信者が拉致・監禁され、ディプログラマー(脱会屋)から強制棄教を迫られる恐怖と胸痛む現実

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教会を“収容所”に―― 脱会を迫るディプログラミングの現場【実態③】

冊子「私は拉致・監禁された! 統一教会員の信徒の自由、基本的人権を奪う牧師の実態」(1988年刊行)に記載された、不法な拉致監禁・強制棄教の証言を順次紹介します。プライバシーへの配慮のため一部の固有名詞を仮名に変更したほか、状況説明が執筆当時のままになっている箇所があります。

 

田中 麻理さん(仮名、22歳)の証言

 

田中麻理さん(仮名)と中村優子さん(仮名)は川崎経子牧師(日本基督教団)が関与する拉致監禁・強制棄教の被害に遭いました。
監禁された場所はなんと教会だったのです。

家族に「食事に行こう」とだまされ、川崎経子 牧師の教会へ連れていかれた───

 

一九八六年六月五日、統一教会の田中麻理さん(仮名、二十二歳)は、山梨県都留市の谷村教会(日本基督教団、川崎経子牧師)に強制的に連れて行かれました。

前日、家族に統一教会の信仰を証しようと帰宅していた麻理さんは、「食事に行こう」と誘われ、それを素直に信じてついて行ったのです。しかし、着いたのはレストランではなく、教会でした。まさか家族に騙されるなどとは思っていなかった麻理さんは、極めて大きなショックを受けました。

谷村教会の川崎牧師は、一九八二年ころから統一教会に対して専門的に反対活動を繰り返しており、「原理運動を憂慮する会」のスタッフ的人物でもありました。また、日本共産党の機関紙「赤旗」にも何度か紹介されるなど、その活動が政治色の濃いものであることは見逃せませんでした。

麻理さんは、川崎牧師によって力ずくで行動が奪われるのではないか、と恐れました。そこで、その日の夕刻、トイレに入ったときに窓から脱出しようと試みたのです。 窓はすぐに開きましたが、硬い網でふさがれていて外に出られそうもありませんでした。

しかし彼女は、持っていたバイクの鍵で その網を破り、何とか外に出ることができたのです。ところが親族に発見されて再び捕まえられ、元の部屋に連れ戻されてしまいました。麻理さんは、母や姉らにこうまでさせる川崎牧師に激しい怒りを感じました。

翌日、川崎牧師は統一教会の批判を一方的に浴びせかけ、麻理さんに何としても統一教会の信仰を捨てるよう強要してきました。その態度はとても宗教人とは思えないものだったのです。 翌日も激しい改宗工作が続きました。しかし、いかなる説得にも屈しない麻理さんの強い信仰と、「統一原理」への確信に、川崎牧師はとうとう改宗不可能と断念し、 麻理さんを解放しました。

 

中村 優子さん(仮名、23歳)の証言  批判と中傷に終始した川崎 経子 牧師の説得───

 

麻理さんと同様に、一九八四年五月七日から十日までの間、谷村教会に監禁された中村優子さん(仮名、二十三歳)は、脱出後、手記の中で「川崎牧師は統一教会の悪口だけしか言わなかった。私が知りたかったのは(もしそれがあるなら)『統一原理』に代わるものでした。しかし、牧師は批判と中傷に終始し、 何の代案も真理も言ってくれなかった」と書いています。

もともとクリスチャンとして育った優子さんは、川崎牧師の態度に、これが神を証する牧師の姿なのだろうかと、深い失望を感じたと言います。 いたずらに批判、中傷に明け暮れ、力ずくで「信教の自由」を奪おうとする川崎牧師の反対活動は大きな問題だったです。

※川崎経子牧師は、2012年10月7日死去、82歳だった。葬儀は同11日、日本基督教団軽井沢追分教会で行われた。山梨県都留市の日本基督教団谷村教会牧師を22年間務めた。著書に『統一協会の素顔|その洗脳の実態と対策|』。(クリスチャン新聞より抜粋)

 

※拉致監禁に関与した「キリスト教牧師」「脱会屋カウンセラー」は150~200名存在しています(まとめ記事)。さらに弁護士・ジャーナリスト・政治家・学者を含めた、一連の不法拉致監禁行為に関与、支援、利用してきたグループは現在「ディプログラミング・ネットワーク」と呼ばれています。その真相を究明し、社会的に明らかにすることが急務です(参照:宗教学者・大田俊寛氏 インタビュー記事

 

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