなと今は思います。

追記2)青年の頃、仲間の親元に「お宅のお子さんを脱会させるのに〇〇〇万出したらやってあげますよ」と電話があったらしく「お金が無いからいりません」と断ったという話を聞いた事があります。このように親に対して、棄教を目的としたビジネスとして営業をかけている事、そして提示された金額の多さに仲間内で驚き合いました。

追記3)私の導きの親の親も拉致監禁被害者です。その話はずっとした事がなく、今年尋ねて初めて知りましたが、私と同じ日本基督教団 竹迫之牧師でした。牧師は、信者の両親に「両親の育て方が悪くて、子供が“犯罪集団”の統一教会に行った」と吹き込み、その心を縛り、拉致監禁へと追いやります。いまだ私の母らが自責の念にかられていることが本当に心痛いです。

 

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