
薬漬けにして精神力を弱め激しい口調で脱会説得する~ディプログラミング・ネットワークの実態②~
冊子「私は拉致・監禁された! 統一教会員の信徒の自由、基本的人権を奪う牧師の実態」(1988年刊行)に記載された、不法な拉致監禁・強制棄教の証言を順次紹介します。プライバシーへの配慮のため一部の固有名詞を仮名に変更したほか、状況説明が執筆当時のままになっている箇所があります。
中山 花さん(仮名、32歳)の証言
中山花さんは「統一教会はカルトである」と吹聴してきた浅見定雄教授 (東北学院大学助教授=当時)から精神病院監禁下での脱会説得被害に遭い、その裏には、本間 テル子氏(反対父母の会会長)の存在がありました。
■精神病院に監禁。窓のそばを通った人に手紙の投函を頼み、連絡とる
私は関西地方の小学校で教師を務めながら統一教会に通っていました。ところが、一九八一年、家族によりだまされ、勤務先の小学校から北関東にある精神病院に連れて行かれ、鉄格子のついた閉鎖病棟に入れられてしまいました。一歩も外へ出してはもらえず、手紙、電話など一切の連絡を断たれた生活は苦痛でした。
さらに私は、「人格病」などと診断され、食後、他の患者さんたちと一緒に並んで薬を飲まなければなりませんでした。薬を十日も続けて服用していると、口の中が乾き、体がだるくなり、集中力がなくなって字も読めなくなることもありました。
監禁され六日後の夜、東北学院大学の助教授(当時)であった浅見定雄という人物が病院を訪れました。浅見氏は、私が聞きたくないと拒んだにもかかわらず、とても信仰者とは思えない激しい口調で、新聞の切り抜きなどを見せながら、統一教会に対する一方的な非難、中傷をしました。私は黙って下を向いていましたが、浅見氏は反応を示さないので、生意気だと言って怒りました。また、隣でカルテを書いていた院長先生に対しても、浅見氏は統一教会のありとあらゆる悪評を語りました。その日は二、三時間ほどで終わりました。
翌朝も、浅見氏は数時間にわたり教義批判をした後、なんと「もう少し精神的に弱ってから、また説得に来る」と言い残して帰って行ったのです。逃げ出すことは幾度も考えましたが、どこのドアもしっかりと施錠され、呼ばれてどこかへ行くときも看護人が付き添って来るのでとうてい不可能でした。
両親以外に書いた手紙や葉書は、すべてストップされていたので、何とか教会と連絡をとる方法はないものかと思っていました。ちょうど、病院の工事をしている人が窓のそばを通ったので手紙を書き、投函してもらえないかと頼みました。三人目に頼んだ人がようやく引き受けてくださり、連絡をとることができました。
手紙などを証拠に、教会の人が人身保護請求をしてくださって、裁判となった次第です。裁判には、被害者父母の会会長の本間テル子氏が来ていて、私の両親と一緒に傍聴席に座っていました。
本間氏は、いままでにも統一教会の教会員を棄教させるために精神病院を紹介していた人です。私の両親はこの本間とかねてから連絡をとりあっていて、いろいろアドバイスを受けていたのです。
幸いにも私は、人身保護裁判における和解の結果、晴れて自由の身となることができました。
この事件を通じて、精神病院を悪用して棄教させようとした背後には、全国被害者父母の会の本間テル子氏や浅見氏がいて、両親に大きな影響を与えていたことがはっきりしました。
このような信教の自由侵害は決して許されないことだと思います。また、同じような事件が二度と起こらないよう願ってやみません。
※拉致監禁に関与した「キリスト教牧師」「脱会屋カウンセラー」は150~200名存在しています(まとめ記事)。さらに弁護士・ジャーナリスト・政治家・学者を含めた、一連の不法拉致監禁行為に関与、支援、利用してきたグループは現在「ディプログラミング・ネットワーク」と呼ばれています。その真相を究明し、社会的に明らかにすることが急務です(参照:宗教学者・大田俊寛氏 インタビュー記事)